今の実力に感謝できなければ先には進めない

絵描きになりたいとします。

絵を描き始めました。

どうにもこうにもうまく描けません。

自分なりに頑張って絵は描いています。

それでも自分の理想が高いがために、自分が下手なことに嫌気が指してきます。

気持ちはわかります。

しかし自分が今できることはその下手な絵を書くことです。

上手になるためには下手が必要ということ。

ということは、下手だからといって嫌になるのではなく、下手なら下手なりにベストを尽くすしか道はないということ。

下手でやめたくなるようでは、それは本当にやりたいことではなく、何かの手段にしている可能性があります。

つまりは今この瞬間の自分のレベルを認めて、感謝しなければならないということ。

実力だけにとどまったことではありませんね。

人生における基本です。

今に感謝すること。

継続とは諦めとの絶え間ない戦い

初めて人の言葉を借りることとなった投稿です。

「継続とは諦めとの絶え間ない戦い」

物事を続ければ続けるほど、取り組み始めに比べて成長のスピードが遅くなります。

つまりは、当初は1kmおきに変わっていた景色が、100km走っても同じ景色みたいなことになるわけです。

するとどうなるかというと「もうやめっかさすがに」となるわけです。

諦めです。

継続すればするほど、一生懸命走ってもずっと景色が変わらなくなる。

その進むスピードが亀だろうがチーターだろうと関係ないんです。

どちらも一生懸命走ってますから、感覚的には全く同じ。

そして面白いのが、チーターレベルのスピードの持ち主でも、やめていく連中はゴロゴロいるということ。

なのでどんなに足が遅くても、継続できさえすれば、プロレベルの領域に必ず到達する。

それは内藤大助が証明済みである。

継続とは諦めとの絶え間ない戦い。

わからないからと言って挑戦をやめたら、わからないままで終わる

どんな取り組みにおいても、一生懸命取り組めば取り組むほど、歓びと情熱を帯びて自分の技量が上がっていく。

一方で、一生懸命取り組めば取り組むほど、何をどうすればいいのか全くわからないような問題や課題、つまりは試練に遭遇する確率は上がっていく。

それはRPGゲームに喩えるならば、定期的にエリアのボスが現れるのに似ている。

次の面白いステージ、そして自分そのものを次のレベルに到達させるために避けては通れぬ試練である。

そのエリアのボスは、雑魚キャラを苦なく倒せるだけの力量では倒せない。

強いて言うならば、エリア攻略に費やしたすべての力を合わせた以上の力が、そのボスを倒すために必要ということになる。

ではそのボスはどうやって倒すのか?

とにかく本気でぶち取り組む。

それだけです。

それだけと言っても、本気で取り組むというのは言葉で言うのは簡単です。

何回ぶっ叩いたら壊れるかわからない鉄壁を壊れるまで叩き続ける。

それが何万回になるかなど関係ない。

ドリカムのあの曲です。

何度でも!

1万1回目に何か変わるかもしれないんです。

嫌なことがあったら優しくなろう

嫌なこと、なんでもいいです。

仕事でミスして怒られた。

変な人に遭遇して嫌な思いをした。

アンチに煽られた。

批判された、などなど。

特に対人関係の嫌なことですね。

自分が本当は体験したくないような嫌なことは、避けたくても避けられず、食らってしまうことは誰にだって起こることです。

そこで落ち込んだり、イライラしたり、怒りを感じたりすることは簡単です。

こんな嫌な局面だからこそ、あなたがもっと優しくなれるチャンス。

自分が優しくなれないような時にこそ優しくなる。

それがあなたのその心の傷を瞬時に癒やすための魔法なのです。

怒りとムカつきを優しさに変える。

それが覚者の立ち回りです。

ただやればいいんですよね

なんでやらないんですか?

そのあなたがしたいと思っていること、なんでやらないんですか?

やっても意味ないからですか?

やっても報われないと思っているからですか?

どうせ無理って言われたからですか?

それが図星で、自分も実はどうせ無理って思っているからですか?

実は人生って、やったもん勝ち。

才能があるとか、センスがないとか関係ない。

実際問題、あなたより下手な人でも、一生懸命取り組んでいる人がいるってことです。

その人のベストで在ればいい。

あなたのベストを尽くせばいい。

その育てた花(あなた)を立ち止まって見てくれる人もいれば、貶す(けなす)人も出てくることでしょう。

ただそれは一瞬の出来事。

あなたの人生は、あなたが生きている限りずっと続きます。

あなたを本当に見れるのはあなただけ。

あなたを本当に知れるのはあなただけ。

だからなんでもやってみよう。

ただやればいいのです。

目の前の仕事をこなせない奴に宇宙は大きな仕事を与えない

家事、職場で与えられた仕事、誰かから依頼された仕事、どんな事でも構いません。

あなたに課された、または与えられている目の前の仕事がこなせないのであれば、それ以上の仕事があなたにこなせる訳がありません。

もっと大きく、やりがいのある仕事は、自分が求めて授かるものではないのです。

あなたにその仕事をこなせる準備が出来て、初めてあなたにその大きな仕事が与えられるのです。

目の前の仕事をこなせない奴に宇宙は大きな仕事を与えない。

文句を言う暇があったら、目の前の仕事をすべてこなして、本当に暇になった時に文句を言いましょう。

ニュースとYouTubeしか見てないやつは暇

暇というか、ニュースとYouTubeを見ている時は何も進展していないということを認識しなければなりません。

つまり自分が本当にニュースやSNSを見たくて見ているのか、YouTubeを見たくて見ているのかを自問しろということです。

その理由がもし「別に何もすることがないからとりあえずニュースをチェック」であったり、「何もやる気が起きないからYouTubeを見る」であった場合はやばいです。

ニュースとYouTubeがなかったら何するんですか?

ニュースやSNS、YouTubeがなかったら人生一体何するんねん。

これこそが人生における真の課題なのです。

あなたは何をして人生を過ごしたいですか?

あなたの好きなことはなんですか?

それがSNS活動やニュースチェック、YouTube鑑賞であると心底から自身を持って言えるのであれば問題ないですが。

もし言えなければ、SNSもニュースチェックもYouTube鑑賞も、自分を濁して、今を紛らわせているだけかもしれません。

ToDoリストに書くものはやりたくないもの

ToDoリストを仕事管理に使うのは良いです。

しかしその他のこと、例えば「本当はやりたくもないのに、嫌いな自分を好きになるために自分に課したこと」をToDoリストに追加したとしましょう。

そのToDoをやり遂げられた時は、あなたの自己肯定感にプラスに作用します。

しかし、やり遂げられなかった時は逆に自己嫌悪感を生んでしまいます。

つまりは、実用性のあるToDo以外は「より自分を好きになるためToDo」であり、それらは不自然かつ、本当はやりたくはないがやったらもっと幸せになれると感じているToDoなのです。

そもそも、本当に自分がやりたいことだったらToDoリストに書かなくたって自分で進んでやるんです。

ToDoリストに追加されたToDoにチェックを入れられない自分を嫌いになっていませんか?

今の自分、今の状況を感謝せず、常に将来の自分を気にしてToDoを作ってはいませんか?

人生は今です。

今自分がしたいことができればそれで完結。

ToDoなんか使わないで、自分のしたいことをして、自分を愛して生きていきましょう。

「こうなったら大変だからこうしよう」を「そうなってから考えよう」に変える

恐れなく生きる。

ただそれだけです。

恐れなく生きる。

どうすれば恐れなく生きれるようになるのか。

非常に簡単です。

「こうなったら大変だからこうしよう」

と考えるのをやめて

「そうなってから考えよう」

にするだけです。

つまりは、私達はその時その時の状況に応じて生きることしか出来ないため

将来を操作することは不可能なのです。

いやいやいや18時のハワイ便に乗るって決まっているんだから将来は操作できるでしょうに!

って思いましたか。

いやいやいや。

それはだたの行動です。

別に将来を操作している訳ではありません。

とにかくやる。

私達に人間に預けられた力はそれ以外ないんですよね、残念ながら。

私達が思う以上に、私達は無力よ。

反骨心は要らない「あいつはプロになる気かと笑われた」

僕の尊敬するあのイチロー選手ですが、彼の発言で唯一僕が賛同できなかったものがあります。

それが、彼がプロを目指している最中に周りの人間から言われた事に遺憾したというものです。

「あいつはプロになる気かと笑われた」

これを言われた事が悔しくて頑張ったんだとか、ある記者会見でイチロー選手が発言されておりました。

別にこの反骨精神、悪くはないと思います。

しかし人の取り組みを鼻で笑うようなゲスな人間を見返して何になるのでしょうか。

「あいつはプロになる気かと笑われた」

バカにされて悔しかったのではありません。

実際問題、まだプロになっていなかったから悔しく、反骨心を抱いてしまったのでしょう。

誰も見返す必要はない。

自分が納得すればそれでいい。