全て自分がやりたいかのようにやらなければならない

例えば、今の仕事が嫌だとします。

今の仕事が嫌で、本当は今日も行きたくないとします。

でも思考はこう言います。

「仕事を辞めたらお金が入ってこないし、生活が回らない」

「だから嫌でも仕事をしなければいけないんだ」

「仕方ないんだ」

いいえ。

そんなことはありません。

仕方ないことなどひとつもありません。

しなければならないことなんてひとつもありません。

誰かが文句を言うかもしれません。

払うべきお金が払えなくなるかもしれません。

でも心得なければならないのは、しなければならないことは、この世にひとつもないのです。

それ相応の結果が訪れるだけで、絶対にしなければならないことなんてないのです。

仕事の話に戻ります。

もしあなたがお金のためと言って、やりたくもない仕事をしているとしましょう。

いいえ。

それはお金のためではありません。

あなたのためにやりたくもない仕事をしているのです。

ということは、やりたいもやりたくないも関係ないのです。

あなたのためなのですから!

本当にやりたくなかったら、やらないはずです。

すること全て、自分がやりたいかのように取り組む。

自分の選択であるということを心得て取り組まなければなりません。

すべては自分のためですから。

今しか先に進めない

インターネットを通じて多くの人々の人生を見れるようになった今、多くの人は、多くの人の人生を見るだけという人生になってしまっています。

理由は簡単で、見る方が簡単であるのももちろんなのですが、他人の人生を見ると、他人がどうにも先に行っているように見えて、自分には手遅れ、自分には時間がないというような、自己否定ではないのですが、悲観的な考え方になってしまうからです。

その他人が努力したということもわかる反面、その人が実施してきた努力の量を自分に重ねると、自分には無理と思ってしまうような錯覚です。

しかし心得なければならないのは、あなたが今何歳であれ、あなたが今どんな状況に置かれていようと、あなたがあなたの人生を歩めるのは今しかない、または今日しかないのです。

今日少しでも前に進むことができれば良いのです。

実際、先に行っているように見えていたその他人は、一日でそこに辿り着いたわけではなく、ただ毎日歩き続けていただけなのです。

そしてその人達は別に先を目指して歩いていた訳ではないということです。

他人が進んだ道のその距離を見て、何もしていない、何も行動に移していない、もしくは錯覚に負けて行動に移すことができなくなってしまった人は、その長い距離に圧倒されてしまいます。

いやいやいや私にはそんなに進むことはできない、自分には手遅れ、時間がない、自分には無理という風に決めつけてしまうのです。

これは人生という体験を生きる上で非常にもったいないのです。

今とは言いません。今日でいいです。今日行動に移しましょう。そして今日、一歩進みましょう。

それこそが、あなたの人生が、あなたにしてもらいたい、一番のことです。

今日も生きましょう。(行きましょう)

LA時代の高校の友人から15年越しの謝罪のメッセージが届いた

今僕は32歳ですから、高校時代は遡ること15年ほど前です。まぁ昔です。

日本に生まれ、中学からロサンゼルスに渡った僕は、日本では出会うことのなかった(当たり前ですが)アメリカンな友達を得ることとなります。これは今になって凄さを実感する事実です。知り得ることのなかった友達が沢山いるのです。(今となってはfacebook友達ですが)

そんな学生時代を過ごした翔樹くんですが、もちろんアメリカ留学という素晴らしい体験をさせてもらいましたが、やはり日本生まれという外人枠で過ごすこととなるわけです。多国籍な西海岸ロサンゼルスでは中部や東海岸よりは少ないものの、保守的な連中から軽い差別や侮辱を受けたことがありました。

自分的にはまぁしゃーないし、日本人のほうがもっと差別する人種だし、別に口先だけの差別、侮辱などの嫌がらせなど、特に気にはしませんでした。めんどくせーな、くらいで。

他にもちゃんと友達も居ましたし、部活動(マーチングと吹奏楽)が特に充実してましたから、その数件の嫌がらせで落ち込むようなものではなく、まぁ日本人特有の思考なのかもしれませんが、いつかバチが当たるぞコラ、くらいな感じで対処してたんですね。

でもこの一件で特に残念だったのは、僕は実はその彼を尊敬、といいますが、ちゃんとリスペクトしてたんです。白人の友達だったのですが、ユーモア溢れてイケメンでSophmore(高2)で野球にVarsityに入ってたり、いやおれもそんな位置にいてーなーなんて思っている子だったんですね。

まぁそれはさておき、彼から先週facebookメッセージがいきなり届いたんです。当時の件は申し訳なかった。君を侮辱する理由などなかった。出来るのであれば許してほしい。というまぁ長めのメッセージが届いたんです。

ちょっと嬉しかったですね。別に彼を恨んだりしてなかったですし、リスペクトは変わらずでしたから。15年の前のことでも、彼の中では後悔が残っていたのです。勇気を出してこう僕にメッセージを送ってくれた彼のアクションは嬉しかったです。

学び続け、頑張り続けられる仕事を選ぶ

好きなことを仕事にしたいと言っても、仕事は学び続け、頑張り続ける必要があります。

ということは、ただ好き、ただやってみたい、ただ今とは別の仕事がしたいと思っていると、実際に理想の職に就いた時、今と同じ壁にぶち当たります。

「学び続け、頑張り続ける」という壁です。

好きなことでも、やってみたいことでも、今とは別の仕事でも、この要素は変わりません。

つまり、もし今の仕事、今与えられている仕事を避けているのであれば、それは別に仕事そのものが嫌いであったりするわけではなく、ただ単に「学び続け、頑張り続ける事」から逃げているだけという可能性があるのです。

もし胸を張って、私はこの仕事が合わない!というのであれば、次の職場では一生懸命やることです。

なぜならば、一生懸命やるということと、仕事の内容が好きか嫌いかは別だからです。

あなたはどれだけ自分をその仕事に捧げることが出来るのか。

どれだけ学び続け、どれだけ頑張り続けることができるのか。

それが続けられる仕事こそ、あなたの天職と言えるのかもしれません。

それに出会えた時こそ、あなたが人類に真の貢献が出来る時でしょう。

YouTube見れません、さぁ何します?

巷ではYouTubeという動画サービスが流行っているようです。

私自身ももちろん観ていたYouTubeですが、最近になって違和感が出てきました。

どんな違和感かというと、自分の人生なのに、なぜ人の人生を見る、という人生を送らなければならないのか?

という違和感です。

違和感というか疑問でしょうか。

気晴らしや好きな番組の視聴、勉強のための視聴は素晴らしいと思うのですが、YouTube鑑賞が惰性となってしまい、とりあえずYouTubeとなってしまう状態は人間としておかしいと思うのです。

暇を埋めるための行動がすべてYouTube鑑賞になってしまうのは、この人生体験を送る人間としてもったいないと思うのです。

この違和感を無くすために思いついたのがこのライフ・レッスンです。

はい、今日からYouTube見れません!と言われたとします。

どうしよう!?って思いましたか?

そう思ったらヤバい状態です。

YouTube見れません。さぁあなたは何をしますか?

繰り返す思考パターンを見つけよう。多分その思考をやめても人生は変わらない。

私たち人間の持つマインド、思考は非常に便利です。物事を論理的に考え、問題を解き、事を予測することができます。

しかしこの思考の利便さは、私たち人間がこの思考を上手に使えている時だけです。

大抵の場合、私たちの思考にはパターン、つまり変わらない繰り返す法則があって、昨日考えたこと、一週間前に思ったこと、1年前に思ったことを、本日も思い考えてしまっています。

同じことを繰り返し思い考える意味はあるのか?

ありません。

では何故同じことを繰り返し思い考えるのか?

理由は2つあります。

ひとつは、同じことを繰り返し思い考えないと、それが自分の人生が悪い方向に流れてしまうと勘違いしている。

ふたつは、同じことを繰り返し思い考えないと、自分が誰かわからなくなってしまうからです。

一つ目は、繰り返される心配事などが挙げられます。

心配をやめるとその心配していることが起こってしまうのではないかと信じ込み、同じ思考を繰り返してしまう。

二つ目は、自分ではない何か、例えば立場や役割、勝手に創り上げているイメージなどが、自分と同一化してしまっている状態です。

これはアイデンティティと呼ばれるものなのですが、これらを手放すと自分が誰だかわからなくなってしまうため、自分を失う恐れを起因とする繰り返される思考です。

いずれにせよ、繰り返される思考パターンは、恐れを起因とするものです。

思考を止めても人生変わりません。

思考を止めてもあなたは変わりません。

リラックスした状態は真の力を発揮する

取り組みがフィジカル(動作)であれメンタル(集中)であれ、力みはパフォーマンスを低下させます。

リラックスした状態こそが、真の力を発揮するために必要なのです。

フィジカルとメンタルではリラックスの仕方が異なるので、簡単に説明いたします。

フィジカルは動作、つまり運動など体を使う取り組みですが、フィジカル面でのリラックスは、必要以上の力を入れないということです。

例えば野球のバットスイングや、サッカーのボールキックでいうと、しなやかさです。

筋肉全体に力を入れなくても、勢いだけを付けることができれば、力を抜いたとしても、力を100%入れた時のスピードを達成できます。

この「しなやかさ」に力を乗せることができれば、それは最大級のパワーを発揮させることができるようになります。

フィジカルのリラックスとは、力の入れ具合と、力の抜き具合を両立させることです。

そしてその入れ具合と抜き具合の差が大きければ大きいほど、より大きな力を生むことができる、ということになります。

これを私はリラックス筋と呼んでいますが、リラックス筋こそがフィジカルを伸ばすために必要な筋力です。

ではメンタル(集中)のリラックスはどのようにするのか?

簡単です。

ただ単に、急がないで、焦らないで取り組むだけです。

勝ちに行ったり、今できること以上のことを意識すると、メンタル的な力みが生じます。

メンタルのリラックスは、今にあるのみです。

認識できるもの全ては自分を満たすことはない

認識できるものとは、自分を含め、この人生体験で得られるものの事を指します。

認識できるものは全て、あなたを満足させることはできないという意味なのですが、なぜこれが重要かというと、私たち人間は、理想や変化を追い求める生き物であり、どんなに頑張ってどんなに理想に近づいたとしても、満足感は一時的なものであり、それらがあなたを永続的に満たすことはできないからです。

これがわかると、人生体験にて追い求めることが、自分を満足させるためではなく、ただ単に追い求めるという体験に変わるのです。

自分を満足させるためではなく、ただ単に楽しいから理想や変化を追い求めるという状態がなぜ重要かというと、不満足感からの行動は全て不満足感という場所にしか着地できないからです。

認識できるものが自分を満たすことはない、満たすこともできないし、満たされることも求めないと心得ている状態こそが、私たち人間がこの人間体験を120%エンジョイして、さらなる進化を遂げるために必要なものなのです。

2022年 新年のご挨拶

新年おめでとうございます。今年もどうかひとつよろしくお願い申し上げます。

さて個人的なブログ記事投稿はお久しぶりです。2022年の抱負を語る前に、2021年を簡単に振り返ってみます。

仕事面では、今まで以上に仕事力がアップしたと感じました。会社を立ち上げて8期が終わり、今年で9期目に突入というわけですが、一つ感じたことは、仕事に一生懸命であれば仕事はなくならない、ということです。

仕事と書くくらいで、仕える事です。誰かに仕える事、そしてその誰かは人であり、神様であり、自分である。すなわち、自分が仕事においてベストを尽くすことが出来れば、それ以上の貢献は出来ないわけです。

ということで、妥協なしでどんなお仕事もオールインでこなせば、その取り組みが次に繋がるということを改めて確信した年でした。

最後に2022年の抱負と言いますか、意識したいことを簡単に綴りたいと思います。

今まで通り!

以上!

行動力をモチベーションに頼っている人の4つの特徴

モチベーションとは一体何か?

モチベーションとは、あなたが取り組みたい取り組みに取り組むための燃料、つまり、あなたのやる気です。

モチベーションが上がらないということは、やる気がないという意味で、その取り組みに意義を感じられない、取り組む意味を感じられないということ、であると言えます。

あなたのモチベーションが上がらない時、やる気が出ない時はどのような時でしょうか。モチベーションを維持できたらずっと続けられるのに!とか、自分の行動をモチベーションのせいにしていませんでしょうか。

この記事は、モチベーションを上げるためではなく、なぜモチベーションが上がらないのか、なぜやる気が出ないのかを解明して、根本治療をしようというものになっています。ぜひ参考にしていただければと幸いです。

行動力をモチベーションに頼っている人の4つの特徴

要因1: 自分のためにやっていない

取り組みたい取り組みが、自分以外の何かのためになっている場合、モチベーション維持は難しくなります。

例えば、あなたがダイエット、またはシェイプアップのために筋トレを始めたとします。それが自分のためであれば良いのですが、それが人にどう見られるかを変えるため、という動機から始めてしまうと、自分のためではなく人のためになってしまいます。

他にも、お金のためであったり、見栄のためであったりと、自分主体ではなく、自分以外の何かが動機となっていると、やはり途中で続かなくなってしまうものです。

要因2: そもそもやりたくない

もしあなたの取り組みが、あなたが本当にやりたいことであるのならば、モチベーションという概念に囚われなくても取り組みたくなるとは思いませんか?

モチベーションが上がらないのは、自分がそもそもやりたくない場合が大半です。本当はやりたくもないのに、自分のためではなく見栄のためとなっているものは、やはり続かないものです。自分がやりたいと勘違いさせているだけかもしれません。

要因3: 結果をすぐ求めすぎ

とにかく早く結果が欲しい。これは大人になってから事を始めると思いがちなことで、取り組みそのものよりも、自分の求める結果のほうが大事になってしまう。そうなると理想と現実の差に耐えられなくなってしまい、結果モチベーションが下がってしまうのです。

どんな取り組みでも、ちゃんと自分のものにするためには時間がかかります。結果よりも続けることを意識して、まずは3ヶ月、次に1年、そして3年、とにかく続けることで、気づいたら形になっていた、というくらいの気持ちでいいと思います。

続けることが難しい?続けられれば苦労しない?と思うのであれば、前項の「自分のためにやっていない」場合や、「そもそもやりたくない」場合があるので、そこは自分の意志を確認しましょう。一体何のためにやっているのかを確認しましょう。

要因4: 最初から無理をしすぎ

燃え尽き症候群です。最初から飛ばしすぎです。特に前項のように結果をすぐ求めすぎていると、最初からアクセル全開で取り組んでしまい、そして結果がすぐ出ずに落胆し、やっても意味ない!と思ってモチベーションが下がってしまうのです。

ここでご提案です。新しく始める取り組みは、最初こそ気楽にやるべきなのです。最初こそ10分を毎日とか、15分を一日置きとか、とにかく触れる量を増やして、自分に馴染ませていくことが大切です。(学習や成長には取り組みそのもの重要ですが、睡眠時に自動で行われる脳内での情報整理があるからです)

それを続けていると、気づいた頃にはできなかったことができるようになっていたり、自分の求める結果が見え始めてきたりと、「頑張っている」よりも「楽しく」なってきたりするものです。

まとめ

  • 誰かのためではなく、見栄のためではなく、自分のためにやろう!
  • やりやくないならやらないでも大丈夫!モチベーションが関係ない取り組みを見つけよう。
  • やるなら続けることだけを意識しよう!結果は自然と付いてくるから、結果の求めすぎに注意!
  • 最初からアクセル全開はやめよう!特に新しく始める取り組みは「気楽に少しづつ」が鍵!