Mindful Eating

インフレから復活した頃には、胃の調子も復活してたので油断してました。前から記録している胃酸過多症、ぶり返してきました。どうも胃の調子が悪いと全体的に優れないもので、どうにか治そうと色々リサーチをしてみました。対症療法ではなく、根本的に治したいということであります。調べてみると、食生活やらストレスやら、まぁどんな病気でもそりゃ食生活やストレスだろ!って感じで、どのサイトを見ても同じような事しか書かれていないのです。万事休すと思いきや、得意技のYouTubeで検索してみると、16分ほどに渡る長い動画で、胃酸過多症や逆流性食道炎についてレクチャーされているオバちゃんを発見!観てみたところ、完治へ向けてのヒントを入手することが出来ました。要するに、この逆流性食道炎やら胃酸過多症やらは、「しっかり食べていない病」だったのです!そもそも昨今の現代病と呼ばれる病は、現代病と言われているくらいですから、ここ数百年以内によく見られるようになった病気、ということがわかります。ということは、人類、いや文明の進化と成長こそが、これら現代病の真の原因なのです。つまり「人間離れ病」もしくは「今にいない病」と言えるでしょう。話を戻して「しっかり食べていない病」の件ですが、レクチャー動画でそのオバちゃんは、食べる時はしっかり噛んで食べろ!と連呼。さらに「ながら」をやめろというのです。「ながら」とは、テレビをみ「ながら」とか、スマホをいじり「ながら」、YouTubeを見「ながら」、ご飯を食べるのをやめろというのです。これはごもっともで、自分も少なからず分かっていた悪い癖(最近は特にYouTube見ながらとか、ドラマを見ながらが多かった)だったので、改めて自分を見直すきっかけになりました。それで今朝の朝食から早速「ながら」食事をやめ、しっかり噛んで食べることを意識しながら食べ始めてみました。朝食は昔から軽めで、本日の朝食はクロックムッシュ一枚だったのでよく噛んで食べることは苦ではなかったのですが、苦戦したのは夜ご飯です。もうちょっとで賞味期限切れとなりそうだった豚バラがあったので、豚キム&冷しゃぶを調理。さらに昼食に作っためかぶとワカメと豆腐の味噌汁にご飯一杯という献立だったのですが、まぁ〜よく噛んで食べてみると、「あー俺は今まで食べていなかったんだ。ご飯を飲んでいたんだ!」と思うくらい、顎の筋肉が痛い!痛いってのは、使わなすぎな筋肉なために、かなり鈍っているのです!顎の筋トレかっての!そんくらい顎の筋肉が痛かったです。知る人ぞ知るあのティク・ナット・ハンの言葉を思い出しました。Mindful Eating. マインドフルイーティング。意訳しまして、「完全に意識して食べること」です。食べること、それがあたかもその瞬間に課された私たちの最大の使命であるかのように、食べる。箸を掴み、持つ。茶碗を持つ。箸を使い、ご飯を食べる。匂い、香り。色、熱。咀嚼から飲み込むまでの過程。自分の意識をすべてにつぎ込むのです。それこそ本当の食への感謝であり、敬意なんだなぁと思えた日でした。ちゃんちゃん。

春の美しさ

マンデーからフライデーまで、しっかりと毎日書けたのは久々な気がします。どうでもいいこのブログですが、どうでもいいことをこうして毎日続けられることは素晴らしいのです。今週を振り返ってみると、至って普通に有意義な一週間だったのですが、インフル明けということで、こうして元気に生きられる歓びを今まで以上に感じられた気がします。そして春を感じられた一週間でもありました。ジャケットなしで散歩出来た日もありましたし、徐々に暖かくなってきて、近くの公園の桜も満開!公園の花壇にはパンジーとチューリップが咲き誇り、今朝は特にパンジーの香りが公園中に漂っていて、ちょっと感動w 本当に幸せとか歓びは、こういう身近な自然にあるんだろうなと改めて感じた瞬間でした。花の香りこそ春の香り!昨年の春はこんなこと感じたことなかったと思います。花の香りなんて・・・。いや、でもわからないです。一年というサイクルは、ちょうどいい感じで毎年新しく感じられるようになっているのかもしれません。だから毎年毎年、同じ季節が繰り返されるのにも関わらず、何故かどこか新鮮さを感じられるのでしょうね。
その香りがやばかったパンジー花壇の写真貼ります。あとその他もろもろ。
Have a great weekend folks!
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パンジー花壇
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庭で取れた春キャベツ
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さくら
てか初めてiPhone 6s Plusで撮った写真パソコンに取り込んだけど、画質良すぎw

セブンパークアリオ柏誕生

セブンパークアリオとかいう巨大なショッピングモール/レジャー施設が、今月25日我が隣町の柏に出来るとの情報を入手しました。入手とは言っても、だいぶ前から噂は聞いていたのですが、とうとう今月末にグランドオープンを控えているということで、いよいよだねと言わんばかりに、話題に上がるわけです。なんだか知りませんが、ショッピングモール激戦時代に突入しているようで、柏そごうの閉店を始め、ショッピングモール/デパートなどの大型集合店舗施設業界では色々な動きがあるようです。セブンパークアリオ柏、千葉ニューのBIGHOPみたいな感じに出来上がるのかなと想像しておりましたが、まったくもって違うようで、スポッチャはあるわ公園、ドッグランはあるわ、200店舗が入るモールがあるわで、かなりダイバーシティ豊かな総合レジャー施設なんだそうです!地元民としてちょっと楽しみであります。(興味ある方はこちらの記事を読んでみてね)
それとそれと6月にもしかしてもしかして第2の故郷ロスアーンジェルスに遊びに行っちゃうことになるかもです!WOW!!!AMAZEBALLS!!!ちなみに第1の故郷が東京で、第3の故郷が現在地の我孫子ですw 明日はフライデー!久々に毎日記事が綴れて気持ちがいいです。では。

心地悪さは20時間

いやぁ~勉強が全然足りん。足りないもいいところです。まだまだ頭がフロントエンドなんですよね。ちょっとでもバックエンドになると頭がこんがらがる。簡単なPHPスクリプトをカスタマイズしてみたけれども、どうも素人感が消えないし、どうも無理矢理感があるコードになってしまうんです。でもそれはそれで勉強する余地が沢山あるということなので、全然嬉しいことでもあります。Webのプロフェッショナルとして、今年は大きなステップアップをしたいと思っているので、どんどんどんどんわからない事にタックルしなきゃですね。他言語を覚える時も同じです。最初は全くわからなくても、徐々に分かってくるのです。心地よくはないですけどね。この心地悪さと友達になれないから、みんな英語習得で挫折するんです。わからなくて当たり前なんです。その心地悪さを心地悪さと感じずにすむのが、やはり幼少期に現地校にぶち込まれる、ってことなんでしょうね。気づいたらわかるようになっているんですから。でも大人になってからはもうあたって砕けろと言わんばかりに、その心地悪さとタイマンを張るしか、上達方法はないのです。TEDトークで誰かが言ってましたね、何でも新しいものを学ぶ時は、最初の20時間が勝負だと。要は何を学ぶにしろ、心地悪さは最初の20時間だけだ、ということなのです。意味通じてますかね?w そもそも日本国の現代人の好奇心は、他国に比べてかなーり劣るようです。もっと学びましょうよ。もっと「なんで!?」を意識しましょうよ!

道明寺餅が食べたい!

さくらと言ったらウグイスです。聞きました。今日。公園で。ウグイス。ホーホケキョ。かなり連発してましたw しかし和菓子屋の孫として生まれた僕は、やはりこのシーズン、和菓子を食べずにはいられません。さくらもちとウグイスもち。最高です。さくらもち、実は2種類あるってご存知ですか。生地にあんこをくるんだタイプと、道明寺餅(写真左)の2種類です。僕のおじいちゃんは通常のさくらもちしか作っておらず、道明寺餅は実は帰国後に知ったのですが、皮肉なことに道明寺餅が僕のFavoriteなのです!道明寺作っててくれよーってぶっちゃけ思いました。何故作っていなかったかは謎です。それにしてもこのさくらもち、皆様さくらの葉は食べる派ですか?取る派ですか?取る派の方、出直してくださいw あの塩分を含んだ葉とあんこが絶妙なハーモニーを生み出すのではありませんか!あーこんな事を考えていたらリアルに和菓子が食べたくなってきました。もしかしたら明日の昼にでもちょちょいと和菓子屋ドライブに出掛けてしまうかもしれません。ちなみにこの我孫子の地から最寄りで我が家が唯一認めた和菓子屋は、龍ケ崎市にある国華堂というお店です。かりんとう饅頭とどら焼きもオススメですね。ちなみにこの国華堂、あの鈴木奈々ちゃんのサインが飾ってありましたw そういえば鈴木奈々さん、龍ケ崎出身だそうですw 茨城の宝や!マジでウケちゃいますね。ということで和菓子が本当に食べたくなってしまったところで失礼します。

さくら

今日から1週間前にインフルエンザに感染しました。潜伏期間は約1週間らしいので、本日でようやくウィルス全退治というところでしょうか。今日は月曜日ですし、4月になりましたし、気を取り直して人生取り掛かりたいと思います。このブログ執筆も一緒にね!ったく人生本当に大丈夫かって気がしてきますが、どうにもこうにも生きなければなりません。文句を言うのはタダ。死ぬのはダメ。ただそれだけです。それにしてインフルエンザで寝込んで、復活した頃には外がもうそれは別世界、そう、春が来たのであります。公園の桜は満開。今日は夕方から風が冷たくなってきましたが、あの薄ピンクの桜、やはり日本人の心になにか語りかけてくるのでしょうか、心が和みます。卒業シーズンはもう終わってしまいましたが、さくらのシーズンは正に今ということで、森山直太朗のさくらを久々に弾いてみました。2003年リリースの曲ですから、10年以上経っているものの、比較的新しい曲なのですが、さすが森山良子の息子だけあって、いつ聴いても古くなりません。完成度が高過ぎるのです。他にもケツメイシのさくらとか、いいですね。あとはガチ日本民謡のさくらも好きです。やっぱり日本人はなんだかんださくらなんですね。さくら国家ですよ。さくらバンザイ!

インフレ

インフルエンザやりました。月曜日、病院から戻った午後から本日昼まで、寝込んでました。今も関節・筋肉痛がありますが、やっとデスクに座れるくらいに復活してきました。インフルエンザ、言うのは簡単だけど、実際にやると、そりゃ地獄ですね。辛かった。とりあえず復帰目前の投稿です。

誰でも長く生きたい

やべぇやべぇ。記事アップが出来ておりませんでした。いやしかしここ最近は本当に命と健康の大切さに気付かされる事や、その他気付きを伴う出来事が多々起きております。まず僕の鼻炎と逆食から始まり、今度は母由紀子のインフルエンザに、ハルトの発熱です。人間、どんなに良心的に生きていようと、病からは逃れることが出来ないのですね。さらに人生何を成し遂げようと、体調が良くなかったらやっぱりダメなんです。実は今日、僕の逆食の症状が収まらないので、我孫子市役所の隣にある名戸ヶ谷あびこ病院に行ってきたんです。名戸ヶ谷あびこ病院は昔は東邦病院だったのですが、ここ最近リニューアルオープン。施設も綺麗で、僕の病院エクスペリエンスの中では良好な方でした。それよりも何よりも、自分の体調が本当に悪くなるまで、人は病院なんていらねーなんて言うんですね。人って僕のことです。僕は昔から病院嫌い薬嫌い。薬局嫌いでした。でもそれは僕自身がそこまで致命的な体調不良に陥ったことがないからで、これと言った理由なしに、嫌いと言ってきたのです。おそらく10歳の時になくした爺ちゃんが入院した時の思い出が、悪影響だったのかもしれません。病院なんてロクなもんじゃねーと。今日は久々に病院に行って、血液検査・心電図検査など色々としてもらって、結果全く異常なしで、月曜日に胃カメラを飲むことになったのですが、こう思ったんです、人間は誰でも健康で在りたいと思うんだなって。人間は誰でも長く生きたいって思うんだなって!これからは散歩から帰ったら手洗いうがい、消毒、そして部屋には加湿器を設置などなど。しっかりと健康に気をつけるようにしたいと思えるようになりました。僕は変わりました。

RIP Tetsuo

同じビーグルを飼っている友達、ミネキさんから連絡がありました。14歳、4月で15歳を迎えようとしていたビーグルのテツオが、今日の昼、お亡くなりになられたのだと。あと数年はいけるんじゃないかと僕は思っていたのですが、案の定の本日逝かれたそうです。死。それは生命を司る生き物は、誰として逃れられたことのない絶対的なエンディングです。死は悲しいと捉えられがちですが、ある国では、死は生無しにはありえないことであるため、死と生は同義とされ、死を盛大に祝賀する、という文化があると聞いたことがあります。そして僕も何回か述べたことがありますが、自分以外の死は、残された生命にとって、人生の分岐点となる可能性を秘めています。今夜は黙祷です。Rest In Peaceテツオ。

「僕の東京」

未来は過去のレプリカであり、過去も未来のレプリカであるらしいです、今に生きない限り。それが真実かどうかは別として、やはり好き嫌いはかなり過去に左右されているものだと思います。たまに聞きますよね、女の人が好む男性はその子の父親に似てるとか、男なら母親とか。今日は連休明けそうそう都内へと出向きまして、六本木一丁目駅下車の、地図上の赤坂一丁目にある赤坂アークヒルズのアーク森ビルに行ってきました。少し歩けば溜池山王駅に届く場所なのですが、この溜池山王近辺、僕にとって想い出深い場所なのですが、どうも溜池山王近辺、2006年来久々に訪れましたけど、最高ですね!観光やクラブ、そして六本木ヒルズなどの繁華街から離れた「六本木」で邪念が少なく、国会議事堂方面ということもあり、磁場が洗練されているので本当に美しい街なのですが、それ以上に、自分の中ではやはり特別な場所。でも今日、ああそう言えば自分って溜池山王近辺も好きだったなぁって改めて思ったら、別に本当に好きかどうかは別として、あることに気付いたのです。つまり上野〜有楽町近辺もそうですけど、ただ単に自分が過去にお世話になった場所が好きなだけ、ただそれだけなんではないかということ。上野〜有楽町、新橋も小さい頃に親父に連れ回された場所。赤坂〜六本木も親父に連れ回された場所。広尾麻布は生まれた場所。秋葉原〜御茶ノ水、恵比寿は自分が塾で通っていた場所。鹿浜は育った場所。ご縁のあった都内の箇所が自然と自分の「東京」となっていたのです。面白いですよね〜。要するに想い出のある場所に行くと過去のメモリーとリンクして、その場所が一段とビビッド、つまり鮮明に見えたり、過去の感情が蘇ったりして、余計「好き」だったり、特別に感じてしまうのでしょう。この気付きには我ながら驚いた。人間って面白いねー。