感謝は自分の中でしか感じられないもの。自分が傲慢になればなるほど、この感謝の感覚は自分の中から消え去っていく。

傲慢、つまりは「自分が他人より優っていると思い込み、あたかも自分は特別に扱われるべき」と思ってしまう事は、自我を持つ我々人間がやってしまいがちなエラーです。

ここでの考察は、この傲慢さという態度は、人が人を判断する態度に思いがちであるということです。

あの人の態度は傲慢だ。

無論、それはその人、とある人のことを傲慢と思ったことなので良いのですが、実は一番困る傲慢さは実はこれではない。

他人から傲慢だと思われるくらいの傲慢など、かわいいものなのです。

では一体その一番困る傲慢さとは何か。

自分自身がこの人生に対して傲慢になることだということです。

自分の思い通りにならない、いかないことを受け入れることができず、さらには自分の取り組みを棚に上げ、自分は特別であると勘違いをしてしまう。

この傲慢さを持ち続けるとどうなるかというと、他人に感謝を要求するようになるのです。

本当に困ったものです。

そして他人にすることは自分にしていることと同義であることは基本中の基本ですから、自分から感謝がなくなっている証。

感謝という名のこの森羅万象を受け入れる事ができなくなり、宇宙の断片としてこの無意味な世界を彷徨うただのエゴとなってしまうのです。

これは強さに見える、強さであると錯覚してしまう最大の弱さです。

さらに自分は宇宙に生かされているのではなく、自分で生きているという更に傲慢なサイクルに陥ってしまう。

感謝は自分の中でしか感じられないもの。

自分が傲慢になればなるほど、この感謝の感覚は自分の中から消え去っていくのです。

自分が傲慢になっていないか。

「自分」で人生を操作していると勘違いしていないか。

常に自問して生きてください。

他人が居すぎる。頭の中で他人が居すぎるとやばいことになる。

アイツとはもういいや。

アイツは最低最悪。

アイツには負けたくない。

その「アイツ」、その正体は実は他人ではないのです。

他人はどこにもいません。

ではその「アイツ」の正体は一体何か。

その「アイツ」は、あなたのエゴ(恐れや欲望)です。

あなたの恐れや欲望が、あなたの中で、他人の形をしてホログラムとして現れているのです。

「アイツ」の形をしているので、それはもう「アイツ」にしか見えないのですが、それはただの幻想。

「アイツ」に見えているだけで、残念ながらその「アイツ」は自分の意識状態を忠実に再現してくれているのです。

マイケル・ジャクソンのMan In The Mirror(マン・イン・ザ・ミラー)とは良くも言ったもので、内面に映るものは全てあなたが映し出されたもの。

ですので、自分の中に他人が居すぎる場合は、もうそれは警告です!

自分の恐れや欲望を人のせいにするという、大変卑劣かつ情けないことをしてしまっているのです。

自分の感覚は自分で責任を取る。

それができればあなたは真の成功者です。

まずは自分に優しくなれ。というか自分以外に優しくできない。

なぜにそんなに自分に厳しくなる必要があるのでしょうか。

お前はダメ。

お前はまだまだだ。

私はろくでもない。

私は価値のない人間だ。

こんな自虐的なことを思って一体何になるというのでしょうか。

他人(家族、同僚、友達など誰でも)に何かを言われた、何かをされたとしてもです。

それを自虐の材料にするかはあなた次第です。

ではストイックな取り組みはどうなるのでしょうか?

トレーニングなどで自分に厳しくするものです。

これはあくまでも自分主体で、自分の成長に繋がる厳しさ(情熱)であると言えますが、自虐的な思考の成果は自己否定にしかなりません。

誰かより劣っていてもいいんです。

それよりも何よりも、劣るも優るもないのです。

ただ自分としての人生体験が続くだけです。

自分に優しく、そしてあなたが唯一優しく出来る「あなた」に優しく生きてください。

あなたはあなたのありのままで美しく、素晴らしいのですから。

Google検索は思考増幅装置(アンプリファイアー)

実用的な調べ物、実用的なインターネット検索はその名の通り実用的なので問題ありません。

何かに役立てるために何かを調べる。

何か困ったことがあって、それを解決するために調べる。

インターネット検索のあるべき形です。

しかしです。

恐れから派生するインターネット検索は、その恐れを増幅(Amplify アンプリファイ)させるという特徴があります。

例えば、自分の体験談から引用させていただくと、パニック障害という病を2年半前に患ったことがあります。

しかしパニック障害は色々と変な症状が現れるため、最初はパニック障害ではなく、自分は別の病気にかかってしまったと思い込んでいました。

どうにかして病名、原因を突き止めようと、その症状を調べまくる訳ですが、症状を調べれば調べるほど恐れが増幅してしまうのです。

もしかすると難病なのではないか。

もしかするとこれかもしれない。

もしかするとヤバいかもしれない。

そのような思考がさらに症状を悪化させることとなるのです。

これは病気などの、症状を伴うものだけに留まることではありません。

全ての欲望、全ての恐れは、インターネット検索を通じて増幅することでしょう。

お気をつけください。

負けを素直に認めることが出来ない限り、成長することはできない。

勝ち負け、特にプライドのかかった勝負であればあるほど、負けた時のダメージ、悔しさは大きいのは間違いありません。

ただこの負けた時に、悔しいや腑に落ちない、納得いかないで終わってしまうのは勿体なさすぎます。

勝負での負けは勝負での負けですが、それだけです。

本当に負けた訳ではありません。

勝負での負けには、必ずあなたが改善・成長できる要素が含まれています。

しかしその改善・成長を自分のものとするためには、まず悔しさを振り払う必要があります。

素直に負けを認めて、自分の実力不足であると認めることが、あなたの成長のために必要不可欠なのです。

負けを認めるということは実は難しい。

人間は共存していく動物でありながらも、競合していく動物でもあるため、誰も負けたくはないからです。

ここでさらなる別の角度からの考察が出てきます。

負けようと勝とうと、あなたの実力はその時のあなたの実力を的確に描写するということです。

勝つ時も負ける時も、あなたの実力はあなたの実力。

そのザコい未熟な実力で勝ったところでどこの何が嬉しいのでしょうか。

自分を高めていけばそれでいいのです。

欲望を無くせば楽になる。恐れと欲望は表裏一体。

Want & Fear are one and the same.

この欲望は、何か物が欲しいというような、物質的な欲望ではありません。

人生は「このようにあって欲しい」という、状況的な欲望です。

例えば、少し極端な話ですが、子供が外へ遊びに出かけたとします。

「勝手にやって勝手に帰ってけーや」

と思っていれば、別に心配も何もありません。

心配イコール恐れですね。

逆に「変な人とか、走ってる車とか、転んだり怪我しないように気をつけて遊びなさい!」

と思っていれば、常に「あの子大丈夫かしら」と心配、恐れることになります。

ここで注目してもらいたいのが、心配や恐れには、実は「こうあって欲しい」という欲望が隠されているということです。

正しくは「こうあって欲しくて、こうはなって欲しくない」という、ふたつの側面があるということ。

あとは好きな人にアプローチする時とかね。

“嫌われたくない” から怖い。

“好かれたい” から怖い。

表裏一体なのです。

ではどうすればいいか。

臨機応変に対応すれば良いんです。

これが起こったらこうする。

それまでは最善を尽くす。

それしか出来ませんから。

良くも悪くも。

社長の給料が高く、雇われの給料が低い理由

責任やらリーダーシップやら色々とあるかと思いますが、結局の所は「従業員に給料を支払う」という「仕事」をしているからです。

正しくは「を」ではなく「も」ですね。

従業員に給料を支払うという仕事も、しているからです。

社長お前はただ座ってるだけでふざけんな、とまではいかないものの、給与はどのように決まるのかを考えた時期がありました。

それでたどり着いた答えがこれ、という感じです。

給与を貰っている側はあまりわからないかもしれませんが、給与を支払うということは結構大変なことなのです。

私ももちろん体験していることで、実体験に基づく考察故の結論というところでしょうか。

給料は一定の額を継続的に支払わないといけませんが、会社の売上は一定ではありません。

不確実です。

そんな不確実な中でさえも、会社の代表者、責任者として「従業員に給料を支払う」という仕事をしている訳ですから、社長の給料を高いに決まっています。

認識できるもの全ては自分ではない

つまりは自分以外のものを自分と同一化してはならないということです。

自分の世間的な立ち位置、要するに出会い系のプロフィールに書くようなこと(容姿、職業、年収、趣味)はすべて、喩えてみるならば、あなたの着ている洋服なのです。

あなたではないんです。(ただ、洋服なので、あなたがカスタマイズできる物ではありますが)

あなたはその洋服を着ようと着まいとあなたなのです。

「認識できるもの全て自分ではない」と書いたのは、あなたの人生はあなたと共にあるこの人生体験のことであるからです。

出会い系プロフィールの例とは別に、今度はクリニックでとある病の診断を下されたとします。

過去に著者はパニック障害の経験があるので、パニック障害という診断を下されたとします。

「あなたはパニック障害です」

と。

通常であれば、そのような診断を下されたのであれば、その日から「あー、俺はパニック障害になっちまったんだ。おれはパニック障害持ち。精神病患者だ。」という風になりがちですが、ここがポイントです。

アイデア(思想)を自分と同一化する必要はゼロなのです。

これが認識できるもの全てという意味です。

「後付けの要素を自分にするな。お前は生まれたときからお前だし、死ぬまでずっとお前だから、自分を思想化するな。自分は常に自分にあり。」

ということですね。

Feb 26th, 2019

ビジネスはありがとうをどんだけ言われるかゲーム

実にシンプルであります。

これはお金配りオジサン(ツイッターID: yousuck2020さん)がおっしゃっていた事をインプットしたものです。

ビジネスと聞くと「どれだけお金を稼げるか」ということにに繋げてしまいがちですが、お客さんからのありがとうが増えれば増えるほど、ビジネスは拡大していっているということになります。

今これを書いている私はWeb制作というWebサイトを作るお仕事でお給料をいただいておりますが、このビジネスの定義は実は創業当初に知っておきたかったなぁと思う事の一つです。

誰も教えてくれませんでした。

ただ稼げればいいと思っていました。

しかし人間ただ稼げればいいという浅はかな生き方をしていると、精神的、人間的に、様々な面で歪んできます。

そしてその浅はかな生き方を訂正するような出来事が試練として現れたりするのです。

お金は体験を買ってくれる素晴らしいツールで、お金が実現してくれる自由とダイバーシティを皆が求めるのは理解できます。

しかしそれは後からついてくるもので、ビジネスで成功するためにはまずビジネスの本質を心得なくては始まりません。

筋トレやフィットネスへの取り組みに似ています。

もちろんシェイプアップしたいしダイエットしたいです。

見た目を変えたいのです。

でもそれだけが目当てだと続かないし、苦しくなります。

人から言われるありがとうを増やすこと。

是非やってみてください。

アウトプットするエネルギーは必ず返ってきます。

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全てを認めてあげないといけない。全てとは全てよ。

あなたがあなたにすべきこと、それはあなたを認めてあげることです。

あなたのすべてを認めてあげることです。

全てとは全てです。

容姿、才能、性別、性格、仕事、夢

まだまだあります。

あなたの癖、コンプレックス、趣味趣向

これで大分認めることが出来ましたが、最後に一番認めるのが難しい要素が2つ残っています。

そのふたつは、あなたの不完全さ、もう一つが、あなたが今居るその場所です。

あなたは完全になることはありません。

この物質世界に生きる限り、制限が付き物です。

生きる時間も限られているし、何を達成してもそのまた上を行きたくなるのが人間です。

魂レベルでは常に完全であり、物質レベルでは常に不完全です。

その不完全さを認めてあげないと、人生に常に抵抗することとなってしまいます。

そしてもうひとつが「あなたが今居るその場所」でした。

「私はここに居たくない」

「私は違う場所にいたい」

もしくは

「私は今の人生が嫌だ」

「私はいつか訪れる幸せを待っている」

と思うことは、「あなたが今居るその場所」を認めることが出来ていないということになります。

これを認められたら、乾杯です。

あなたが今居るその素晴らしい生命という体験に、乾杯しましょう。

参道