2014/10/12

ボンゴレビアンコ&ロッソ

我が家の食卓では、神がかった料理の才能を持つ母が主に料理をするのですが、パスタ(フェデリーニ、スパゲッティーニとスパゲッティ)の時に限り、僕が料理を担当することになっています。数年前に自分でパスタを調理したのがきっかけで、自然とパスタ料理を進んで作ったり、極めるようになっていたのです。レパートリーはまだまだ少ないのですが、自分でも納得出来るレベルまで上達しました。今のところ作れるのが、アラビアータ(スパイシートマトソース)、ミートソース(ソース作りに最低丸々2日かけます)、ペペロンチーノ(タイミング命)、ツナトマト、海老トマトクリーム、そして今日の記事のタイトルにもした、ボンゴレビアンコとボンゴレロッソです。自分的にはそろそろカルボナーラとかの完全クリーム系ソースにチャレンジしたいのですが、難しいと聞いてまだチャレンジできていません。
それはさておき、ボンゴレビアンコとロッソは、なんでこんなに美味いの!?なんでこんなに飽きないの!?っていうぐらい、自分でも超お気に入りなのです。今まではペペロンチーノを作りまくって(最低100食は作りました)、極めに極めて、食べに食べていました。しかしある日、ペペロンチーノのベースとなるガーリックオイルに、アサリをぶち込み、浦霞(白ワインじゃないですよ。日本酒です日本酒)を使って酒蒸しにするボンゴレビアンコを頂いたのです。いやこれがまたヤバイ。アサリには海のパワーが凝縮されていますので、普通の塩では表現できない奥深い塩気を出すんですね。これは自然界のパワーが入るパスタ料理なので、飽きないんです。これは本当に不思議。それで出来上がった酒蒸しソースに、事前に用意してあるアラビアータソースを入れれば、今度はボンゴレロッソです。
うひょ〜たまらん!

2014/10/10

人の期待を生きてはならない

誰かのことを気にしてしまい、何かをしなかったり、何かしかしなかったりすることが、皆さまありませんでしたでしょうか。人間は環境の生き物ですから、人格は生まれ育った環境によってほぼ100%生成されます。その環境が、誰かの期待に応えなければ痛い目に会う環境だったのであれば、大人になった時、実際の世界がそうでないのにも関わらず、自ら「誰かの期待に応えなければ痛い目に会う」という信念を抱き生きてしまうのです。しかしそれが自分一人だけの話だったら良いのですが、決してこれは一人だけの話ではありません。なぜならば、前述の信念で生きている以上、自分を殺して生きているようなもの。他人の期待を生きるということは、他人の価値観を生きるということ。そう、他人の信念を背負い、他人の人生の責任を負い生きることになるからです。
これは非常に怖い真実であります。
まず、自分100%の表現が出来なくなります。自分の表現の中には、色々なことが含まれていて、例えば趣味だったり好きなことをすることだったり。あとは、自分の素直な意見を伝えることなんかもあります。そして今度は逆に、自分を100%表現している人に嫉妬し、嫌うようになってしまいます。自分も本来同じもの持っているのにも関わらず、です。
もっと分析すれば書き続けられますが、なぜ今日はこのようなことを書いたかというと、自分もその一人だったからです。今日、自分が押し殺してきた何かに、やっと確信を持って気付くことが出来ました。

2014/10/9

卓球HIGH

ここ最近は自分の変化が大きかったもので、ちょいと深イー記事になっておりました。内面的な成長や、人生論を語るのは大好きだし、語ろうとすれば語りまくれますが、さすがに連チャンは疲れますw そして今夜に限ってあまり執筆したいという気分ではないのです!でも書かなくては!ということで今日は簡単なダイアリーです。
僕は基本朝が弱いのですが、最近また朝活をしなければ衝動にかられ、早起きを始めました。今日はアラームがなる前に目が覚めて、8時には起床することが出来ました!朝ごはんは軽めで、味噌汁のお雑煮。と、マッスル北村に影響された生卵2個のプロテインドリンク(笑)、ルーの散歩へ行って、戻って仕事。お昼は韓国風お好み焼きパジョンと、家庭菜園のイタリアントマトを使ったトマトソースパスタを。これがホールトマト缶を超える美味しさでビックリ。そして15時より習慣としているジム通い。今日は背中の日だったのですが、トレーニングの前に、サブアリーナにて一人バスケを少々と、大ママ由紀子とセラケンとバドミントンを45分!このバドミントンがまたキツイのなんの。体力を使っちゃったので、ジムでのウェイトトレーニングは、普段より気合が入りませんでしたが、それでも気合をぶち入れて変わらぬルーティンをこなしました。プリワークアウトにはPRE JYM、イントラワークアウトには、SCIVATIONのXTENDを摂るようにしています。そしてジムの最中に新規ウェブサイト制作案件の電話が1件と、メールにて別件が1件。その他途中報告の電話も1本ありました。ジムが終わった後には、サブアリーナに戻り、今度はセラケンと卓球。なんだけどこの卓球がめちゃくちゃ面白い!昔ちょっとだけやったことがあったけど、そこまで経験があるわけではない。でもなんか集中出来ちゃって、結構リズミカルに打つことが出来ました!集中するって最高ですね。卓球にハマってしまう人の気持ちがわかりました。今度は卓球ファンクラブに入会です〜笑

2014/10/8

お久しぶり

まだ始めてから数週間しか経っていませんが、このブログ執筆を始めてから、僕の人生は変わり始めています。別に今までが悪かったわけではありませんが、やはり18の時に帰国して、そこから日本、それも東京近辺という地で社会人として生き始めてから、それまでは見えていた平山翔樹という魂の力が、どんどん隠れてなくなっていっていたのでしょうね。その魂の力が、このブログ執筆によってまた顔を出し始めてるんです。自分にとっては懐かしい感覚とでも言えるでしょうか。お久しぶりって感じです。小学、中学、高校生の時と、この熱狂的な魂のエネルギーには、必要な時にだけ何度も何度もお世話になっていましたが、2008年に帰国してからは、その感覚と触れ合うことは一度もなく、ほぼ忘れかけていたのでした。でも忘れてはいましたが、自分の中では、何かが足りない!何か歯車が合わない!という不可解な気持ちがずっとあったのは確かです。
魂の力と言いましたが、それは誰もが経験したことのある、「自分である喜び」のことです。僕の魂の力、もしくは生命力は、多分東京の排気ガスに黒く染められてしまったのでしょう。
排気ガスってのは冗談ですが、一人の一般人として2008年に帰国してから、生まれて初めてのことが多すぎて、自分なりに対応してきたつもりなんだけども、全てが全て心地良いものではなかったんだと思います。親父という大黒柱の遺失を筆頭に、数日前の記事にも書いた通り、自分で自らお金と付き合わなければならなくなった。さらには社会的地位・責任と向き合わなければならなかったり、高卒の馬の骨にとって、多分荷が重すぎたんだと思います。しかし荷が重かろうと過ぎていくのが時間というもので、どこへ向かっている訳でもなく焦りが生じ、自分が一体何を抱えているかさえわからなくなってくる。完全なマテリアリズム(唯物論)に埋もれ、自分が本当は腐っている方向に向かっているのにもかかわらず、しかもそれを成長と捉えていたわけです。
そんな中始めたブログ執筆。自分を自分で書き出すことにより、自分ひとりでは見えなかった自分の何が見えてき始めているのです。それは言葉にすれば、前述の通り「魂の力」だったり「生命力」になるのですが、決して言葉に表せる何かではありません。
日々の学び、そして人生の学び、さらに自分の成長は、永遠の課題です。

2014/10/7

松茸

松茸
日本の大珍味・松茸。テレビなどで、たまに取り上げられているアレです。僕達平民は、「あ〜松茸、うまいらしいね!でも高いらしいし、所詮きのこだし、そこまで興味ないかな〜」って感じで、ほぼ「へぇ〜」で終わってしまう。本物という本物には全く縁がないし、喩え松茸が現れたとしても、本当に本物なのかがわかるわけもない。要は雲の上の存在なのです。
そんな松茸さまでございますが、本日、生まれて初めて本物の中の本物にお目にかかりました。何故こんなものが我が家に現れたのかというと、先週の金曜日から、マザー由紀子と世良くんとハルトが長野県にある大鹿村という村へと遊びに行っておりまして、帰りにお世話になった長老からなんと巨大松茸をプレゼントとして貰ったというのです!前段落でも書きましたが、僕は正直あんまり興味はなかったんです。「あぁ〜よく聞く松茸ね」って感じで、期待もクソもなし。晩飯に松茸ご飯と、松茸の炙焼をするっていうから、「んじゃまぁ、折角なんでいただきますか、えぇ」みたいなヅラで食卓へ繰り出したのでありました。
いやぁ、炙焼を塩に付けて一口食べたその瞬間、水戸黄門に降参した侍のように、「ははぁー m(_ _)mペコリ」ってなってしまったんです。これは今までにない感動であり、言葉に表すことが全く出来ない!表すのであれば、神々の味とでも言えるでしょうか・・・。一口で日本の100年分の歴史が分かってしまうような、奥深〜い味わいでした。僕の好きなスタイルの喩えで表しますと、一口で日本橋の高級料亭へ旅できる感じですね。食べ物で感動したのは、ガチで久しぶりです。最後に感動した時を覚えてないですもの。
本日付で、松茸ファンクラブ、入会です。
そして最後に、今日は、1988年、僕が生まれる前の年に他界した、母方のおばあちゃん、陽子さんの誕生日です。ばあちゃん誕生日おめでとう!

2014/10/6

まだまだ甘い!

気軽に日記をつけるつもりだったこのブログ、最近は自分へのメッセージみたいな感じになっています。もしかするとこの感じで書くのが、今の自分にとってはベストなのかもしれません。自分が意識する点を書き出すのと書き出さないのでは、重みが変わってきますから。
ここ数年事業をやり続けてわかったことは、自分中心で仕事をしても、お金以外何も残らない、ということ。本当にこれから活躍していくには、利他(In service of humanity)を第一に考えていかなければならないと思うのです。Webのお仕事であれ、これからまた伸ばしていく音楽であれ、人間にインスピレーションを与えられるようになりたい。もちろん、自分が起こす行動の源となる意識状態と体の健康が最優先でありますが、他人の人生を良くすることが出来れば、勝手に自分の人生も良くなると。以前ウィル・スミスが言っていました、

Your life will become better by making other people’s lives better.

「他人の人生を良くすることで、自分の人生も良くなる」
自分的には、これは本当に気をつけないといけない点であると思っています。会社をひとりで運営したりしていると、どうしても会社の利益アップだけに意識しがちだからです・・・これも自分の課題です。資本主義うえ、物質社会で、しかも男として生まれてきてしまったために、本当自分だけ良ければいいみたいに本当なっちゃうんです。怖いです。でもお金を否定することは絶対に出来ない。なぜならば、お金、資本主義を否定することは、自分の人生全てを否定することになってしまうから。
お金と仕事、自分と他人、趣味と情熱、そしてこの今というこの瞬間と習慣、これらと健やかな関係性を保つ。そして人類の向上に貢献する。まだまだ君は甘いですよ翔樹くん!

2014/10/5

毎日1時間

人生は習慣です。個人ごとではありますが、今年の7月1日から、以前から継続に失敗し続けてきたウェイトトレーニングを再度開始し、数日前に丸々3ヶ月の継続に成功しました。ペースとしては週4でやっています。3ヶ月もやれば、少なからず結果は出るもので、重量の負荷も、大きな筋肉の部位(胸、背中、脚)においては、開始時よりプラス20kgの重量に対応できるようになりました。体重も以前から増やしたいと思っていたのですが(バルクアップ目的でのウェイトトレーニングです)、約6,7キロの増量にも成功し(現在67kg)、とりあえず正しいウェイトトレーニングが出来ているということを嬉しく感じています。
面白いことに、3ヶ月を達成した今、この3ヶ月の継続からのレッスンというか、学びがあったのです。それは、「どんなものも、ウェイトトレーニングのように続けるだけで、結果を残せる」ということです。例えば新しい何かを始めたいとします。英会話でもスポーツでも習い事でもなんでもいいです。特に20歳を過ぎた人(僕を含む)に言えることなのですが、始めるにあたって、無駄なことを考えてしまうんです。「どうせ私には無理」とか「始めるのが遅すぎる」とか、いわゆる言い訳です。でもぶっちゃけた話、やり続ければ誰だって出来てしまう。それが大人と子供の違いなんだな、って今日気づいたんです。子供は感覚で生きているから、変なことは考えません。だから上達も吸収も早い。でも大人は、もしくは年をとるほど上達と吸収は遅くなるって言われている。自分はこれは嘘だと思います。違いはごちゃごちゃした思考があるかないかだけで、誰だって同じように成長して吸収できるし、何をいつ始めようと遅くなどありません。
なんでもいいから、毎日1時間をまずは3ヶ月続けてみる。上達云々は考えない。ということで僕は前からやりたかったギターとDTMをこれから毎日1時間ずつ行うことにしました。これ、人生のシークレットですよマジ。なんでも出来る気がしてくるもん。

2014/10/4

カルマ解消の兆し

僕にはカルマがあると信じています。カルマとは、僕が分かる範囲では、多分現在を創りあげている過去の要因であったと思います。もちろん、過去無しで今はあり得ません。しかし僕は、2001年から2008年のロサンゼルス時代に、大きなカルマを背負ってしまったと感じているのです。ロス時代無くして、今の僕の英語力であれ、仕事の能力は考えられませんが、LAへの移住は、それまでの人生の流れから考えて不自然なものでした。僕が不自然と思う理由はここでは伏せますが、ロサンゼルス時代は、ある大きな代償を要した、夢、まさに夢のカリフォルニアだったのです。
南カリフォルニアの地で得たものは計り知れません。単なる英語の習得だけでなく、日本では得ることの出来ない意識、感覚を授かり、世界を見ることが出来たのです。友もそうです。場所との縁もそうです。何もかもが、普通の家庭には起こるはずでない体験であり、経験となったのです。
しかし、前述のとおり、代償が伴っているのです。その代償については後日また改めて書くとしますが、その代償は、LA時代の7年間分(正しくは6年と6ヶ月)と同じ時の長さで、そのまま2008年4月からの6年と6ヶ月、僕に降りかかる運命となっています。そして今日は、2014年の10月です。感覚でしか過ぎませんが、僕の中から新しい何かが生まれ出ようと、もしくは過去に置いてきた本当の自分がまた蘇りそうになってきているのです。
僕の人生はこれから始まります。カルマ解消の兆しです。

2014/10/2

ブログ執筆と想いを書き出す力

昨日の記事は、自分が長年考え続けてきたコンセプト、「好きなことをして生きる」について、自分なりに整理し、記事にしたものです。ただブログ記事にするだけ、という観点からすれば、至ってシンプルな行動であります。しかし、その後の今日、明らかに自分の意識状態が違うことに気が付きました。どう違うかと聞かれると、「変化」、というレベルではありません。種類が変わってしまったというレベルです。昨夜のブログ執筆が、自分にこれほどの影響を及ぼすとは思ってもいませんでした。ただ今日は調子が良かっただけでしょ?って思う方もいるかもしれません。自分も思いました。でも、今日一日の意識状態の変化が、昨夜の自分の心の葛藤を語った内容に関する変化だったのです。要するに、「これでいいの?」みたいな自分の中の曇りが晴れ、Webのお仕事に対する意識も、何故か一転。かなりのやる気と情熱がみなぎってきました。凄くクリアな感覚です。
この現象の原理は、多分こうです。自分が自分だと思い込んでいたものを、別の媒体に写し出したことにより、「自分のもの」から、「自分が観察するもの」に変わった。自分と一体化しているものから、自力で抜け出し打開するのは非常に難しい。そこで自分が思っているものを、自分が物理的に見える場所へ召喚することにより、自分と問題の分離が行われる。そして最終的に、潜在意識からクリアになる!
AMAZEBALLS.

2014/10/1

憧れと自分の能力

人生好きなことをやって生きろ。何回も聞いたことがある言葉ですが、僕はこの言葉を誰かに言うことがまだ出来ません。もしかして言えるのかもしれません。でも自分が100%「好きな」ことをして生きているとは正直言い切れないので、実体験を基にした言葉としていうことは出来ません。まず、「好き」なこととは何か、という定義を明白にしなくてはならないと思っていますし、そもそも、その言葉自体正しいものなのであろうか、と疑問に感じるときもあります。まだ自分が語ることの出来ない人生論的コンセプトなのです。
では好きなこととは何でしょうか?僕が今のところ思っている好きなことは、「やっていて苦ではない」ことではないのかなぁ、というところです。「やっていて苦ではない」。これは、今の自分の仕事に値することだと言えます。Web制作関連のお仕事ですが、やっていて苦しくなったことは一度もありません。辞めたいと思ったこともないし、長時間作業していてもあまり疲れない。結局、パソコンとかガジェット、インターネットが好きだから、この職も好きなんだ、というところに辿り着きました。面白いのが、自分の技術を磨くのに勉強をしたことがないということ。だからWebの技術は、今までの人生の過程と、生まれつきの技能と適性(COMPETENCE)から授かったものであると認識しています。
上記の好きなことは素晴らしいことです。でも、正直な話、Webのお仕事は、お金にならなかったらやらないかもしれないのです。ここ数日、ジムでかかっていて思い出したミュージシャンが数名いました。YUI、西野カナ、木村カエラの3人なのですが、彼女らの音楽を聞いて、思ったんです。音楽は絶対捨てられないと。まだ胸の奥で音楽へ対する何かが燃えてるんです。音楽とパフォーミングアーツを、この世へ送り出したい。でもそれを達成することは、自分にとっての最大のチャレンジかもしれません。ただの憧れで終わるのか、具現化されるのか。もちろん自分次第でありますが、この記事を書き上げると同時に、変化と進化を連鎖させるような最初のドミノを倒す感覚で、記事公開をクリックしたいと思います。