There is nothing wrong with feeling weird and unclear.

Because it’s part of human nature. When clouds clears up, feels great.

And we human beings are one and the same with the whole nature. That means we share the same kind of characteristics and principles as Mother Earth. Or the entire universe for that matter.

There’s never a year that doesn’t rain. There’s never a day sun doesn’t raise and set. It’s the rhythm of nature.

It’s okay with you feeling down and having the thoughts of you getting nowhere.
It’s okay to feel stuck in the mud for weeks and months and don’t want to believe like there is no way out of it.
Everything is okay! Because without them, you won’t arrive to the destination.

But there is one thing that you have to do in order to get to the destination.

“You gotta keep moving. And not settle.”

エゴは巧みにあなたを翻弄する

エゴは欲望と恐れを餌に生きています。

千と千尋の神隠しのカオナシ、あいつが宮崎駿が表現したエゴです。
千は「今を生きる象徴」として宮崎駿が表現したと見ています。

カオナシは千を見た目でしか判断することが出来ません。
カオナシは千を求め、強引にも狂気を纏い千を捕まえに動きます。
金を無限に手から出し、それを餌に千を奪おうと試みるのです。

しかし千はカオナシの金になど一切興味を示しません。
何故ならば千には欲望も恐れも無いからです。
彼女は今やるべきことを実施しているだけなのです。

カオナシの言動を見れば火を見るよりも明らかなのは、欲望(千を求めること)と、恐れ(千を得られないこと)に翻弄されているということです。自己を失い、狂気を帯びた負のエネルギーとしか言いようのない有様となり、最後には自分を破滅に追い込む。

馬鹿な話です。

翻弄されぬよう、気を引き締めて息ましょう。

自分が納得行くまで

今は2020年の7月2日。木曜日。長かった一つのWebプロジェクトが、今週末で完了、納品となります。その翌週には別プロジェクトの納品があり、並行しているプロジェクトも数件、新しい仕事の話も数件。貯金は今までの人生で一番ある。でも全然楽しくない。

人生に文句がない。それがつまらなさすぎる。と書いて気づいたが、この甘ったるいというかなんというか、新しいことにチャレンジせず、今までに積み上げてきた技術と信頼に胡座をかき(もちろんクライアントワークは全力を尽くしていますが)、わかりました、事が問題なく進むことはデフォルトになったようなのですが、新しい挑戦に怖がる自分に嫌気が指してきているのです。だから人生に文句はない。自分には文句があるわけです。

ゲーム・オブ・スローンズのシーズン2、7話を見終わったばかりなのですが、どうも僕のエゴを見ている気分になるのです。名声を博したい。自分の王国を制したい。そんな欲望なのか、自分への怒りなのかが、浮上してきます。馬の骨と同義である今の自分を認められないようなのです。

ということは何なのかというと、何を僕が企もうと、それは企みであり、その行動そのものではなく、その行動の先にあるものを求めていることが伺える訳です。我ながらお恥ずかしい事実であります。

ただ、少しずつですが出口は見えてきたような気がしているのです。暗い洞窟の中で迷走している訳ですから、気分が良くないのは当たり前かもしれません。しかしこの暗い洞窟に出口があるのかさえ、わからないと言えばわかりません。

今日の記事の目的は、自分の内面を文章化することにあります。そうすることで自己との切り離しを試みる。そんなところです。

もう少し汚れを絞り出してみます。そもそも自分の納得を外的要因に委ねているのがおかしいのではないか。例えば、自分の今の望みを書き出してみると、もっと自分を知ってもらいたいのです。世界にです。そしてこんな変な人間、そして変な物語を持った人間も元気に生きているのだ、と世界に伝えたいのです。そして色々な境遇を越えてその境地にたどり着いた人々に、どんなストーリーを歩み、どんなライフレッスンがあったのかを聞いて回りたいのです。

そしてその一つの数え切れないストーリーが、数え切れない人々にインスピレーションを与え、この美しい地球を皆で共有できるような世界に変えたいのです。

そのためにはまずはある程度のフォロワーが必要なのです。そのために何をすべきなのか、マジで考えているのですが、まずは自分が見本にならなければならないのです。自分が最初のモニターであり客であり、フォロワーであったら、オレは翔樹の何が見たいのか。これに納得が行くまで、模索し続けていきます。

もっと書けるけどダルいんで落ちます。

Don’t wait for the perfect timing to do your tasks. Because there never will be!

Yeah we all wait for the right time to start anything. The perfect timing to start your workout routine, to quit smoking and start reading.

If you are one of those people who kinda waits for that “perfect timing,” then you might wanna rethink about what time really is.

Time is just a measurement. Clock ticking and adding numbers.

And your life also consists of a lot of “time” but, you can’t really measure your life time can you? I mean can you prove that time has passed beside showing me that clock that added numbers while you read this post?

Don’t wait for things to happen. Be the one that make things happen.

真似(マネ)することは学びの最大の近道

どんどん真似してください。マネが悪いという人が居ますが、それは盗作のことです。盗作はいけません。でも真似は進んでやっていいと思います。

なぜかと言うと、真似をすることで、その真似た何かが生き続けることが出来るのです。誰も真似しなかったら、その人でその知恵またはクリエイティビティは終わってしまいます。

その上ショートカットになります。
同志である人類が既に時間をかけて成し遂げたことをわざわざゼロから作り出す必要など無いのです。
電子工学の仕事で、高度な仕事が出来るのに、既に開発されて何百年も経っている電球をわざわざ作らなくても良いのです。

さらにです!100%のマネなど出来ないのです。
あなたがやった時点で、それは何かからインスピレーションを得た立派な取り組み、そして作品となるのです。

盗作はいけません。

優越感と劣等感は表裏一体

誰を見ると強さを感じますか?貧乏人ですか?独身の人ですか?年老いた人ですか?頭の悪い人ですか?

誰を見ると弱さを感じますか?有名な人ですか?お金持ちの人ですか?あなたの理想を生きている人ですか?あなたより賢い人ですか?

優越感と劣等感はどちらかが無いと成り立たないのです。比較が優劣を生むのです。

そして優劣の根本的な原因は、実は他人ではないのです。自分の中で自分で勝手に優劣をつけているのです。

高みは外に見い出すことは出来ない

あなたが何に取り組んでいようと、自分の描写する世界に高み、すなわち上達や成長を見出すことは出来ません。
要するに他人の評価で自分の高みを測るなと言いたいのです。

外(他人・世俗)があなたをどう見ようと、どう評価しようと関係ない。

自分の高みは自分で決めろ。
そして自分の納得と自分の体験、経験に高みがあることを肝に銘じよう。

自分が感じる嫌悪感を書き出す

自分がムカつく事、ムカつく人を書き出しましょう。そして何故ムカつくのか詳細に理由を書いてみましょう。そうするとその事柄や人物がムカつきの真の原因では無いことがわかるでしょう。

嫌悪感は全て自分の中で起こっていること。
嫌悪感を書き出すことで、嫌悪感を客観視し、嫌悪感と自分を切り離すことができるのです。

そうするとあら不思議。その「ムカつき」は消えてなくなったことでしょう。

井上功大

ここ最近の僕の人生で一番の不思議が彼とのコラボレーションです。彼は今はプロフェッショナルカメラマンとして活動しており、僕の手掛けるサイトの写真や、僕のプロフィール写真を依頼したりなど、今では必要不可欠となった僕の人生における唯一のカメラマンです(中目黒の萱野さん覚えていますか)。

彼は僕がロサンゼルスに住んでいた頃の高校の同級生で、同じ日本生まれの日本人として、外国の地で共に闘った盟友(聞こえは偉そう)であります笑

彼は生後間もなく親の仕事の関係でアメリカに移住したらしく、僕よりも断然アメリカ歴が長いのですが(僕は7年彼は23年)、どうしても日本語で僕と会話したいらしく、高校時代も今も、ほぼほぼ彼の英会話を聞いたことがありません。

まあそんなことはどうでも良いのですが、功大と将来一緒に仕事をすることとなるとは、お互いこれっぽっちも想定していなかったことでしょう。

彼のような変人と、この最強になりつつある翔樹のこれからの人生でコラボしていける事実は、改めて凄い幸運なことだなとただただ思うわけです。

彼と居て感じたことは「目に見えなく、かつ複雑で重要な、価値と意味を創造し、世の中に我々の爪痕を残していきたいという願望なのか価値観なのか、そのセロハンほど薄くかつ重く、計り知れない熱を帯びた思い」が我々の共通点であり、それ以外は全くもって真逆の人間であるということ。

思考回路も異なっているし、窓(視界)から見える景色の着眼点も全く別。ただ、上記の思いが共有しているため、ところどころで意味不明な共通点が存在しているという、当事者である自分も異色にしか感じられない二人なのである。

彼に撮ってもらった2019年翔樹の写真集はこちら

んでヤツのサイトは沖縄のカメラマン

酒は人間の可能性を封じ込める

“大量摂取は”です。ウォッカやジン、テキーラなどの酒がスピリットと呼ばれるのには訳がある。あなたの魂(霊《読み同じ》)に蓋をしてしまう事が出来る効力を持っているのだ。酔っ払う、人が変わる、記憶が飛ぶ。霊に間違いなく作用していることがわかる。

では何故人間の可能性を封じ込めるのか。簡単である。酒を飲みながらクリエイティブなことは出来ないのである。マリファナやLSDなどを用いた幻覚系アーティスト(アレックス・グレイ Alex Greyなど)の存在はたまに目にするが、酔っぱらいアーティストなど聞いたことがない。

私自身は酒を受け付けない体に運良く生まれたが、もし飲めてしまったら毎日でも浴びるように飲みたいくらい酒は美味い。そりゃ居酒屋やバーは繁盛するわけである。

飲酒を反対するわけではない。私もごくたまに日本酒をお猪口に1cm、ビールをコップに3cmは家族との会食の際に頂戴する。決して自らは購入しないが…