2016/8/25

間違い探し

高校を卒業し、または大学を卒業し、社会の一員として人生において新たなるスタートを踏み出す時、昨今の若者は偏見と常識に左右され、迷い続けるというサイクルに陥っているようです。迷うという事は、ただ単に「何をしていいかわからない」のではなく「何をしていいかわからないから、その何かを知りたい」、または「何をしていいかわからないから、その何かを知る必要がある」と考える事です。ただ「何をしていいかわからない」状態であれば、何を知る必要もないわけで、それは迷いではありません。そこでです。迷っている若者、いえ人々は、その何かを見つけたら救われるなどと勘違いしているようなのです。「迷い」は意識状態の現れであり、外を変えたところで中は変わりません。一瞬だけ「見つけた!」という衝動に駆られ安心するかもしれませんが、なにせ意識状態なので、遅かれ早かれ再度「迷い」という感覚は再浮上してきます。「これで良かったのだろうか」「なにか違う」「これじゃない」などなど、ピリオドを打ったはずの模索がまた始まります。
ではこの問題についてのソリューションは如何なるものかと言うと、自分という意識の確立、という言葉に尽きると思います。つまり外で「何」をやるかなど一切関係ないのです。内なる意識を正せば、外は自然と正される。これを肝に銘じ生きなければ、文明の蟻地獄に引き釣りこまれるまでです。では自分という意識の確立はどうしたら良いのか。これには手段が多すぎてこのブログでは書ききれませんが、1つだけ方法を挙げるとすれば「間違い探しをする」ことです。間違いというとニュアンスがちょっとズレが生じるかもしれませんが、例えば「怒りは外的要因によるものである」と思っているとしたら、この方程式は「間違い」ですので、これを修正していくのです。人が人に怒る時「人にムカついた」とか表現します。「あいつにムカついた」とかです。接続詞がキーポイントで、「あいつ『が』ムカついた」は文法的に間違っており、「あいつ『に』」が正しい表現となり、自分が相手に、という自分が主体の因果関係が怒りのベースであるため、怒りは自分の責任となります。
正常心を乱す事柄すべてはあなたの中にある「間違い」であるので、間違い探しを手伝ってくれているウザイ外的要因にアンテナを張り、「間違い探し」を毎日少しずつしていけば、自分本来の魂が磨かれ、天がコスモスに美貌を与えたように、天が自然と汝に生きる歓びを与えてくれるでしょう。

2016/8/20

ジェイとニューアース

僕の創造のベースとなっている力は、紛うことなきエックハルトの教えです。エックハルトの教え無しに、僕の今の人格ないし創造はあり得ません。それほど僕を強くし、そして支えてくれているティーチングです。苦しみありきの覚醒ですが、ある程度のアウェアネス(意識力)が達成されると、精神世界に関わる本を読むことが不必要となるくらいバランスが取れてくるのですが、ここ最近、またエックハルトのニューアースに惹かれ始めています。昔であれば、パワーオブナウしかりニューアースしかり、自分に脆弱さを感知した時のみ、これらの本を手に取り、拝読していたものの、今回に限ってはそうではない。自分の包丁を研ぐような感覚で、自らのアウェアネスに磨きをかけるような感覚でニューアースを再度読み始めました。最後にニューアースを読んだのは多分3年前くらいですから、長い時を経て読むニューアースは、また別格の読み応えがあります。正に包丁研ぎです。包丁は既に有効活用され、鋭さは失ってはいないものの、多くの食材を切り続けたが故にシミやサビが付き、精度に欠けていたのです。包丁としての機能は失っていないですから、性能をそこまで気にする事はなかったのですが、「自分の包丁の状態は如何なるものなのか」と改めて意識を向けられたとある出来事があります。ジェイとの出逢いです。このブログには色々な人物が登場してきていますが、おそらくジェイは今後数えきれないほど登場してくるであろう、平山翔樹の人生おけるキーパーソンとなるでしょう。彼のバイブは群を抜いて僕の周波数と響鳴を奏でています。ここ数年で宇宙が僕に与えた史上最大級のプレゼントと言っても過言ではありません。はい。それでです。ジェイが何歳で、何で名前がジェイで、どこに住んでいてどんな人間でどんな人柄の持ち主であるかは後日綴るか、実際に会ってみてからのお楽しみになるかですが、そのジェイがです。なんと、エックハルトの教えを知っていたのです!正直驚きました。エックハルトを知っていた僕と出会ったことにジェイもジェイで驚いていましたが、彼を通じて、宇宙が再度僕にエックハルトの教えを復習しろと申し付けているように感じられ、ニューアースを再度手にとった、という訳です。飛ばし飛ばしでチャプター4から読んでいますが、マジヤバいっす。マジでヤバい。ニューアース、読みましょう。

2016/8/10

人材育成

天から課題が降りてきました。人材育成です。これは人類の豊かさに貢献するための課題です。ついに自分にも新しい課題が降りてきたか、というのが率直な感想ですが、人材育成は実務より難しいことです。当たり前です。会社を組織して稼働させるには、メンバーの周波数の一致が必要不可欠でありながらも、ひとりで突っ走ってきた自分の傘下に他人を入れるということは、他人が自分に合わせるように強制するのではなく、トップである自分が部下に合わせる必要があります。これは技能という技術的で実用的な観点から解決出来ることではなく、ひとりの人間、ひとつの生命として、他人を思いやり、他人の立場や感情を理解した上で、アドバイスしかり教育を行っていかなければなりません。本日僕の会社の主軸であるWeb事業に関する技術講座を始めましたが、新しいメンバーにとってWeb技術は全くもって新しい概念であり、かなりの苦戦を強いられるようです。それと同じく、トップである自分にとっても、この人材育成というプロセスは苦戦を強いられます。なぜならば僕にとっても人材育成は全くもって新しい概念だからです。やったこともなければ、どうすれば望ましいアウトプットを出せるのかさえもわかりません。
だから新メンバー2人に申し上げたいです。大変なのは君たちだけじゃない。僕も会社のトップとして、君たち以上にチャレンジすることを誓います、と。
がんばろう!

2016/8/8

Waiting For Love

新しいは別に「新しく」なくても良い。そんなこと考えたこと、ありませんか。例えば古着とか、ビンテージものとか。いわば絶対的な「古さ」という要素を持つ物であっても、もし僕が今日(こんにち)その「古い」物を手に入れたとしたら、それは僕にとっては「新しい」物となる。当たり前に聞こえますが、実はこれ、僕達の人生において無意識ではありながらも、頻繁に遭遇しているシチュエーションなのです。今記事における僕の思想は、最近とある美しい楽曲と出会ったことに始まります。その楽曲が1年以上も前にリリースされた事を知り、1年もの間何故出会わなかったのだろう!?と思ってしまうほどその楽曲を気に入ってしまい、リリースから1年以上経った今、僕のTOP CHARTナンバー1に君臨しているのがAvicii(アヴィーチー)のWaiting For Loveです。訳して「愛を待って」。百聞は一見にしかずと言いますが、百文は一聴にしかずです。AviciiでWaiting For Love。どうぞ。

2016/8/5

27歳になりました。

真夏!8月!セミ!炎天下!アイス!本日で満27歳となりました。毎年本当に僕の誕生日はクソ暑いです。感心する位暑いです。さて26歳から27歳までの間、一体僕にはどのような変化があったのか。気になるところですが、まぁアラサー相応になってきた、ということぐらいしか思い浮かびません。今年の4月で帰国後丸々8年が経ち、色々と形になってきたくらいでしょうか。自分の使命をしっかりとやりこなしている自信もありますし、気持ちよく人生に励むことが出来ています。そして結局それが人生の答えなので、ある意味もう完成形になっているとも言えるかもしれません。数年前ならば、今後どうしたいとかあーしたいとか色々野望が出てきたかもしれませんが、ここ最近は特にないです。本当に。健康に生きれていればそれでいい。毎日笑顔で過ごせればそれでいい。そう思って、そう口にして生きています。
あと最近の気づきであれば、新しいものもいいけれども、直したりリフォームしたりすることもそれはそれで美しいのである、ということ。車のタイヤを替えたり、親戚の家のピアノを調律したり、デスク周りをカスタマイズしてみたり。ちょっとしたアイディア次第で、今をより充実させることが出来ると知った1ヶ月でした。27歳はイチローがメジャーリーグデビューをした歳です。僕もメジャーリーガーになれるよう、静かに努力したいと思います。
Happy 27th birthday Shoki!

2016/8/3

思考は信じてならぬ

2016年上半期の自己分析並びに宇宙観察記を記録しておきます。まず第一に自己分析ですが、どうにもこうにも僕は「普通の道」を歩むような運命にないことがわかりました。わかりきっていたことですが、今年に入ってこれが確信に繋がったといいますか。普通であれば、というか普通という概念は曖昧すぎかつ抽象的すぎなので、この「普通」という言葉を使うことさえどうかとは思いますが、いわゆる一般的な人生の創造プログラムとは全く別のプログラムが僕には入っているようです。「自らの努力で人生をどうにかする」という事を手放してしまったからなのか、自分で人生を創り上げている感覚がゼロとなり、天から降り落ちる紙切れを掴み、その紙切れに書かれている通り行動すれば、自然と爆発が起きる。そんな感覚です。
昨日の話ですが、とあるデザインの仕事をしていて、デザインのインスピレーションになるような良質なサイトコレクションを見ていました。すると物凄い勢いで自己嫌悪の感覚に襲われました。要するに最前線で活躍するWebデザイナーの作品を見て、同等のものをインスピレーション無しでクリエイト出来ない自分に嫌気が差してきたのです。ですが昨日はどこかでその感覚を傍観出来る自分が居ました。そしてこう自分に問いかけてみたのです。「お前はWebデザイナーなのか?」「お前のパッションはWebデザインにあるのか?」と。すると答えが返ってきました。答えはこうです。「僕はWebデザイナーでもWebデザインにパッションを持つ者でもない。僕は天に仕える使者である。」と。まずその自己嫌悪の感覚がどのように始まったかというと、「自分はデザインが苦手だ」という事実でも真実でもない思考がただ浮遊していたからです。何を思うにせよ、それを認めるかどうかは自分次第です。「井の中の蛙、大海を知らず」と言いますが、大海を知らなければ自分は最強で居続けられます。それが絶対的な真実であるかどうかは別として、「自分は最強である」という相対的な真実は、喩え相対的であっても真実は真実なのです。
このお話のキーポイントは「自分の思考をガチで受け入れるな」という事です。ネットに蔓延する情報と同じように、自分の思考を100%信じずに、疑いを持って接しろ、ということ。これがわかると面白いことが起こり始めます。自分の意志に勝手にストップをかけていた思考が解除され、どんどんアクションが起こせるようになるのです。もう1年位前でしょうか、ドビュッシーの月の光を練習し始めたということをこのブログに記録しました。しかし昨年秋くらいから、曲のとある小節(En animant)に完全にギブアップしてしまい、流石にピアノの経験の無い自分には不可能か、と半年以上放置してしまっていました。しかしです。先月から気を取り直して取り掛かってみたところ、En animantの小節から先が弾けるようになったのです!そしてその小節から先も、今となっては全て暗譜が完了し、残るは演奏としての磨きをかけるだけとなりました。
アディダスのキャッチコピーのようです。
Impossible is nothing! 「不可能なんて、へのカッパ」w