よくわからないけど蕁麻疹になった。今は30日の19:44だから、昨日の朝起きたら、身体が斑点だらけ。しかも、えげつなく痒い!昨日は勢いで会社は出社したものの(リモート出社)、今日は痒さに加え倦怠感と微熱。これは流石に集中できないし、仕事をすると行って出社して途中リタイアも迷惑がかかるので、心苦しくも病欠。昨日の夜は、蕁麻疹になるとアナフィラキシーショックになって死ぬとかいうエゴサーチをしすぎて、余計鬱に。そして今日は起きてもあまり倦怠感や蕁麻疹は引いておらず、これはもしかすると感染症か?!と思い、午前中は寝込んで、午後に市内のそこそこ信頼できる病院へ。午後だったので空いており、皮膚科のドクターは居ませんでしたが、内科のドクターが診てくれました。問診票を書いて、血圧、体温を計って、いざ呼ばれて中に入って症状を話し、身体の斑点を見せると「あー、蕁麻疹ですね」とのこと。いやいや、そうなんだけど、それはわかるんだけど、大丈夫なの!?っていう。「なんか変なもの食べました?」と聞かれたので、「いやぁーそうっすね、特に心当たりはないですね」と答えると「ただの蕁麻疹なので、心配要らないですよ。数日で治ることもあるし、ちょっと長引くこともありますけど。お薬出しておくので、悪化したり、他の症状など出てきたらまた来てくださいね」。「えっ、なんか蕁麻疹ってアナフィラキシーショックになるとか書いてあったんだけど、大丈夫なんですかね?」「ん?アナフィラキシーなったらね、うん、こんな元気じゃないからね、うーん。大丈夫ですよ。」「えっ、なんかコロナとかインフルとかの感染症の初期症状とかじゃないんですかね?」って聞くと、「う〜ん、でも熱無いですからね。違うと思いますよ。」とのこと。
いやいや、そう言ってもらえて安心はするけど、ホンマにそうなん!?って言う。まぁまぁそんなこんなで、2種類の薬を処方してもらいまして、病院から戻ってご飯を食べて(16時頃)(まぁ食欲があるのは元気な証拠か)、2種類の片方だけ(できるだけ薬は飲みたくない派なので、サブの薬は飲まず、メインの薬だけ)を投与。その後すぐまた寝たのですが、いやっ、化学の力ってすごいですね!!蕁麻疹は全部消えましたw いやぁこれはたまげた。大体、ここ5年くらいでコロナとかインフルとか両方やりましたけど、あんまり薬って効かないんですよ。ホントに気休め程度で、寝かせてくれるくらい。でも今回の抗ヒスタミン剤ってやつですか?いやぁこれは効きました。蕁麻疹は消えるわ、かゆみは消えるわで、熟睡熟睡。ほんまにビックリしました。いやね、化学の力は昔はなかった訳で、僕も体内にケミカルを入れない方針で生きているんですが、今回だけは参りました。お薬さん、ありがとうございました。それにしても今日の看護婦さん、マスクをしていたのでお顔は見えませんでしたが、目は可愛く、スラっとしている美人さん。下の名前が木綿と書いて「ゆう」さん。オシャレな名前だなっと思いました。
まぁとにかくですね、このように体調を崩すと、人間は健康第一!と毎回思います。なんか、人間ってすぐ忘れちゃうんですよね。健康の大切さを。元気だとすぐに強欲になっちゃう。でもこうして天が体調不良を授けてくれると、思考もゆっくりになるし、先を求めすぎなくなるし、一旦リセットさせてくれますよね。薬というテクノロジーにも感謝して、もっと健康であることに感謝して、また日々を生きていきたいと思っております。
今日はですね、日記を書きたくて書きたくて仕方ないのです。もう書くことがない!と思えるまで、せっかく華金の夜ですし、体調不良ですし、他にやることもないですし、この執筆という遊びをとことん楽しんでみたいと思います。誰が読むのでもない、誰に書くのでもない、自分が書きたいから書く。自分が、こうして生きていることで感じることを、ありのままに綴ってみる。そうすることで、私たち人間が、夜寝ている間に夢を見て、日々の出来事から蓄積される感情を消化するように、こうしてダイアリーとして文字に起こすことで、体験が消化されるし、スッキリする。この間も、ジェイと銭湯に行く道中でマシンガントークをしていたのですが、やっぱり自分の人生で起こった出来事を第3者に伝えることで、自分の個人的なストーリーが相手に伝わる→相手はその出来事をもちろん第3者目線で捉えて、思ったことを言ってくれる→自分の個人的なストーリーが「個人的な」ものでなくなる、ということに気付いてしまったのです。何を体験したっていい。何を思ったっていい。でも、それを一人で溜め込んでしまうと、どうしても自分のストーリーに飲み込まれがちです。ですので、自分のストーリーを人と共有して、自分の思いや感情を吐き出すなり、こうやってダイアリーとして書き出すなりすると、やっぱりスッキリするし、先に進めるようになると思うんです。
今日も、前々からシヨンから推薦を受けていた「あいの里」on Netflixを思い出し、朝から寝込んでいたので、こうして寝込みもしないとネトフリなんて観ねぇからな、と思いながら、ポチッと鑑賞開始。早速4エピソードも観てしまったのですが、その「あいの里」の中でも、個々が日記を書いていて、それが参照されるシーンが出てきたんです。無論、恋愛リアリティ・ショーなので、結構生々しいんですが、それにしても、日記を書くことで、自分の思いや感情を書き出すことで、より自分を知れるようになる、そしてより勇気を持ってこの人生体験と向き合えるようになるんじゃないかって思ったんですよね。このご時世、この生々しい人間らしさから無意識に遠ざかってしまっている人、多いんじゃないかなぁって。でも、やっぱりこの生々しい人間らしさに、人間として生きる楽しみが一番詰まってるんじゃないかと思ってて。だから、僕もあいの里に出てくる人みたいに、10年弱恋愛をしてなかったわけなのですが、いや、自分からもっと恋愛を求めてみよう!と思っている今日このごろなわけです。
あいの里を観ていても思うのですが、恋愛って素敵でもあるし、残酷でもあるんです。だって、自分が良くても相手からダメって言われたら叶わないし、自分が良くても、相手に伝えなかったら何も起こらないし、自分は意識してなくても、相手から伝えられたら心が動いてしまうかもしれないし、ダメって思ってても上手くいくときもあるし、気になってもいない人から好かれてしまうかもしれないし、断りたくないけど断らないといけないかもしれない。
とにかく、今日は蕁麻疹&微熱&倦怠感でダウンしてしまっている僕ですが、悔いのないように、恋愛にも真剣に取り組んでみたいと思っている今日このごろであります。出会った人の中で良いなと思った人にはアプローチする。それだけの話です。それで結ばれる運命なのであれば、それはそれで良いし、もし違うのであれば、それもまたそれ。お互いに、お互いに合う人と結ばれることを願っているよ、と思えば良いことです。ただし、これはアプローチをしないと始まらないということ。これが面倒だとか、断られるからやめとこうとか、気まずくなるからやめとこう、なんていう言い訳は無用。1度しかない人生、最愛の人生の伴侶と結ばれたいと、誰もが思っているはずですから、一旦は僕からアプローチさせていただきますよ、と。ただそれだけの話です。
でも、今、自分ってこんなに恋愛に前向きになれたんだ、って思うくらい前向きになれてるんです。自分って肉食系になれたんだ、って思えるくらい。ただですね、だからと言って強引に掻き分けて獲物を取りに行く、っていう話ではないんです。なぜかというと、男女関係は相互的に成り立つものだからです。こっちが80、相手が20では成り立たないんです。天秤にかけたら、バランスが取れない。イコール、始まることも出来ないし、維持することもできない。どんなにこの僕が最近恋愛に積極的になっているとは言え、このバランス感覚は、僕の中では、恋愛関係において、最優先事項です。どんなにアプローチしたとしても、相手から同等のエネルギーが返ってこないのであれば、先には進めません。当たり前のことですけどね。実は、とある女の子のことが気になってたんです。才能あるし、笑顔が可愛いとある女の子ね。がんばってアプローチしたんですけど、すごいですね、僕にはまるで興味なしwww 本当に自分でも久々にいいな!と思った子だったんですけど、さすがにこれ以上アプローチしたらストーカーレベルになりそうなので、潔く引くこととしました。でも彼女には感謝しています。「あいの里」も4話観て、最初の告白を見届けたので、余計その気持ちが分かるのですが、彼女へのアプローチは、僕のこの10年間の人生になかった「恋愛」を思い出させてくれたんです。あっ、人を好きになっていいんだって。人を好きになって、アプローチしてもいいんだなって。そして「あいの里」でも見れますが、恋愛は「成功」と「失敗」が表裏一体であるということ。告白して、結ばれればそれは成功ですが、断られればそれは失敗です。だから、僕の今回のアプローチは、失敗に終わったと言えます。でも、それは両者へのリスペクトがある上での失敗だったということを忘れてはなりません。あなたをリスペクトするからこそ、断らないといけない。あなたをリスペクトするからこそ、そのお断りを受け入れないといけない。
僕が最近影響を受けているデイビッド・ゴギンズ David Gogginsさんの言葉を借りると、失敗は失敗ではなく、1回目の試み、2回目の試み、となっていくだけだと。
はい、今日はこの辺にしようかな!お腹もまた空いてきたし(21:08)。えっ、すご、1時間半も書きっぱなしだった!最高すぎる。カップ麺シーフードにしようかな、お茶漬け海苔にしようかな、ひろの作ったタコスにしようかな。
おやすみちゃん。