人間ひとりじゃ生きてけないんですね。痛感してます。生きていけないは言い過ぎかもしれませんが、ひとりだと本領発揮出来ないです。弟との二人暮らしが本格的に始まってから約1年、ついに身体がもたなくなってきました。別に自分を棚に上げるつもりはありませんが、現在の仕事量をこなしつつ、自ら食卓に食事を並べることは本当にキツいです。弱音だってことはわかってます。でも本当にキツいです。親父しかり祖父しかり、いずれも自営業、そして第3世代の僕も自営業となっているわけですが、親父も祖父も弱音を一切吐かなかったんです。プライドってやつです。俺に任せろ。俺がどうにかしたる。事業主は誰もが船長ですから、弱音を吐くなどありえないし、プライドが許さないのです。しかしこのプライドが、残念なことに、親父と祖父を苦しめ、事実死に追い込むことになったのです。自分が弱いことを見せることが出来ない。結果、身体や精神を壊し、ついには魂までをも葬ったのです。先祖の通った道を見てきた僕は、彼らの死を無駄に出来ません。彼らの生き様を教訓とし、生きる上でのヒントとして自分の人生にアプライしていかなければなりません。そのヒントとはズバリ、プライドを捨て、弱くあれ、ということです。強くあることはカッコイイ。でも代償が伴う。そういうことです。
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歯を磨く感覚で行っている毎日のジャーナリングです。その日に何を考えて生きてたかが主な内容ですが、出来事や気分も綴っています。
次はこの癖
何で人って締切間近じゃないと動けないんですかね。いや、失礼。主語が間違ってました。僕、ですね。ホントこれ悪い癖。どうにかしたい。以前は朝に弱いとずーっと書いていましたが、不思議な事に書き続けることによって、どんどん潜在意識に叩きこまれたのか、今年に入ってからは朝ちゃんと起きれるようになりました。ということで、この締切間近にならないと本気を出さない癖についても、また耳にタコが出来るくらい書いていきたいと思います。朝を大切に、そして次は常に本気で在ることを意識して、また日々奮闘していきたいと思います。今日は他に何も書くことはないですかね。あるのかもしれませんが、とりあえず昨日の徹夜が響いて眠いです。まぁしかしこうして成長できることは嬉しいことですが、成長の過程が必ずしも心地よいとは限らないですね。逆にぶっ潰されそうです。人生は試練の連続なり。
GO HARD OR GO HOME!
久々の徹夜になりそうです。LaravelのWebアプリ開発の大詰めです。結構キツいです。でもやるっきゃないです。しかしたまに身体の筋肉のアチラコチラがピクピクするんですが大丈夫なんですかねこれ?ワーカホリック?GO HARD OR GO HOME!
Let it go and let it be
自分に不幸が訪れたり、自分がインフレにかかってダウンしたりする時は、別に自分の人生なのでなんとも思わないのですが、逆に他人(とは言っても身内)の誰かに不幸が訪れていたり、他人の調子が優れていないの見ると、自分に同じ境遇に曝された時よりも抵抗を感じてしまいます。何故なのでしょう。いわゆる「どうにかしてあげたい」とか「かわいそう」と思ってしまうのです。何でなんでしょうね!例えば僕の親父が他界したことを挙げれば、当事者である僕は自分の人生の1ページとして受け入れているのにも関わらず、他人から「すごくかわいそう」みたいな形容を受けたことがあるのです。そう思ってくれるのはありがたいのだけど、そこまで深刻にならなくてもいいのに!と思うわけです。あのベストセラー本のアドラーの嫌われる勇気を思い出しましたが、他人の問題への介入が、やはりこれらの反応の原因でしょう。介入したところでどうにもなりませんから、その人とその人が真っ只中の境遇を含め、すべてを認めてあげることが今その人に出来る最善のことなのだと思います。しかしこれがまた難しいのです・・・。ヒロキくんはヒロキくんでよぉわからん感じの境遇に面していて、兄としてどうにかしてあげたい、弟が変な思いをしているなんて嫌だ、と思うのですが、彼の問題は彼しか解決できません。さらにちょっと熱っぽいらしいのですが、これも含め、放っておくしかないのです。それで猫のレッサーくんは右目の上がなんか虫刺され?っぽい感じで腫れて帰ってくるし、かわいそうだなぁと思うのですが、かわいそうと思ったところでどうにもなりません。これも放っておく、つまりLet it goしないといけないんですね。すべてLet it goです。Let it beとも言えますね。
このブログの目的
とにかく書く!何も書くことがなくても書く!それがこのブログの目的です。どんな時でも、どんな無意味なと思われがちなことを続けることに、このブログ執筆の価値を置くことにします。内面を変えたくとも、内面を変えることは容易ではない。だからこそ、行動という物理的なアクションをとって、外から内へ、変化をもたらしていくのです。ということで今日はエネルギー切れなので、この辺で。GW2016も終わりです!
ランディングページ
ランディングページと呼ばれるWebページがあります。普通のWebサイトとは違い、縦長で、閲覧者を購入へ導くための説得をするような、いわばチラシのようなWebページです。それでもって、そのランディングページを作るお仕事を今やっているのですが、どうも慣れないもので、超の超苦戦!使う頭脳の場所が全く違うんです。通常のWebサイト制作と違う所は、まずタイポグラフィが主役ということ。僕が通常のWebサイトをデザインする時は、色、レイアウト、インフォグラフィックス、テクスチャを主に意識しますが、ランディングページの場合は違います。フォントの種類、大きさ。僕がいつも使わない創造性が必要となり、本当に慣れないのです。ということで脳がビックリしているのであります!GW関係なく営業中です!さぁロス行くまでがんばろ!
共通のルール
恋愛について考えてみました。恋愛って何?みたいな。別に急ぐわけではありませんが、ひとりでこう生きていると、まぁエネルギーを使います。なのでちょっとでも生活を支えてくれる人がいればなぁとか妄想するわけですが、この動機で人を探した、または人と関係性を持ったところではどうにもなりません。いわば家政婦目的か、みたいな。これは人間として堕落した考えです。では恋愛の「愛」についての定義を見直してみようということで、僕なりに調べてみたところ、愛するとは人を思いやり、人を喜ばせること、のような記述がありました。確かにこれはごもっともな模範解答でしょう。人から見返りを求めず尽くす。人間として素晴らしい行動だと思います。
それをきっかけに、もっと人を考えて尽くすことを意識しようと思いました。思ったのは良いですが、たまに運命の人と出会うとか言いますよね。今度は人との出会いになるのですが、この運命の人とかいう定義はいかなるものかと思ったわけです。人間誰しも意図的に行動し、結果に繋げることを生きがいとするはずですから、例えば太っている人が痩せたいと思っていても、太る食生活を毎日送り、ろくに運動もしなければ一生痩せないのと同じで、恋愛にあっても、同じことが言えるのではないか?と思ったわけです。女神か白馬の王子様か知りませんが、一生待ち続けるの!?ということです。人との出会いは、運命的な要素と言いますか、自分ではどうにもならない感(ご縁だよね!みたいな感)を感じやすいからか、敢えて人々は「運命」という名の言い訳を使い、人との出会いに消極的なのではないか?とまで思ってしまいました。
ちょっと我ながら面白い考察です。しかし何故いきなり恋愛について考え始めたのかというと、やはり人間ないし生命は、陰と陽で成り立っており、どんなバカ野郎でもネガティブとポジティブのポラリティに惹かれ、陰と陽のワンネス(プラマイゼロの宇宙の核質)を求め、それを最終的な幸せと感じるように組み込まれていると気付いたからです。私たち人間は、この資本主義社会において、毎日頑張って仕事をします。給与としていただくお金は二次的であっても、みんな毎日を幸せに生きたいという気持ちが、根本的な原動力となり、私たちを動かしているのです。だってどんなに嫌な仕事でも、それが何かしらの幸せに繋がっているから日々頑張れるわけで・・・。
僕は結婚じゃないような結婚→離婚を経験し、結果として子供を授かりました。これも6月で4歳になる長男ですから、4年前の出来事、まぁだいぶ前の話です。離婚など、あまり世間的に聞こえが良い話ではありませんが、それはイメージの上での聞こえ、なだけで、子供からは大きな力を頂いていますし、彼自身も周りの人間に想像を超える愛をぶちまけています。僕が人間として、そして事業主として一歩ステップアップできたのも、その彼の存在のおかげであると言っても過言ではありません。何せみっともない親父になるのだけはごめんでしたから!兄、息子、甥としてもそうですが、やはり誇れる人間でありたい!その思いが僕を支えている大きな要素です。
ここ4,5年で、仕事人としては大きく成長しました。それは胸を張って言えることです。技術も相当アップしましたし、理不尽な境遇も乗り越え、多くの企業、そして人から信頼を寄せていただけるまでの人間となりました。では何故ここまでの成長があったのか。それは率直に、ここ4,5年で僕が一番意識したことが、「ビジネスマンとしての成長」だったからです。すべてやりました。本当に。もちろん、まだまだスタート地点に立ったばかりで、活躍はこれからだとは自負していますが、資本金ゼロから、自分自身という資本だけでここまでこれたのです。これには本当に自分に「よくやった!」と言ってあげたいと思っています。そのご褒美として、僕がフリーとしての活動を決意することとなった2012年の前の年の2011年を最後に訪れた我が故郷、ロサンゼルスへの帰郷を6月頭に自分に与えたいのです。
さぁそれでは今度の課題は何か。この4,5年でビジネスの基本は学び、簡単な応用までは出来るようになった。次です。次は、紛うことなき「男」としての成長です。いやこれマジ笑 日本に帰ってきて以来、これは実に全く意識したことがなかったことです。ファッション?オシャレ?女心?優しさ?何それオイシイの?そう言うレベルです。
だからね、本当に人生待ってちゃいけないんだと思うんですよ。だってその椅子に座ってて、誰があなたのこと見つけてくれるの?わざわざあなたのところに来てくれるとでも思うの?事業だって同じです。アイディアを練るのは簡単。目標を語るのは簡単。一番むずかしいのは、実行することです。実行力。実行力がすべてを言う。エクセキューションですエクセキューション。もしくはこんな感じで言い換えることもできます↓
JUST DO YOUR GOD DAMN THING.
MAY DAY
メーデーです。ごがつついたち。4月は今までに無くブログ記事を書きませんでしたが、面白い事に気づきました。この他愛のないブログ記事執筆という行為は、自分自身の行動力と実行力の現れである、ということを。忙しかろうとなんだろうと、ブログを書いていた時のほうが仕事が捗っていたような気がするのです。3月と4月と感謝すべきことに会社自体の月間売上を更新し、一見順風満帆な流れでしたが、何度も言うように人生は何を達成するかではなく、「どう生きるか」が大切ですから、どう人生に取り組んでいるかに焦点を当てなければなりません。WHATではなく、HOWが大切なのです。僕は今まで家計を支えるべく仕事のモチベーションを上げていましたが、どうも余裕が出来てしまうとフワフワしてきます。フワフワとは、別に切磋琢磨しなくても預貯金残高があるため、気合が入らないのです。別に大丈夫だし!みたいな。これはビジネスにおいて正しいモチベーションの保ち方ではありません。第一は世への貢献と、世へ幸せを届けることです。そしてこの課題をどう拡大していくかは、試行錯誤の真っ只中です。これからです。やっとお金を追うことにピリオドを打ち、どう社会へと貢献していくかを考える時がやってきたのです。次のレベルへGO!そして今日からもう一度気を取り直して、毎日記事を書いてみます。
ケースケ誕生日おめでとうw
innterconnectedness
思っていることを素直に相手に伝える。これが出来る日本人はなかなか少ないのではないでしょうか。根に持つとか、秘めるとか。実にエネルギーの循環を妨げる厄介な行動です。わかりました、素直に伝えるのが出来ないのではなく、自分の思っていることが「自分の不満」となってしまっているから、素直に伝えられないのかもしれません。人間誰しも完璧ではありませんから、相互依存的にアドバイスをし合ったりすることはごく自然なことで、指摘は全く悪いことではありません。僕が言いたいのは、思っていることを素直に相手に伝え、話し合うことで、今までの問題をすべて解決してしまうような閃きやアイディア、方針が生まれる可能性を持っているということです。言ったら申し訳ないなぁ、とか、お世話になってるし〜とか、正直に気持ちを伝えることから逃避する理由を見つけるのは簡単ですが、気持ちを秘めたところで何の変化も無ければ、何の改善もない。真のコミュニケーションが成り立たないまま人生を歩み続けることになり、悪循環が起こるのです。では思っていることを素直に相手に伝えるとどうなるでしょう。言った自分はスッキリ爽快になるのはもちろん、相手も同じことに対してモヤモヤしてたり、悩んでいたりしていた事がわかるのです。あなたの気持ちは相手の気持ち。同じ人生のページに立っていれば、相互的に課題を持ち合わせているのが、私たち人間の性です。
Live your god damn life
弟のヒロキくんが今春専門生を卒業し、バイトもしていないのでヒロキくんと二人三脚で生活しております。毎日話していていつもお互い口にすることが、「今日も一日が終わっちまったな」ってやつです(笑)笑うところではないかもしれませんが、本当にそう思うんです。だからどうしたってワケじゃないんですが、せっかく生きているのだし、どうせ暇なんだしなんかしよーぜみたいな。僕もゲーム感覚で目標を達成していこうかなって思うんですが、なんだかんだやることがいっぱいあるんですね!だから夢に費やす時間を毎日30分でも確保しないと前に進めない。クライアントワークと私生活がベースで、その上に夢を乗せていかなければならないのですが、このバランスがなかなか難しい。何をしているわけでもないのに、毎日気付けば日が暮れてますから、この状態で夢の種に水をあげて面倒を見るのは、ガチでフルタイム勤務レベルのお話なのでございます。んま、それにしても今は翔樹の「樹」として生きる人生のフェーズですから、急がず焦らず、大地に根をはって、ドーンと生きるのみです!生きたかったのに他界することになってしまった人々のためにも、一生懸命生きることこそ、宇宙レベルでの供養となるのです。