あなたの行動力を封じ込めている本当の原因をあなたは知っていますか?

私たちが動けない理由

私たち人間はやってみたい事が沢山あります。人間として生きている以上、常に体を感じて体験、そして創造力を通じて創作をしたいと思うのはごく普通なことです。

しかし色々な事を理由に自分を制限し、行動に移せるのに移していない人が多くいます。これは一体何故か。どんな原理が働き、私たちを止めているのか。

私たちが動けない理由は「評価」です。評価と聞くと、他人からの評価と思いがちですが、評価は他人からに留まらず、自らを判断する評価も含まれています。

自己評価と他人からの評価の仕組みを理解すれば、この評価という概念は何の役にも立たないただの幻想であることが分かることを理解し、批評に左右されずに行動できるようになるでしょう。しかしその幻想が見えてしまう仕組みを理解しなければ、自分を制限している評価を越えることはできません。

評価という概念を越えると、自由な体験、そして自由な創造が出来るようになります。本記事ではあなたがより自由に生きて、自由に表現できるよう、あなたの行動力を封じ込めている本当の原因について解説していきたいと思います。

行動力が封じ込められる原因1: 他人からの評価

まずは評価の基本である「他人からの評価」について解説していきます。他人からの評価を恐れる時、実際は何に恐れているのか、またはどんな言い訳を作り上げ、その恐れから背いているのか。根本的な原因について探っていきます。

他人からの評価と、後述の自分からの評価で共通となる重要なポイントは、批判と好評も含まれているという事。批判への恐れと好評への欲望は表裏一体。恐れと欲望の原理です。批判を恐れると同時に、好評を欲する。これは重要なポイントなので覚えておきましょう。

他人からの批判

人からの評価を恐れる原理は、自分で自分の価値を決めることが出来ていない場合や、価値が定まっていない時に、他人からの評価に自分の価値を頼ってしまう事にあります。

評価に左右されるという事は、自分の取り組みに自分が納得できていない証。つまり他人にどう見られるか、どう思われるかが動機になっており、自分主体の動機がない状態を指します。

例えば、下記のような思いがあるとします。いわゆる承認欲求と呼ばれているものです。

  • 人から凄いと思われたい
  • 認められたい
  • 一目置かれたい

何事に取り組むとしても、自分第一ではなく、人からどう思われる第一になっている状態と言えます。人にどう思われる第一だと、承認欲求の反対の側面である恐れも同時につきまといます。

  • 見下されたくない
  • 見捨てられたくない
  • バカにされたくない(日本人特有のみっともない精神)
  • 変に思われたくない
  • 偏見の目で見られたくない(もしかするとこんな風に思われるかもしれないなど、実は自分が持つ自分への思考または自分が他人へ持つ思考)

これらも自分第一ではなく、他人ありきの思考である事が分かると思います。

承認欲求の3つはポジティブな要素で、基本的には誰でも持っている感覚ですのでそこまでの問題はありません。しかし問題になってくるのは、承認欲求の反対の側面である批判への恐れの部分です。

批判への恐れの正体

5つの批判への恐れを挙げました。

  • 見下されたくない
  • 見捨てられたくない
  • バカにされたくない(日本人特有のみっともない精神)
  • 変に思われたくない
  • 偏見の目で見られたくない(もしかするとこんな風に思われるかもしれないなど、実は自分が持つ自分への思考または自分が他人へ持つ思考)

これらは一見、人にされたくない事、要するに自分が避けたいような事柄であるかのように聞こえます。ですがここで重大なからくりがあります。この自分がされたくないことですが、実は自分が他人にしてしまっていること、と言ったら驚かれるでしょうか。驚いてください。そうなのです。

恐れるもの、それは自分がすでに持っているものにしか恐れられないのです。

これらに恐れを感じるのであれば、あなたは恐れの内容を無意識に他人にしてしまっているのです。

  • 見下す
  • 見捨てる
  • バカにする
  • 変に思う
  • 偏見の目で見る

自分の思考や感情をよく観察してみてください。するもされるも表裏一体。いずれかの感情が浮上した場合は、自分の中に他人への批判の種を持っているサインです。中性(ニュートラル)に生きる事が大切です。批判をしている暇はありません。自分が自分を第一に考える、自分主体の意識に変えていきましょう。

他人からの評価を越えるために

他人第一意識の仕組みが分かったら、ここで一旦ストップ。大きく深呼吸をして、自問してみましょう。

他人からの評価は本当に意味のあるものなのか。 他人からの評価は、喜び、価値、そして納得を自分に本当にもたらしているのか。 自分はその取り組みに励むのは他人からの評価のためのか。

他人からの評価は他人が決めるものであり、さらに大抵の場合は一瞬で過ぎ去るのが大衆の評価です。それが良いことであろうと悪いことであろうとです。

自分の価値は自分で決める。そうすれば何を追い求めることなく、何に恐れることなく、一生懸命に自分のプロジェクトに取り組むことが出来ます。是非一度自分で答え合わせをしていただきたいと思います。

行動力が封じ込められる原因2: 自分からの評価

他人から評価の仕組みの次は、知らぬ間に自分を制限している自分から自分への評価です。自分を動けなくするような理由をどんどん作り、自分の行動の停止を正当化する。他人からの評価に制限されるよりタチが悪いのが、この自己評価です。勝手な思い込みと決めつけで、あらゆる挑戦を遠ざけるようになってしまいます。

ここからあなたの行動力を封じ込めている本当の原因について探っていきます。自分を制限させてしまう自己評価には2種類あります。幻想型と比較型です。

幻想型

まだ体験したこともない事を頭の中で再現し、勝手なストーリーを作り上げ、それを信じ込むのが幻想型です。そして大抵の場合、作り上げられるストーリーはネガティブな事が多く、行動を制限させてしまうストーリーが多いのが特徴。モチベーションを上げるストーリーはほぼ一切作られないと言ってもいいでしょう。

  • やっても無駄
  • どうせ無理
  • まだ無理

比較型

優越感と劣等感の2つが表裏一体として存在しており、自分が優越と劣等の2つに割れ、比較の意識に留まってしまうことにより行動が制限されるのが比較型です。

  • 自分は優れている/自分は劣っている
  • 自分には能力がある/自分には能力がない
  • 自分は恵まれている/自分は恵まれていない

幻想型: 挑戦を破棄する仕組みを理解する

やっても無駄/どうせ無理/まだ無理 挑戦する前から諦めている時の思考です。挑戦してみたいことがあっても、やる前から諦めてしまうのは何故なのでしょうか。よく考えてみるとおかしな話です。

原因はシンプル。自分を失いたくない。大切な自分の懐を守りたいのです。自分を失うとはどういう事か。まず挑戦を放棄するということを別の言葉で表してみると「現状維持」です。挑戦をしないわけですから、今の状況が続くだけです。

でもここでまた矛盾が出てきます。やってみたい故の挑戦なのに、やりたくない自分も居る。

原因は失敗という幻想です。

失敗すれば大切な自分にダメージ。自分に損傷。自分の喪失ということになります。

自分の喪失に繋がる失敗のダメージとはずばり

自分の行動が報われなかった時のダメージ

です。

自分が覚悟を決め、気合を入れて挑戦するわけです。この取り組みが失敗するとなればこの取り組みが水の泡。自分の取り組みが報われないと言う結果になるのが、自分にとって一番の大ダメージであり、一番に避けたいシナリオになるわけです。

幻想型の自己評価を越える方法

ではこの幻想型の自己評価を越えるためにはどうすれば良いか。

ただ一生懸命に取り組むだけです。何もないところから挑戦するわけです。失うものなんて何もないではありませんか。やりたいならやれ。やりたくないならやるな。やってみたきゃやるだけ。

人生は人として生きると書きます。人にはやりたいこと、してみたいことが沢山あります。それをやることが人生です。実行して初めて見えてくる景色を皆さまにも是非見ていただきたいと思います。

比較型: 行動を制限させる優越感と劣等感の仕組みを理解する

自分は凄い↔自分には何の取り柄もない

誰かより優れていないといけない。誰かより劣ってはならない。これらは優越感と劣等感が生み出す偽装されたモチベーションです。長続きもしなければ、この動機でなされた行動には負のエネルギーが付きまとい、どこか力に欠ける作品となる傾向があります。

宇宙という全体性から創造されたものではなく、自己という断片的な場所から生まれたものは、クオリティというよりも、心に響く「何か」に欠けてしまうのです。

優越感と劣等感を感じる原因

優劣の差を感じることは、他人との比較に起因すると思われがちですが、優越感と劣等感はすべて自分の中で行っています。優越感だろうと劣等感であろうと、他人と比較しようと自分で思うだけだろうと、優劣は自分でしか感じることが出来ないのです。

では優越感と劣等感を感じてしまう原因は何か。答えはずばり、自分と結果が同一化してしまっている事が原因です。「あなた」が残した「結果」は、誰かより優れていた。誰かより劣っていた。それと同一化しているから、勝ち負けがある。勝って嬉しい。負けて悔しい。優越感と劣等感は、勝ち負けです。

実際、優れるや劣るなどの概念は、この物理世界では避けることが出来ません。あなたはウサイン・ボルト(陸上100m世界記録保持者)より絶対に足が遅いし、ウサイン・ボルトより絶対に日本語が上手です。

しかしこれは概念に過ぎず、優劣(勝ち負け)を決めているのは自分。その結果と自分が同一化しているために、優越感や劣等感を感じるわけです。

自分が足の速さを追い求めていなければ、事実負けていても特に劣等感は感じませんし、日本語が上手な件も事実勝っていても優越感は感じないのです。

比較型の優越感と劣等感を越える方法

ではここで言う「同一化」という言葉はどういう意味か。同一化とは、あなたではない何か、要するに結果が、あなたの一部となってしまい、結果の内容で自分が大きくまたは小さくを感じてしまうという状態。つまり結果で左右される意識状態という事を「同一化」と言っています。

優越感と劣等感は、優劣という事実が問題ではなく、それと同一化してしまっている意識の問題。

優越感と劣等感を越えるためには、自分が何を同一化しているかをまずは見極めること。何かが分かったら、少しずつ自分と結果を切り離していき、一生懸命に自分に取り組むという、結果ありきではなく、自分主体の取り組みに変えていくことです。

あなたの行動力をアップさせるための心得まとめ

  • ただ一生懸命に取り組む
  • 失うものは何もないと知る
  • 評価や比較よりも自分の納得を第一優先とする
  • 結果が自分と同一化しないように気をつける

さいごに

インターネットが普及した今、今までは映像でも見ることの出来なかったような、地球の反対側の人までを見れる時代になってしまいました。それは素晴らしいことで、凄い時代に生きているわけですが、それよりも何よりも怖いのが、インターネットで「生きること」が奪われていってしまっていることです。

人生の一部のインターネットではなく、インターネットが人生になってしまっている。せっかくの人間体験、体を使って感じるべきものが、コンピュータスクリーンに張り付き、行動が制限されてしまっている。さらにそこに映る様々な人を見て比較し、批評に恐れ、劣等感を感じ、行動力が奪われていく。

インターネットは便利なものですが、インターネットがなかったら、もっとみんなは活力に溢れていたのではないかと思ったりもします。しかしこれは「たられば」のお話。インターネットと共存していくため、そしてインターネットで私たちの人生をより豊かに、そして行動力に溢れたものにするため、本日も一生懸命に生きたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

東京は泣いていた

昨日は2月?3月?ぶりに東京に行ってきました。簡単なタイムラインを説明しますと、表参道B4到着が11時半からで、その日大鹿から来ていた半日滞在の世良くんと合流しBlue Bottle Coffeeで30分お茶、その後一人で朝飯をPIZZA SLICEでピザを一切れ食べるもののそこまで美味くなく、食べ終わってキルフェボンでお土産を買いの、大鹿ファームの悟くん出店中の国連大学前のファーマーズマーケット(世良くんはこれの手伝い&家族面会)で野菜をたんまりいただき、そこから野菜を担ぎながら骨董通りに入りフォーナインズ青山でメガネを買い、腹が減ったので骨董通り入り口のTacoBellでクランチラップサプリームを買うもクソ不味く二度と日本でTacoBellを食べないと誓い、その時点で14時半、ジェイと合流すべく表参道から千代田線をまっしぐら、綾瀬駅まで爆睡がこの上なく至福のひと時→綾瀬駅でジェイと会い→ジェイんち→3時間スマブラでボコさせていただく→綾瀬駅前の焼き肉ふたごでジェイとシヨンと最高に楽しい飯をいただき→帰路→松戸まで各駅→松戸から快速グリーン車天王台でございました。お疲れさまでした。これぞ充実!久々に詰まった1日でした。

ていうかですよ。東京の皆様全員マスクを付けていらっしゃいました。当たり前ですよね。世界的大流行の真っ只中ですから。しかしです。それよりもなによりも、全員マスクを付けていらっしゃいますから、顔が見えない訳です。するとどうなるか。人がいるんですけど、人がいないんです。表情が見えない人はもはや人ではない。そう、東京にはもはや人は居なかった。東京は泣いていた。心の交わりがない東京に東京はなく、ただ人に踏まれるだけの東京は東京ではなかった。ただのアスファルト島。そして人々が見る先は、意識の先はスマートフォン。パンデミック、マスク、スマートフォン、東京。そこに誰がいるでしょうか。誰か居るのでしょうか。僕の感じる限り、昨日は誰もいませんでした。仮面を被りマトリックスの世界に入るロボットの群れ。ある意味最先端ですよね。哀しき最先端。まぁ東京と言っても、他の地域からの人が集まる繁華街はこの傾向にあるでしょうね。足立とか十番とか、東京っつってもローカルな東京にはまだ東京は残っているはず。だと信じたい。

スマブラモードから睡眠モードまでの10分で書く

毎週土曜日夜恒例、ジェイとシヨンとのスマブラDXセッションが先程終わりました。今は深夜0時を30分ほど回ったところです。布団を敷き、歯を磨いてさっさと寝ようと思いましたが、寝る前の意識状態は睡眠の質に大きく影響するので、スマブラモードから少しリラックスモードに入るまで、数十分起きることにしました。興奮した状態で眠りにつくと、REM睡眠から先に入りづらく、変な夢ばっかり見て良い睡眠が取れないので。

とは言え頭は回転しておりませんね。ジェイは明日辻井伸行くんのベートーヴェンピアノコンサートに行くんだとか。羨ましすぃ。んで俺は表参道まで野菜を取りに行くというミッションがあります。表参道で野菜とか!マジ意味不明(笑)まぁ明日ちょっとパシャって来るので、その意味がわかることでしょう。メガネも新調したいのでどこか覗いて来ます。

いやねみーわ無理

何が起こっても良いんです

About Timeという映画があります。邦題は「アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜」らしいんですが、愛おしいという表現は青臭すぎだと思いますぶっちゃけ。その映画を確か去年観たんですが、その映画を観て人生マジで考え方変わった、というお話をしたいと思います。

しかし眠いんで簡潔に。主人公がタイムトラベルの能力を持っている、以外は普通の世界なんですが、主人公は自分の思い通りにならないことがある度、タイムトラベルの能力を使い過去に戻り、事を変えてしまうのです。好きな人が誰かに盗られたとかです。それをまず彼は実施して、彼女を手に入れます。それは全然OKなタイムトラベルです。

んでじゃあ何で人生の考え方変わるまでに影響受けた?ってとこなんですけど、映画の後半で出てくるタイムトラベルシーンです。主人公の妹が交通事故を起こします。しかも重大事故。確か一命は取り留めたと記憶にありますが、その交通事故を避けるために主人公は過去に戻り、妹に会い、今日は運転するな!悪いことがあるかもしれないから家でじっとしてろ!と伝えるわけです。そうすれば事故は免れますから。

伝えて「今」に戻ります。主人公はタイムトラベル操作で掴んだ彼女と結婚していました。しかし妹に事故を避けるための伝言を残しに過去にタイムトラベルし、再度戻った「今」、結婚しているはずの家に戻り、奥さんの元へ行くと、奥さんであるべき女性は主人公に気づきもせず、奥から別の旦那さんが出てくる次第。

ひとつの出来事がすべてを変える。ひとつの出来事があるからすべてがある。あなたが今日出掛けたり、出かけなかったり、あることを言ったり言わなかったり、5分遅刻したり、出発直前に車が故障したり誰かに捕まったり。すべての出来事が、そしてこのすべて出来事というのはリアルガチのすべて、今この瞬間に動いている森羅万象の一つたりとも、無くして今があり得ないということです。

言ってる意味、伝わりました?

だから何が起こっても良いんです僕。何がどう繋がるかなんて、知ったこっちゃないっす。

1000日計画

ブレイクスルーに記事を投下し始めて数日が経ち、また違った景色が見えてきたというか、やはり何事も走り始めないと見えてこないものだなと感じています。少なからず勢いに頼っていた自分がいましたが、その勢いは最初のスタート音だけで、あとは自分の意志にかかってくる。色々とチャレンジしてはやめ、チャレンジしてはやめでしたが、今回ばかりは俺はやり通したいと思う。というかもう流石に真剣にならないとヤバい。リアルガチでそう感じています。

中日の谷繁元信が、自分の素質に頼りっきりで30近くまでプレイしてきたものの周りの急激な成長を目の当たりにし、「これはマジで真剣にやらんとヤバい。クビになる」と思ったように。

体操の田中理恵が、自身が体操一家に産まれたことを悔やむようなふて腐り具合で練習に励んでいたところに、弟くんが「そろそろ真剣に体操練習したら?いつまでダラダラやってんの?」と言われたように。

1000日計画や1000日計画。長嶋や松井や!おれの人生こっからじゃい!

勉強の秋!

今日はひんやりだった〜。朝はキリリ。昼は秋晴れも風は冷たく。今日で9月も終わりで、明日から10月か〜。9月は夏が被るけど、10月は完全に秋!食欲の秋!っていうけど、最近はマインドフル・イーティングをしているせいか、そこまでガチで腹減った!とか、たくさん食べたい!みたいな食欲は無い。むしろ食べなくていいなら食べたくないくらい、かなり高燃費モードです。気持ちは食べたいからお茶碗にバッとよそるんだけど今日の昼なんて残しちゃったし。さっきも夜飯食べたけど、なんかサクッと終わり。何ていうの、食といい距離感を保ててるって感じ?がっついてもいないし、嫌いなわけでもない。自分でも超がつくくらいヘルシーだなって感じてます。

でも恒例の鼻ムズムズが今朝から復帰。特に何をした記憶もないのですが、マージで鼻水が止まりません。寒暖差アレルギーか?よくわからないけど、日によって状態が違ったりするから本当に本当の原因がわからない。今も一房1500円のシャインマスカットをほうばりながら鼻の穴にティッシュを詰め込んでいる次第。マジやってらんねーぜおい。こういう時は寝るに限る!のだが、これが全く眠くない。う〜んうそ、眠さを感じ、今日という1日を終える兆しを感じたからこいつを書いているわけですから。

う〜んシャインマスカットより俺は巨峰派かなぁ〜わりぃけど。全然うまいけどね。

そう、それで今日は何を思い何を感じたかと言うと、暇すぎるんでちょっと勉強したいと思います!ブレイクスルーの1日1記事アップのノルマなんだけど、ごめん余裕すぎちゃって、朝10時くらいにはもう終わっちゃうのよ。んでもってクライアントワークもちょっと今少なめだから追われるものもないということで、自身のアップデートをしてみようかな、って今日思った。まだ知りたい技術がありまくる。とくにJS。どこまで行けるのか、明日から勉強の秋!スタートします!

幸せになるとは何か?幸せについて本気出して考えてみた

人に生まれてきて、誰もが望むこと、それは幸せになることです。より幸せな人生を送るために、僕たち人間は、毎日仕事や趣味などの活動に取り組み、日々の向上を意識して生きています。

それでも一向に幸せになれない。一生懸命計画を立て、実行し、日々努力していても、瞬間的な満足しか得られず、空虚感が膨れ上がる一方。こんな毎日を送る中、何が幸せ(満足)を妨げているのか、自問する日々が続きました。

自分には何が足りないのか。
自分の人生を良くするにはどうすればいいんだ。
今までの努力は無駄だったのか。
辿り着いた場所はここか?

何もかもが幸せからかけ離れていて、空虚感と絶望感、無力感から怒りの感情が込み上げてきます。

幸せになるためには「もっと」こうすればいいんだ!

今までの行動が足りなかった。まずそう結論づけました。

幸せを感じないのは自分の取り組みが甘いせいだ。もっと自分を追い込もう。もっと出来なかったことをしよう。そう思いました。

もっと計画的にならないといけないかもしれない。
もっと頑張らないといけない、努力が足りないのかもしれない。
もっと周りに優しくならないといけないのかもしれない。
もっと協調性を高めないといけないのかもしれない。

もっとこうした方が絶対いい。
もっと素晴らしい人間にならなくてはならない。

自分に足りないであろうことをとにかく意識し、それらを補えば幸せが付いて来る。そう信じて行動に移してみたのです。

「もっと」の根本は欠落感

人は向上心が大きな原動力となる動物ですから、自分の改善すべき事がわかることは、素晴らしいことです。しかし、この「もっと」どうにかしなければならないという意識には大きな落とし穴がありました。

それは何かと言うと、その「もっと」が、自分の欠落感を強調してしまい、その「もっとこうすべき事」が出来ていない自分が、自分をもっと嫌いにしてしまうのです。幸せに近づいているどころか、幸せから遠ざかっている。これでは幸せのための意図、計画が逆効果。別の角度からの自分のあら探しになっている事に気づきました。

この「足りないことを補う」ことが「幸せ」には繋がっていないというヒントを得て、「幸せ」に対する考え方、意識の仕方を見直すこととなったのです。

そして次に考えたのが、今までに積み上げてきた自分の人生における実績や選択は、今の幸せに繋がっているのか、という疑問です。

自分が持っているものと満足(幸せ)は直結しない

自分のあら探しはやめました。もっとを追求することもやめました。じゃあ今までに自分の積み上げてきた物は自分に幸せをもたらしているのか。また別の角度から自問することにしました。

今この文章を書いている自分は29歳ですが、29年も生きているとなると、どういう基準で事を言うかどうかは別として、ある程度の経験や知識、人脈、人生は築き上げてきたつもりです。

家族に恵まれ、幼少期はあるがままに過ごし、10代からは海外留学を経験し、英語も習得。仕事の面では、ハタチ過ぎから独立起業して、そこそこの実績を残しました。

恋愛経験は豊富ではありませんが、決してブサイクでも全く異性から好かれないわけでもなく、22歳で早くも結婚、子供も授かりました。しかしその結婚生活も幸せは長く続かず、幸せだと思ったことが幸せではなく、お互いの幸せのために離婚するという決断を下したものの、それも別に今の幸せに繋がっているとは思えません。

「もっとこうなれば良い」という未来への期待。
「ずっとこうして来たのに」という過去への執着。

どちらも自分の幸せには繋がっていない。 でも今が幸せじゃないから、未来と過去に頼るしかない。 でもどちらも無理だった。

じゃあどうすればいいのか!?
チェックメイトです。

どこに自分の満足、そして幸せがあるのかがわからない。
探す場所がなくなってしまったのです。

未来と過去には自分を幸せにする要素がない

未来と過去には自分を幸せにする要素がないのかもしれない。人生今しかないとは良く言ったものです。

過去は過ぎ去ったことだから関係ないし、未来が自分を救ってくれると勘違いしていれば、ランニングマシンで体力を消耗し続けるだけで、さらなる不幸感を生むのかもしれない。

人生が有限の時間であり、時間という概念から過去と未来を取れば、今が残る。 今が幸せでなければ、一瞬の快楽だけを求める生き方になってしまう。 幸せを過去の実績に頼っても、それは過ぎ去ったものに執着する生き方になってしまう。

それでは幸せな人生とは言えないと思いました。

幸せについて本気出して考えてみた結論

この考察のまとめとして、僕なりに辿り着いた結論はこうです。

「不幸」=「今を直視できない(過去と未来に頼る)」ということであれば、
「幸せ」=「今という一生付き纏うこの一瞬と共に在ること」なのかもしれない。

ではこの幸せの度数を高め、この瞬間感じる歓びに深みをもたらすにはどうすればいいのか。

これこそ人生という幻想を健全に生きるための最大の課題です。

今とどう仲良くなって、今の質をどう高めていくか、という課題です。

※この記事は、2019年2月26日(当時29歳)、著者が2018年末にパニック障害を患い、療養のため山村に滞在していた際、自分のノート(Evernote)に収めた「幸せになる」というノートを編集、投稿したものです。

2年前の今日死んだ

何事もいつ火がつくかわかんねぇーな。かつてついていた火が消え、またいつか火がつく。このブログもなぁ〜マジでここ数年間なんも書いてなかったしなぁー。良いんです。いつだってやりたい時にやってみればいい。それが人生ってもんです。ブランク?んなもん関係ない。今しかないですから。ふふふ。

今日は9月の29日ですか。忘れもしない。2年前の今日ですよ。大鹿の山奥で大大大パニック発作!秋の収穫祭に合わせ、僕の分身ジェイとジェイの兄貴シヨンと大鹿に行ったんです。確か到着した当日か翌日かの夜。ブラックホールに飲み込まれるような感覚と言えば良いのでしょうか。この世の終わりと言わんばかりの最大級の恐怖という感情に飲まれ、死をもがきながら拒絶する反応。パニック発作に見舞われました。これを書きながら思い出し、ちょっと怖くなってくるレベルのものです。

呼吸は出来ないわ心臓はバクバクだわ今度は過呼吸になって両腕は痺れ始めるわ叫び果てるわ。寝室で母親に成仏されると言わんばかりに恐怖と一騎打ちです。母親はスピリチュアルマスターですから、これは翔樹は悪霊に取り憑かれたとでも思ったのでしょうか、苦しむ俺をひたすらぶっ叩く訳です。もちろんぶっ叩いてもらって良かったです。五感をできるだけ感じないと持っていかれる(あの世に連れて行かれる)とマジで思っていましたから。

そのパニック発作は、第一波が一番デカかったです。3.11三陸沖地震みたいな感じ。一発目が来て、余震があったでしょ?それもあったんよ。そっから1ヶ月位毎日、徐々にマグニチュードが収まっていく感じで。最初の発作は本当にやばくて、マジで翔樹ブッコワレ。おれ終わったって思った。まぁある意味終わったんだけどね。

でもパニック発作の最中、色々な念が回りました。調子こきすぎたとか。ふざけすぎたとか。ごめんなさいとか。許してとか。お願いやめてとか。要はチェックメイトですよ。終わり。逃げ場なしw 翔樹くん、おつかれっしたw ってね。

あの夜から2年ですか… 信じられないです。でもそのお陰で2018年10月から2019年4月までの半年間、大鹿に療養滞在することとなり、ハルトと多くの時間を過ごすことが出来たり、ティムやサイモンさん、フランスで画家として活動しているアンコとの出会いがあったりと、色々と運命的な運びがありました。これには物凄く感謝しています。

いやしかしその俺が叫びもがき苦しんでいる中、ジェイと他の連中は襖越しに爆笑しながら花札をやっていたとは驚きです(ワラ

後にジェイに「あの時どーだった?」と聞いたら、「いやーヤバかったよ。コイツおかしくなっちまったわ。って思った」って言ってました。

地を這うよう道を進む

書いて〜書いて〜書きまくれ〜。追い抜け追い越せ引っこ抜け〜!子供の頃国語が一番苦手だったとは思えないくらいの要領で書きまくっている毎日です。何と今日は英語でまで書き始めたっつーくらいの勢い。別にこれと言った目標は無いんだけど、人の役に立ち、人が集まるサイトにするために土壌を作り、種を植え、芽を出し育ててみたいなってところです。実験的でもあるし、インターネットと共に育ちWeb制作を職とする自分にとって、やはり一度は観てみたい景色、それが月間300万PV(ページビュー)なのです。そのためには単純計算、ひと月に1万人の役に立つ記事が300件あれば、300万PVが達成出来ます。うむ。そうだ。確率を上げていくしかないんだ。日本語であれば市場が日本国だけですから計算しやすいですけど、爆発させるには英語での記事制作が絶対必要です。

っつーことで!こんなどうでもいい俺のブログなんか書いている暇ないんです!うそ、ごめん、どうでも良くないです。ここでこう自分の思っていることを書けるから、日々事を続けられるのです。

あと最近気づいた事。1日2食+おやつの食生活がめちゃくちゃ調子がいい。朝はキレるし、昼も軽いし、寝る前には落ち着く。夜ご飯も6時台に済ませれば寝るまでまた書けるしね。

ちなみにやっぱり人生って自分で体感しないとどんな言葉も自分のものにならないっていうか、人生小さなことの積み重ねって言うじゃん?それって今やっと感じることが出来ていて、何ていうか、人生って別になんも華やかじゃないっていうか。大きな仕事をするとか、大役を受けるとか、成功者とか色々想像すると思うのよ。こんな生活になるんじゃないかな的な。でもそう見える人ほど、地道な作業を人一倍こなしている。

地道とは良く言ったもんよ。地を這うよう道を進む。地球人は地を這ってなんぼ。舐めるように地を這い進んでいってみようではありませんか!

ダメゼッタイ!このIT時代を生き抜くために「してはならない」5つのこと

皆さん!スマホとインターネット、まさか赤ちゃんのおしゃぶりみたいな感じで毎分毎秒しゃぶりついてないですよね?大丈夫ですよね?w

いや、この便利なスマホとインターネットですが、便利さよりも人間を堕落させているようなケースが増えているようなのです。

インターネットが始まり、そしてこの2020年であのGoogleは22周年を迎えました。しかし2010年から2020年までの10年間の進歩はその前の10年よりもさらにスピードを増し、テクノロジーは脅威を振るう一方です。

ダメゼッタイ!このIT時代を生き抜くために「してはならない」5つのこと

この記事にこのタイトルを付けた理由は、スマホとインターネットがある種新しいドラッグ(麻薬)になりつつあるからです。私たちの体を蝕み、感情のセンサーを鈍感にし、人間力が吸い取られていくのです。

皆様であれば御存知の通り、様々な悪影響が報告されています。集中力が散漫になるADHD。現代病と言われるうつ病やパニック障害などの精神疾患、つまり脳を起源とする症状。体にももちろん影響があります。自立神経失調症、花粉症、便秘や過敏性腸症候群などの慢性疾患や、皮膚病などの自己免疫疾患。これらの病気は昔には存在していませんでした。

ではいつどこで人類は進路を間違ってしまったのか。

いいえ、進路は間違っていません。

自らが作り上げたテクノロジーが凄すぎて、自らに対応することが出来ていないということなのです。

多くの要因はありますが、まずは今日から出来るこの「テクノロジーとの付き合い方」として、このIT時代を生き抜くために「してはならない」5つのことを紹介したいと思います。

YouTube観ながら食事

「それじゃ食っていけない」

どこかで聞いたことがあると思います。

食う=稼ぐ という意味ですね。

それじゃ稼げないという意味です。

いわゆる比喩を使った表現なのですが、「食べる」ということは、人間が生きる上で非常に大切なことであるからこそ、「食っていけない」というような表現になったわけです。

ということはです。食べることは非常に大切なこと。食べることは、人間を飢餓から守るための大事な行動なのです。

なのに今となってはテレビを観ながら食事。YouTubeを観ながら食事。Netflixを観ながら食事。

一番大切な行為なのに「ながら」ですか?

食欲は人間の三大欲求のひとつです。三大欲求とは、睡眠欲、食欲、そして性欲のこと。

何かしながら寝ますか? 何かしながらセックスしますか?

そういう事です。

観ながら食事がもたらす悪影響

自分の意識が、テレビやYouTubeなどに向いている状態でご飯を食べるとどうなるか。

食べる行為の他に、視覚と聴覚そしてコンテンツ楽しむという感情が同時に発生します。頭が混乱してしまいます。食べているのか動画を観ているのか、どっちに体のモードを切り替えていいのかわからなくなってしまうのです。

咀嚼回数も減りますし、唾液の分泌も減ります。

消化は胃から始まると思いがちですが、実は消化は口、つまり咀嚼から始まります。消化という全体のプロセスの一番最初の大仕事、食べ物を細かくするという作業が口で行われる訳ですが、これを「ながら食事」でやってしまうと、食べ物が細かくならないまま胃に運ばれてしまいます。さらに胃での消化を助ける唾液も分泌されないまま運ばれてしまいます。

すると胃から先の消化器官、十二指腸、小腸、大腸のバランスがすべて崩れてしまうのです。

このアンバランスさが引き起こす機能不全は人によって変わるようですが、便秘や下痢、食欲不振または増進、肌荒れなど、いわゆる自立神経失調や自己免疫疾患が引き起こされるのです。

この記事を読んでくれているあなたが、改めて食事と食べる行為そのものの大切さに気づき、あなたの噛みしめるご飯の一口を、全身全霊で感じながら食べていただけるようになってくれたら嬉しいなと思います。

スマホと寝る

スマホは別部屋で。アラームは目覚まし時計で寝ましょう。

まず寝る前のスマホチェックはダメです。寝る前のYouTube鑑賞に、SNSチェック、ニュースチェック。画面を見ながら睡魔を待つという不思議な行為。スマホの睡眠管理アプリを起動しながら寝て、睡眠から目覚めるのはスマホのアラームが鳴ってから…

さらに続きます。スマホのアラームが鳴ってもスッキリ起きれるわけでもないので、スヌーズをタップ。布団でぬくぬくしながら夜間に見過ごした通知一覧をチェック。5分後10分後にやっと起きたと思ったらYouTube鑑賞をスタート。SNSをチェック。ニュースをチェック。やばい出発の時間だ。起きよう!

慣れてしまうと、このようにスマホと一緒に寝てスマホと一緒に起きるというサイクルを繰り返していても何も感じませんが、スマホを知らない人にとって、このようなサイクルは正気の沙汰ではありません。異常です。

スマホと寝ることがもたらす悪影響

  • 睡眠の質が下がりまくる
  • スマホ依存症になる
  • 思考をOFFにすることができなくなる
  • 生活は一人なのに幻想の他人を作り上げてしまう
  • 人生のツールであるべきスマホが、人生になってしまう

スマホはもう私たちの生活の一部、常識となってしまっています。スマホやインターネットはもちろん毎日使うもので、便利で素晴らしいものですが、寝る時ぐらいは別の部屋で充電させて寝ませんか?寝る時ぐらいはスマホちゃんにも休んでいただきましょ?

無駄なニュース/SNSチェック

情報収集をしたい。そう思ってニュースやSNSをチェックしているかと思います。情報収集という明確な目的があれば良いですが、今というこの瞬間がつまらないから、とりあえずスマホをチェック!という習慣となっていたらヤバいです。

自分よりも、あなたに一切関係ない他人や世の中で起こっていることが何故か大切になってしまっています。別に大切ではないかもしれません。でもよくわからないけどチェックしたい。要するに無駄な情報中毒になっているのです。

タバコと一緒です。ニコチン切れで吸いたくなる。スマホも刺激不足でチェックしたくなる。必要以上のスマホチェックは、思考を鈍くさせ、人生のクオリティを下げるので要注意です。

無駄なニュース/SNSチェックがもたらす悪影響

  • 集中力散漫
  • 情報オーバードーズ(過剰摂取・役に立たない情報のインプット)
  • 比較や嫉妬が生まれる

ゲームやりすぎ

ゲームはやっても良いと思います。気分転換のためのゲーム、友達と楽しむゲーム。どちらも素敵です。ただ、大人になってからのゲーム没頭はちょっと危険性を伴います。

ゲームをやる以上、その時間は楽しさという価値と引き換えに、全く意味をなさない時間となっているということを忘れてはいけません。あなたがゲームをしている間、頑張って作業を積み重ねている人がいることを忘れてはいけません。

ゲームをやる以上、あなたがあなた自身に対する文句を言う権利は無くなる、ということです。

ゲームやりすぎがもたらす悪影響

  • 人生がつまらなく感じる
  • 自分のやりたいことがわからなくなる
  • 時間はあっという間に過ぎ去る
  • 何も残らない

エロ動画見すぎ

人間の三大欲求の3番目、性欲からの衝動で観てしまう、みんな大好きエロ動画です。インターネットアクセス全体の1/3がエロ動画サイトというのですから、人間がどれだけエロ動画が好きなのかが良く分かります。

しかし本当のセックスが自炊した美味しい食事だとしたら、エロ動画はジャンクフードに値します。毎日食べるものではないし、たまに食べるから美味しいのであって、毎日食べていたら太るわ味覚はおかしくなるわ、頭はおかしくなるわでもう大変です。

無駄なニュースチェックやゲームと一緒で、スマホからいつでもどこでもこのジャンクフードにアクセスできちゃうから困ったものです。

観てもいいです。やめろとは言いません。でも週1くらいにしてください。

エロ動画見すぎがもたらす悪影響

  • ​性機能不全になる(実際の行為で勃たない、濡れない)
  • 裸体オーバードーズ(過剰摂取・裸の見すぎで脳がひん曲がる)
  • 異性とのコミュニケーションが苦手になるまたは避けるようになる
  • 誰にも潜入されないプライベート空間、時間に中毒になる(誰にも何も言われない娯楽は快感と変わります)

すべてをいっぺんにやめるのではなく、「無意識な行動」を「意識的な行動」に変えていきましょう。

紹介した5つのことは、どれも悪いことではありません。それが無意識に行われてしまう、つまり自分が制御できない状態にあることが問題なのです。

そしてすべての無意識な行動の根本にあるのが「現実逃避」です。

もし自分が紹介した5つのどれかをしようとして、それが意識的にしたいことなのか、もしくはただ現実逃避したい(今を紛らわせたい)だけなのかを感じてみると良いでしょう。

無意識を意識的に変えることで、心技体すべてがクリアになり、より質の高い取り組みが実施できるようになるはずです。