どうも思考の渦に飲み込まれてしまっている今日この頃です。人として生きてきた中で、数々の試練を乗り越えて来たと自負していますが、どうもこのヒューマンマインドの引力に負けてしまう時があります。負けるという表現は少し違いますが、今週は久々にやられている感じです。状況は自分の感覚に一切関係を持たない、そんなことはわかっています。ただ何かへの執着心が強ければ強いほど、この作用は強く生じる仕組みになっているので、まだまだ僕の中には何かへの執着心があるのでしょう。よくわからないですが。仕事とか生活の話ではありません。人の心とマインドを動かすのは、異性です。だからラブストーリーやらラブソングやらが売れるんですね。思い通りに行く恋などないのでしょう。人間として生きる喜怒哀楽の哀です。喜怒哀楽なしに生きられはしないのです。つまり僕がこのブログに喜びを綴ろうと、怒り、哀れみ、楽しみを綴ろうと、結局はすべて同じことを綴っていることになるのです。人生と書かれた正方形の各辺に一文字ずつ喜怒哀楽が書かれているだけで、結局はすべてをひっくるめて人生なのです。喜び怒り、哀しみ楽しみ人生を満喫しましょう。
と自分の感情を肯定して自分を慰めるとします。
カテゴリー: ブログ
歯を磨く感覚で行っている毎日のジャーナリングです。その日に何を考えて生きてたかが主な内容ですが、出来事や気分も綴っています。
今でしょ!
自由とは一体何でしょうか。自由とは生命が本質的に求める状態であり、我々人間は日々自由を求めて生きているかと思います。しかしこの自由の意味を本当に理解している人はごく僅かのようです。肉体的自由、環境的自由、金銭的自由と、色々な自由が存在していますが、真の自由とは「あるがままの自分を表現出来る」ことです。人間は公平であるとは、この事です。人間は「あるがままの自分を表現出来る」という公平な権利を持ち、生まれて来ています。
では何を得たら僕らは自由になれるのでしょうか。何を手に入れても自由になれません。ではいつになったら僕らは自由になれるのでしょうか。今でしょ!今ここででしょ!
「君の名は。」を観て思ったこと
Love is all you need. 必要なのは愛だけだ。
な〜んていう飾りに飾った人生における模範解答は聞き飽きた、いや、飾りすぎだしアホすぎで耳にすることもないことかもしれません。でも、数ある苦境を乗り越え、ある程度の意識状態まで行くと、これが本当に答えであることが心底から理解できるようになります。語れば長くなることを短く表現しますが、我ら人間、いや生命のすべては愛の象徴そのものです。愛なしにどう存在できるというのでしょうか。愛なしにどうこの世に命を授かり、この記事が読めるまでに育ったのでしょうか。誰かしらがあなたに愛を注ぎ、自己犠牲をしてくれたお陰で僕ら人間は生きているのです。しかし敬愛すべきその愛が、不運なことに、人類が自ら創り上げたマインドの世界に飲み込まれつつあります。昨夜「君の名は。」という映画を鑑賞しました。映画の冒頭に予告編放映の時間があると思いますが、紹介されている映画のほとんどが恋愛がテーマになっているのです。制作側が恋愛作品を意図的に多く作っているのか、単なる偶然なのかはわかりませんが、恋愛作品に金を出し感動を求めに行く人間の動機を考えれば、現代の人間は「愛に飢えている」というファクターが存在していることは火を見るより明らかであり、これが現映画業界のマネタイズ手法になっているのではないかと素直に疑問に思う程です。結婚願望が無駄に上がっている一方で、5,000人を対象にしたリサーチによると男女共に交際中率はいずれも50%近辺にまで低下。これは何を示すかというと、現実より理想が大幅に上回っている、ということです。目の前の人間を愛すないし人として認識し向き合う以前に、自らのマインドで描写する「何か(理想もしくは妄想)」がその人視界を覆い、人として生きる「人生」という美しく貴重な体験を生かせないでいる。すべてがマインドによって歪曲された体験となってしまっているのです。
私たちの使命はこの「何か」を超えることです。思考を超え、この今という唯一体験出来る「体験」をフルに感じ、魂と生命を感じ、生きることです。ジェットコースターに乗ったことがないのにジェットコースターを怖がっているのと同じです。乗ったらどうなるかを考えている暇があったら、乗ろうよ。生きようよ。愛そうよ!
しっかりと呼吸をしていない病
あら1週間も書いてなかったんですね。なんだかんだバタバタしていたのでしょう。今日のお話は呼吸にしましょう。呼吸は僕ら人間を天界と繋げるための松果体を生かすための行為ですが、この呼吸の重要さが現代において少しというか、自分を含めてかなり軽視されて来ているようで、多くの機能不全を我ら人間に及ぼしているようです。重要さに加え、呼吸の深さも浅くなっていることも事実であり、先進国における現代病と言われるものは、おそらく「しっかりと呼吸をしていない病」と定義できるのでは、と思い始めてきました。先進国におけるストレスと呼ばれるものはすべて呼吸が浅いがために感じられるもので、呼吸が浅いために自律神経が乱れ、正常が異常になる、という流れです。腹式呼吸をする際の体幹筋肉の衰えもこの「異常」に影響しているようです。ということで、繁昭誕生日おめでとう。
「その人で在れる空間」
セプテンバーさんこんにちは。そろそろひんやりシーズンになってきてもらいたい今日このごろでございます。それにしてもこんなにもやることが沢山あって良いのかと思うくらいやることが多いです。多分今日の時点で百科事典分くらいのタスクが埋まっちゃっているのではないでしょうか。まぁいいんですけど、縁ある人々に太陽のように無差別に愛を与えることはフルタイム勤務レベルで大変なのです。どのようにしたら皆が喜んでくれるのか。どのようにしたら皆にもっと豊かさを届けられることが出来るのか。今までは考えなかったような事を、27歳になった今、考えるようになりました。人それぞれユニークな人生を送ってきているわけですから、価値観や個々の幸せの定義は千差万別であるものの、それを関係のないものとしてしまう絶対的な生命レベルでの歓びを実現できるものがひとつあります。それは「その人で在れる空間」です。「その人で在れる空間」を提供することこそ、人に与えられる最高のギフトであり、真の対人コミュニケーションを可能とさせます。だからもしあなたが、誰かを幸せにさせてあげたい、という願望を持つのであれば、物やディストートされた愛を与えようと試みるのではなく、「その人で在れる空間」を与えることを心がけてみてください。世界が変わるはずです。
間違い探し
高校を卒業し、または大学を卒業し、社会の一員として人生において新たなるスタートを踏み出す時、昨今の若者は偏見と常識に左右され、迷い続けるというサイクルに陥っているようです。迷うという事は、ただ単に「何をしていいかわからない」のではなく「何をしていいかわからないから、その何かを知りたい」、または「何をしていいかわからないから、その何かを知る必要がある」と考える事です。ただ「何をしていいかわからない」状態であれば、何を知る必要もないわけで、それは迷いではありません。そこでです。迷っている若者、いえ人々は、その何かを見つけたら救われるなどと勘違いしているようなのです。「迷い」は意識状態の現れであり、外を変えたところで中は変わりません。一瞬だけ「見つけた!」という衝動に駆られ安心するかもしれませんが、なにせ意識状態なので、遅かれ早かれ再度「迷い」という感覚は再浮上してきます。「これで良かったのだろうか」「なにか違う」「これじゃない」などなど、ピリオドを打ったはずの模索がまた始まります。
ではこの問題についてのソリューションは如何なるものかと言うと、自分という意識の確立、という言葉に尽きると思います。つまり外で「何」をやるかなど一切関係ないのです。内なる意識を正せば、外は自然と正される。これを肝に銘じ生きなければ、文明の蟻地獄に引き釣りこまれるまでです。では自分という意識の確立はどうしたら良いのか。これには手段が多すぎてこのブログでは書ききれませんが、1つだけ方法を挙げるとすれば「間違い探しをする」ことです。間違いというとニュアンスがちょっとズレが生じるかもしれませんが、例えば「怒りは外的要因によるものである」と思っているとしたら、この方程式は「間違い」ですので、これを修正していくのです。人が人に怒る時「人にムカついた」とか表現します。「あいつにムカついた」とかです。接続詞がキーポイントで、「あいつ『が』ムカついた」は文法的に間違っており、「あいつ『に』」が正しい表現となり、自分が相手に、という自分が主体の因果関係が怒りのベースであるため、怒りは自分の責任となります。
正常心を乱す事柄すべてはあなたの中にある「間違い」であるので、間違い探しを手伝ってくれているウザイ外的要因にアンテナを張り、「間違い探し」を毎日少しずつしていけば、自分本来の魂が磨かれ、天がコスモスに美貌を与えたように、天が自然と汝に生きる歓びを与えてくれるでしょう。
ジェイとニューアース
僕の創造のベースとなっている力は、紛うことなきエックハルトの教えです。エックハルトの教え無しに、僕の今の人格ないし創造はあり得ません。それほど僕を強くし、そして支えてくれているティーチングです。苦しみありきの覚醒ですが、ある程度のアウェアネス(意識力)が達成されると、精神世界に関わる本を読むことが不必要となるくらいバランスが取れてくるのですが、ここ最近、またエックハルトのニューアースに惹かれ始めています。昔であれば、パワーオブナウしかりニューアースしかり、自分に脆弱さを感知した時のみ、これらの本を手に取り、拝読していたものの、今回に限ってはそうではない。自分の包丁を研ぐような感覚で、自らのアウェアネスに磨きをかけるような感覚でニューアースを再度読み始めました。最後にニューアースを読んだのは多分3年前くらいですから、長い時を経て読むニューアースは、また別格の読み応えがあります。正に包丁研ぎです。包丁は既に有効活用され、鋭さは失ってはいないものの、多くの食材を切り続けたが故にシミやサビが付き、精度に欠けていたのです。包丁としての機能は失っていないですから、性能をそこまで気にする事はなかったのですが、「自分の包丁の状態は如何なるものなのか」と改めて意識を向けられたとある出来事があります。ジェイとの出逢いです。このブログには色々な人物が登場してきていますが、おそらくジェイは今後数えきれないほど登場してくるであろう、平山翔樹の人生おけるキーパーソンとなるでしょう。彼のバイブは群を抜いて僕の周波数と響鳴を奏でています。ここ数年で宇宙が僕に与えた史上最大級のプレゼントと言っても過言ではありません。はい。それでです。ジェイが何歳で、何で名前がジェイで、どこに住んでいてどんな人間でどんな人柄の持ち主であるかは後日綴るか、実際に会ってみてからのお楽しみになるかですが、そのジェイがです。なんと、エックハルトの教えを知っていたのです!正直驚きました。エックハルトを知っていた僕と出会ったことにジェイもジェイで驚いていましたが、彼を通じて、宇宙が再度僕にエックハルトの教えを復習しろと申し付けているように感じられ、ニューアースを再度手にとった、という訳です。飛ばし飛ばしでチャプター4から読んでいますが、マジヤバいっす。マジでヤバい。ニューアース、読みましょう。
人材育成
天から課題が降りてきました。人材育成です。これは人類の豊かさに貢献するための課題です。ついに自分にも新しい課題が降りてきたか、というのが率直な感想ですが、人材育成は実務より難しいことです。当たり前です。会社を組織して稼働させるには、メンバーの周波数の一致が必要不可欠でありながらも、ひとりで突っ走ってきた自分の傘下に他人を入れるということは、他人が自分に合わせるように強制するのではなく、トップである自分が部下に合わせる必要があります。これは技能という技術的で実用的な観点から解決出来ることではなく、ひとりの人間、ひとつの生命として、他人を思いやり、他人の立場や感情を理解した上で、アドバイスしかり教育を行っていかなければなりません。本日僕の会社の主軸であるWeb事業に関する技術講座を始めましたが、新しいメンバーにとってWeb技術は全くもって新しい概念であり、かなりの苦戦を強いられるようです。それと同じく、トップである自分にとっても、この人材育成というプロセスは苦戦を強いられます。なぜならば僕にとっても人材育成は全くもって新しい概念だからです。やったこともなければ、どうすれば望ましいアウトプットを出せるのかさえもわかりません。
だから新メンバー2人に申し上げたいです。大変なのは君たちだけじゃない。僕も会社のトップとして、君たち以上にチャレンジすることを誓います、と。
がんばろう!
Waiting For Love
新しいは別に「新しく」なくても良い。そんなこと考えたこと、ありませんか。例えば古着とか、ビンテージものとか。いわば絶対的な「古さ」という要素を持つ物であっても、もし僕が今日(こんにち)その「古い」物を手に入れたとしたら、それは僕にとっては「新しい」物となる。当たり前に聞こえますが、実はこれ、僕達の人生において無意識ではありながらも、頻繁に遭遇しているシチュエーションなのです。今記事における僕の思想は、最近とある美しい楽曲と出会ったことに始まります。その楽曲が1年以上も前にリリースされた事を知り、1年もの間何故出会わなかったのだろう!?と思ってしまうほどその楽曲を気に入ってしまい、リリースから1年以上経った今、僕のTOP CHARTナンバー1に君臨しているのがAvicii(アヴィーチー)のWaiting For Loveです。訳して「愛を待って」。百聞は一見にしかずと言いますが、百文は一聴にしかずです。AviciiでWaiting For Love。どうぞ。
27歳になりました。
真夏!8月!セミ!炎天下!アイス!本日で満27歳となりました。毎年本当に僕の誕生日はクソ暑いです。感心する位暑いです。さて26歳から27歳までの間、一体僕にはどのような変化があったのか。気になるところですが、まぁアラサー相応になってきた、ということぐらいしか思い浮かびません。今年の4月で帰国後丸々8年が経ち、色々と形になってきたくらいでしょうか。自分の使命をしっかりとやりこなしている自信もありますし、気持ちよく人生に励むことが出来ています。そして結局それが人生の答えなので、ある意味もう完成形になっているとも言えるかもしれません。数年前ならば、今後どうしたいとかあーしたいとか色々野望が出てきたかもしれませんが、ここ最近は特にないです。本当に。健康に生きれていればそれでいい。毎日笑顔で過ごせればそれでいい。そう思って、そう口にして生きています。
あと最近の気づきであれば、新しいものもいいけれども、直したりリフォームしたりすることもそれはそれで美しいのである、ということ。車のタイヤを替えたり、親戚の家のピアノを調律したり、デスク周りをカスタマイズしてみたり。ちょっとしたアイディア次第で、今をより充実させることが出来ると知った1ヶ月でした。27歳はイチローがメジャーリーグデビューをした歳です。僕もメジャーリーガーになれるよう、静かに努力したいと思います。
Happy 27th birthday Shoki!