人生を生きる前に読んでおきたい『生きる上での注意事項』

どんな取説にも書いてあること、それは注意事項です。

これはしてはいけませんよ。
この部分にはこう注意してください。
これをすると壊れてしまいますよ等など、その物を使う前に必ず読む必要のある、または読んだほうが良い知識です。

取説には沢山の機能説明が書いてある中、注意事項は飛ばしがちな項目かもしれません。当たり前の事が書いてあるのがほとんどだからです。

ですが、この人生という体験への理解を確実なものにするためには、この当たり前な注意事項をしっかりと落とし込む必要があります

この人生という体験を生きるための基礎とも言えるでしょう。

2つ注意事項カテゴリー

人生における注意事項は2つのカテゴリーに分類されます。

1つ目は「人生体験そのものについての注意事項」。
2つ目は「人として生きる上で気をつけなければならない注意事項」です。

これらの注意事項を予め知っておけば、人生で物事がうまくいかないときや、自分自身に苛立ちを感じた時にその原因がわかるようになります。原因がわかればすぐに軌道修正ができるので、無駄な時間を問題解決に費やさずに済むのです。

あなたの人生体験をより一層豊かな体験とするための心得と言えるでしょう。

「人生体験そのものについての注意事項」とは

1つ目の注意事項「人生体験そのものについての注意事項」を解説していきます。

もしあなたが、これから「人生」というアトラクションに乗れるとしたら、スタート地点の看板に書かれている注意事項に一応目を通しておきたいものです。もちろん注意事項を読まなくてもアトラクションを体験できますが、人生は比較的複雑かつ人それぞれに体験が異なるので、共通する注意事項は知っておいて損するものではありません。

人生がもしアトラクションだったら、知っておきたいもの、それが「人生体験そのものについての注意事項」です。

人生体験そのものについての注意事項 5か条

  • あなたの人生を生きれるのはあなたしかない
  • あなたの人生における幸せは自分しか作れない
  • あなたの人生は100年以内に終わる
  • あなたの人生には意味はない
  • あなたの人生は内容に関係なく完璧である

「人間として生きる上での注意事項」とは

次に2つ目の注意事項である「人間として生きる上での注意事項」についてです。

人生というアトラクションは、体験でありながらも、さらにその中の人を操作しなければならないという仕組みになっています。そう、その人とは「あなた」のことです。

あなたは、あなたの人生で与えられた人間という体を駆使して、この人生体験アトラクションを進まなければなりません。

人生体験アトラクションの中に入ると同時に、人間という機体に入ることになる。そしてその機体の入り口に書かれているのが「人間を生きる上での注意事項」と言えるでしょう。

違いは何か。「人生体験そのものについての注意事項」と「人として生きる上で気をつけなければならない注意事項」の違い。

人生体験とは別に注意事項がある理由は、人生は人間という機体ありきの体験だからです。人生という体験は、人間に乗り込まないと体験できないということ。

となると、人生という体験そのものへの理解の他に「人間という生き物そのものの理解」も必要になるということです。

人として生きる上で気をつけなければならない注意事項 5か条

  • 人生を他人のせい、物事のせいにしている限り、自分の人生を歩むことは出来ない
  • あなたが人に思うことはあなたが自分に思うこと
  • 時間はあるようでない
  • 急げば急ぐほど急がなければならなくなる事が起きる
  • 向かうべきは疑問のない領域 (納得するまで人生への質問は問い続けること)

人生体験そのものについての注意事項

注意事項の2つの分類がわかったところで、早速1つ目の注意事項を詳しく見ていきましょう。人生体験そのものについての注意事項です。

あなたの人生を生きれるのはあなたしかいない

当たり前のように聞こえるかもしれませんが、あなたの人生を生きれるのはあなたしかいません。これはどういう意味かというと、あなたの体験を出来るのはあなたしかいないし、誰かの体験を出来るのはその人しかいない、つまり、自分の人生と他人の人生を比べることは無意味、ということ。

自分の人生のほうが良い人生だ、と思うことも錯覚。
あの人の人生のほうが良い人生に見える、と思うことも錯覚。
自分の人生なんて最悪だ、と思うことも錯覚だと言うことです。

注意事項1: 自分の人生は自分だけが体験できるもの。他人の人生と比べることは無意味。

自分の人生自分でしか生きれないし、自分でしか自分の人生を創り上げることは出来ない。自分の生き方が人生という体験に直接繋がっているので、どれだけ自分を生きれるかが豊かさを感じるために必要な鍵となってきます。

何事も自分次第。自分の特性(自分の個性や癖や特徴)をどれだけ理解して、どのように自分の人生体験を作っていくかがポイントです。

あなたの人生における幸せは手に入れるものではない

あなたの人生における幸せは、自分以外の何かを通じて手に入れるものではありません。後付けとなるもの全て、あなたを満足させることはないということ

例えば、好きなことを仕事にするとか、お金持ちになって金銭的自由を手に入れるとか、素敵なパートナーと結ばれる等など、いわゆる世間的に「成功」と呼ばれているようなものは全て、あなたに永続的な満足感や幸せを与えることはないということです。

注意事項2: 幸せは手に入れるものではない。手に入る物と勘違いしてはいけない。あなたの幸せは「生きること」そのもの。

これを聞くと、一体何のために生きているのかわからなくなってしまうかもしれません。自分の夢を叶えるために生きている、自分の目標、自分の掲げる理想に到達するために日々日頃から努力しているのに、何を手に入れても幸せにならないという注意事項があっては一体何のために生きればいいのか。そう思われるかもしれません。

しかし人間の特性として、ないものを求めることはごく自然なことです。欲しい物がある。達成したいことがある。行きたい場所がある。ただ、その欲求はあなたの人生の一部に過ぎないということ。欲しいものは手に入れればいいし、達成したいことがあれば達成して、行きたい場所があれば行けばいいのです。

しかしそれら無くして自分が自分でなくなってしまっては本末転倒。「生きる」という大きな括りの中の「楽しみ」であればいいのであって、欲求そのものが自分の人生となってしまうと、不幸という感情を生むのです。

求めることだけが生きることではない。与えるも生きる。止まるも生きる。動くも生きるです。

あなたの人生は100年以内に終わる

大人になると、こう嘆く人が増えます。「この10年あっという間だった」と。実際の話、10年も100年も変わりありません。人生あっという間なのです。あなたが今どんな試練と立ち向かっていようと、あなたが今どんなに人生をエンジョイしていようと、人生は大体100年以内に終了します。長く感じるかもしれませんし、短く感じるかもしれません。

しかしこの終わりへの進行は、実感、体感できるものではないため、生きている間はいつまでも生きていられるような気がしてきます。それが錯覚なのです。この有限から逃れられた人間は誰ひとりいません。

注意事項3: 人生はいつか終わる。永遠と続くものと勘違いしてはいけない。

やりたいこと、してみたいことがあったら直ぐに行動に移しましょう。本当にいつ終わるかわかりません。生きているうちにやっておきましょう。

あなたの人生には意味はない

人間は地球上の生き物で唯一、動物的本能以外に「思考」を持つ生き物です。頭を使って物事を考えたりすることが出来るということ。

この思考は便利な半面、自分の人生に意味を付けたがります。果たして自分の人生に意味はあるのだろうか。自分の存在に意味はあるのだろうか。そう思ってしまうのです。

人生は体験です。体験とは、映画を観ているのと同じようなもので、始まりがあり終わりのある、連続的な描写のこと。ただそれだけです。意味を追い求めたところで、しっくりくる答えは出ないし、意味を付けたところで何も変わらない。

生きているから生きている。ただそれだけなんですね。

注意事項4: あなたの人生には意味はない。ただの体験だから。

あなたの人生は内容に関係なく完璧である

あなたの人生がどんなに美しくても、あなたの人生がどんなに過酷でも、それは人生という体験の一部として起こっているものです。あなたの人生というストーリーを作り上げているだけで、何が起きてもそれはただの物語。良いも悪いもなく、一瞬一瞬があなたというストーリーを作り上げる完璧な体験なのです。

人生で起こる出来事に良し悪しを付けることは、自分の物語を批評しているのと一緒。この人生における体験は全て、完璧なのです。人生は、自分の思い通りにならないものでもなく、思い通りにするものでもないということ。

注意事項5: 人生はどんな内容であろうと完璧である。それがあなたしか体験することのできない「あなたの人生」だから。

完璧という言葉を聞くと、文句の付けようがない、とか、素晴らしいなどという肯定的な意味を連想されるかもしれませんが、ここでいう完璧は否定的でも肯定的でもありません。

ここで言う完璧は、ありのまま、という意味の完璧です。完全という言葉の方が適しているかもしれません。頭で識別できる物事の良し悪し関係なく、あなたの人生体験そのものはあなたの生きた体験の通りであるため、それ以上でもそれ以下でもない。だから完璧、ということです。

人間として生きる上での注意事項

次の記事につづく…
(2021年6月リリース予定)

中毒は傷跡に塗る麻酔薬

傷跡と言ったら大げさですが、やはり誰でも弱みを隠したくなるもので、大人になるといつの間にか、どう自分の弱点を見て見ぬふりをするかを意識するようになります。

その見て見ぬふりをするために有効活用しているものが、中毒というものです。

何かに依存すると言ってもよいです。

何かに中毒になっている状態とは「自分の弱みが感じなくなるように、とある行動に依存すること」を言います。

ということは、何かに中毒になっている状態では、一生その心の傷跡は治らないということになります。

「自分の弱みが感じなくなるように」するということは、麻酔薬を塗布するようなものですから、治癒には繋がっていません。

あくまでも「感覚を鈍らせている」というものです。

自分が求める自由、本当の自由、心から解き放たれる開放感を持って生きる感覚を手に入れるには、どうにもこうにも中毒を脱却しなければなりません。

中毒に依存している限り、あなたの傷跡は癒やされないだけでなく、より手ごわい治りにくいものに変化してしまいます。

そしてさらなる依存が別の依存を生む可能性もあります。

中毒の状態で、あなたの体と心のエネルギーバランスがわかります。

あなたの思い当たる中毒は何ですか?

自分が信じ込むやるべきこと以外意味を持たなくなるというエラー

タイトルは少し難しいのですが、説明していきます。

要するに、自分のためになること以外、全て時間の無駄と感じてしまうということです。

自分が目指す場所があって、それに向かって突き進むということは素晴らしいことです。

しかしこの信念が、自分の行動、そして自分の可能性を封じ込めてしまう可能性がある。

自分の信じ込んでいる道から外れていたり、関係ないのことはすべて意味を持たなくなる、つまりは無駄に感じるようになってしまうということです。

これは自分の信念を生きているのではなく、無理やりに自分の信念と信じ込んでいる道を進んでいる状態で、本当の創造力を駆使できていない可能性があります。

結果への執着から生み出されるエラー、機能不全であるということ。

このエラーを持つと、人生の基本である「全体性」を無視するようになってしまいます。

そうなると、自分が信じ込むやるべきこと以外、物事から意味が消え去ってしまい、心で感じられる生きる歓びをもが消え去ってしまうことになる、ということです。

伝わりましたでしょうか。

「金銭で楽になれると思ってしまう」という罠

どうにもこうにも、「お金が増えれば楽になれると思ってしまう」という罠に引っかかってしまっている人が多く存在しているようです。

お金が本当にない状態の人がお金を求めるという事態は、この資本主義社会においては起こりうる事です。

この状態は「お金を手に入れて楽になりたい」などという、理想を思い描く話ではなく、お金がないと生活が回らないという実際の生活問題です。

お金を使った交換システムが適用されるこの資本主義社会において、この状態はどうにかせねばなりません。

仕事を探す、物価の安い街に引っ越す、最悪国に助けを求めるなどです。

この「お金の無い状態」と反対に、ある程度のお金を実際に手に入れた人々がいます。

数千万円レベルの大きなお金です。

いわゆる大金と言われるものです。

ではこの大金を手に入れた人が、お金のない人よりも、人生を豊かに過ごしているのでしょうか。

そうとは限らないのです。

「お金が増えれば楽になれると思ってしまう」という罠に引っかかってしまっている状態で大金を得てしまうと、逃れることの出来ない、「お金が無い」という状態よりも酷い状態に陥ってしまうのです。

「お金があっても幸せを感じられない」という行き止まりに突き当たってしまうのです。

お金がない状態の時は夢がありました。

お金を手に入れれば楽になれると思い、一生懸命頑張ったかもしれません。

お金は関係ないと言い聞かせ、自分なりの幸せを探していたかもしれません。

お金持ちになるというゴールに辿り着いても、人生あまり変わらないという現実を突き付けられるのです。

この罠は早く脱出した方が良いでしょう。

お金ではなく自分で自分生き甲斐を作り上げましょう。

何かがしたくないのは、その何かがしたくない、つまりその何かが嫌なのではなく、ただ動きたくないだけである

面倒くせー!とか、だる!とか言いますよね。

要は「やりたくない」という意味を遠回しで表現したものです。

でもこの「やりたくない」という気持ち、実は内容は関係なく感じるものだったのです!

つまりそのやりたくない事が、本当に面倒なことであろうとなかろうと、関係ない。

本当にだるいことであろうとなかろうと、関係ない。

その何かがしたくないのは、その何かしたくないのではなく、その何をジャッジ(判別)して「それは自分にとってやる価値がない」と決めつけているだけだったのです。

ただ単に動きたくない。

ただ単にその何かから価値を感じることが出来ない。

それだけだったのです。

人間の行動はただふたつ。

やるかやらないか。

やるならやりたいがのようにやれ。

やらないならただやるな。

いや本当に。

楽して生きたいと思っている限りあなたに成功は訪れない

楽して生きたい。

努力も挑戦もせず、ただただ楽に生きたい。

その気持ちはわからなくもないです。

奮闘せず、苦闘せず、誰にも文句を言われずに一定のお金が入ってきて、自分の好きなことだけして生きたい。

夢のようなお話です。

ただ、このように思う事は実は、一番つまらない人生を送りたいと言っているのと同じなのです。

もう一度「楽して生きたい」の定義をさらってみましょう。

「奮闘せず、苦闘せず、誰にも文句を言われずに一定のお金が入ってきて、自分の好きなことだけして生きたい」

これをよく読み解くと、または裏返すと、次のような定義になります。

「誰とも何とも関わらないため、自分は存在していないと同じ」

楽して生きたいは、生きているとは到底言えないということです。

死んでいるのと変わりません。

楽して生きたいは、生きているのに、一生懸命生きるべき人生なのに、生きたくないと言っているのと何ら変わりはないのです。

楽して生きたいなんて絶対に思わないでください。

人生どれだけ一生懸命生きることが出来るかです。

そして一生懸命は苦ではないことも覚えておいてください。

命ある限り生き尽くすことです。

楽して生きている自分を誇りに思わないでください。

一生懸命生きている自分を誇りに思ってください。

人生は今の自分の成長に必要な出来事を常に与えてくれている

人生は不思議なことに、あなたの内面的成長をサポートする出来事を常に与えてくれています。

どういう事かというと、あなたの人生における真実は、あなたに起こる出来事ではなく、あなたに起こる出来事から生じる、あなたの感覚だからです。

これもまたどういう事かというと、大勢の人間に同じ出来事が起こったとしても、その全ての人が同じ感覚、感情を感じるとは限らないということです。

どんな出来事も、あなたの内面と共鳴する仕組みとなっている。

その共鳴が起こらなければ、どんな出来事もただの風のように過ぎ去るだけとなるのです。

そしてこの共鳴は、あなたが、あなたに起こる出来事に抵抗すれば抵抗するほど大きくなる仕組みとなっています。

内面的抵抗です。

内面的抵抗があればあるほど、あなたの人生は窮屈に感じるようになっている。

内面的抵抗があればあるほど、あなたの持つ人間本来の創造力が封じ込まれてしまうのです。

この仕組みを心得ることが出来たら、あなたの人生で起こる全ての出来事を、あなたの成長のために受け止めることができるようになる。

全ての出来事が、あなたの内面的抵抗を減らし、あなたの持つ本来のチカラを解放するための試練となるのです。

これが分かれば人生で良いことも悪いこともないこともわかることでしょう。

人生は今の自分の成長に必要な出来事を常に与えてくれているのです。

YouTube動画を数本ガチで作ってみた感想

たまにはブログでも書いてみましょうかね〜。最近はと言いますと、う〜ん、ちょっとブログには書けないとある実験をしておりまして、それがようやく終わりそう、というところです。ライフ・レッスンの記事は気が付いた時に、そしてできれば毎日書いているのですが、こうして自分のTHE ブログを書くのはおしさしぶりです。いやもうようやく人間の生き方がわかってきたというか、このブレイクスルーにて表現したい「生きる事そのもの」が自分を通じて体現されてきている、というところでしょうか。今まで以上に感覚が統合されてきているのは間違えないのですが、まだまだ自己コントロールが難しいなと感じている今日このごろです。

さてブログらしい事を書こうかと思うのですが、マジで何もないです。毎日起きる時間も変わらないし、食べるものも変わらないし、することも変わらない。幸せを感じるわけでもないし、不満を感じるわけでもない、ごく中性な日々が連続しています。

そうだ、YouTubeね、実際に何個か上げてみた感想は、う〜ん、YouTubeは内容よりも継続性かなという結論。どんな番組でもいつ放送されるかわからない番組だったら視聴者は困るし、もし登録者が本当に僕の動画アップを心待ちにしているとしたら(僕も動画アップを心待ちにしているチャンネルが何個かあるので)、動画アップの感覚が空きすぎると、マジで次いつあげるの?って思っちゃったりして、IR(Investor Relations)と言わんばかりに、VR(Viewer Relations)、つまり視聴者との関係性(信頼関係)が重要なんだと感じました。継続性というか、そう、ここですね。関係性をどれだけ保つかという結論。結局ビジネスと一緒です。連絡遅い人は話にならないし、コミュニケーションが取れない人も話にならないわけです。

やっぱり最初はYouTubeを始めるにあたって、少なからずヒットしたいなとか、次のスーパーユーチューバーになりたいなとか思ったりしてたのですが、やはりそれでは続かないなぁと。当たり前だし、モチベーションの保ち方としては完全に宝くじマインド。当たれ!ではダメ。モチベーションが外に向いてしまうと、絶対に続かない。これはYouTube活動以外にも言えることだと思います。ということでやはり思い切ってガチで動画を数本(米語レッスンだけですが)作ってみて、動画のクオリティもさることながら、マインドセット的にも確実に学びがありました。結局は自分がやりたいかどうか。自分のためにやれるかどうか、ということですね。また創作活動がんばりまーす。

人に当たる時は自分に当たっている

人がムカつく時ありますよね。

何をしてもムカつく。

何をしてなくてもムカつく。

何を言ってもムカつく。

何も言わなくてもムカつく。

そしてその人にあたる。

自分の苛立ち、自分の怒り、自分の不満を人にぶつける。

そういう時ありますよね。

八つ当たりってやつです。

誰でも八つ当たりはしてしまうものです。

八つ当たりは人に迷惑だし、する側もされる側も心地よいものではありません。

される側も理解に苦しむと思いますが、実は人にぶつけている自分の方が末期なのです。

自分の苦しみを人のせいにするなんて、終わってます。

ですので、もしあなたが人に当たっているなと感じたのであれば、それをすぐさまキャッチする必要があります。

他人に当たる自分をキャッチして、すぐに軌道修正をしなければなりません。

自分への苛立ち、自分への怒り、自分への不満を、自分で消化せずに他人にぶつけている自分を正さなければならないのです。

でないとあなたのその苛立ち、怒り、不満は膨れ上がる一方。

人に当たれば当たるほど、どんどん負の渦に飲み込まれていくことでしょう。

自分の感覚は自分で責任を持ちましょう。

欲しがるのをやめると平安が訪れる

人間を生きる中で、不幸、不平、不満を感じる時は、何かを欲しているのにも関わらず、それが実現されない時です。

こうあって欲しい。でも実現されない。

これが欲しい。でも実現できない。

こうなりたい。でも実現されていない。

致し方ないです。

人間は無い物ねだりをしてしまう生き物です。

何を達成しようと、何を手に入れようと、追加できるものは無限に存在しますから、100を欲しがり、100を手に入れたところで、次は1000、その次は10000が欲しくなる。

人間の仕組みですので、否定する必要もありません。

そういうものです。

しかし、この欲求を上手くコントロール出来ないと、QOL(Quality Of Life = 人生の充実感)が著しく低下します。

何を達成しようと、何を手に入れようと次が欲しくなっては、いつまでたっても欲望を追うだけの人生になってしまうのです。

欲しがることは悪いことではありません。

しかしこの欲しがることをやめると、自然と不幸が消え去り、幸せというポジティブな高揚感ではなく、ニュートラルで中性な平安が訪れます。

あなたの感じる原因不明の不満、不幸は、あなたが実際に不幸というわけではなく、あなたの人生が特別に不満なことでもなく、ただ単に欲望という幻想を追ってしまっている無限ループから抜け出せない、というだけかもしれません、というかだけです!

まさかあなたの感じる不幸、不平不満の原因がそれだったとは、驚愕の事実です。