Season 3

今日からシーズン3を迎えます。これは感覚で分かります。Season 2という記事もありました。今見たらなんと2018年の6月10日。2年と4ヶ月前ですか。いや〜ちょっと待ってよ、じゃあSeason 3の予告とテーマ話す前にSeason 2を振り返って感想書かなきゃいけないじゃないも〜!一言で言いますよ。シーズン2、マジでスゲェ。何がスゲェって?いや〜全部入ってたね。全部って?知るべきで実践すべきレッスンが全て入ってた。う〜ん上手く喩えられないけど喩えるならば、バブル崩壊、からの再建、そして統合っていう流れ?

はい、感想は以上!恐れていたこと全部チャレンジ出来たと思う。すごく清々しい。このセーブデータから次のディスクに引き継ぎ出来るなんて凄い。

いざ進みましょう!Season 3へ!Season 3がどんなシーズンになるかは、見てのお楽しみ。

ていうか2018年、おれが一番腐ってた年、ブログ記事2件しか上げてませんでした。2件ですよ2件!!!ヤバくね?マジでどんだけやねん、1年365日あってブログ記事2件てw アホやw

あの世へは何も持って帰れない

あなたの大切なものは何ですか。車ですか、資産ですか、家族ですか。

色々なものに執着したくなる気持ちはわかります。縋り付きたくなる気持ちはわかります。自分が積み上げた資産。自分がコツコツを集めたコレクション。自分の大切な人や仲間。失うのは怖いですし、奪われるのは嫌です。

でも何一つあの世(故郷)に持って帰ることは出来ないのです。

そんなの分かってるって?

だからこのひと時ひと時を、もっとエンジョイしようよって。

真剣に生きる、一生懸命に生きることは素晴らしいです。でも人生を深刻に捉えてしまうと、人生を楽しむどころか、苦しくなってしまう。

長いようで短い人生。地球旅行です。

お土産は持って帰れないので、出来るだけ体験を増やして、お土産話だけは沢山ボストンバッグに詰め込んで帰ってくださいね!

Effortlessly

今日も生き尽くしました。昨日リリースした記事は、実は書いてる途中で「こんな記事書いてマジで意味あんのかな」みたいな感覚に駆られてたんです。執筆している最中にも、フローや書きたいことが乱れたりして、途中まで全然納得いかない仕上がり。一応まぁたくさん書いたけどいつかまとめて公開できればいいや的な感じで、本当は昨日の夜アップする予定ではなかったんです。なのですが昨日の気づきの勢いのお陰か、詰まっていた何かが抜けるようにスポンとフローが夜寝る前に来まして、簡単に記事をエディティングしていると急に「あれ、記事完成したんじゃね?」と思える状態に何故か仕上がる運びに。自分でも初めてびっくりして、ニヤケてしまいました。あら完成しちゃったじゃん(^o^)って。自分の意図とは関係ないところで作品が完成したという運びは初。ある意味自分を通る神の息を感じたと言うか。不思議な感覚でした。

Effortlessというか、無理矢理感がないというか。あっ、作品ていうのは出来上がる時に出来上がるんだなって。出来上がる時に感覚で分かる。だからそれまでひたすらに手を動かし続ければいいんだなって。これはまた凄い気づきです。そうなるとやはり自分だけのエネルギーじゃなくて、宇宙全体の創造エネルギーが乗るから、フィードバックが返ってくる。朝から数名の方にレスポンスをいただきまして、今宵このブログを書きながら、この法則は確実だと確信しました。

この作品執筆活動だけど、よくわからないけど何か今はやってて心地いいから、もういいでしょ、って思えるまでやってみようと思う。頭の中のアイデアを記事として書き出すと結構スッキリしたりするのよね。

他人は時に神となり学びを与えてくれる

私たち人間は、一人ひとりが繋がっています。

繋がっているとは、もちろん魂レベルで繋がっていることはもちろんですが、己を知り、己を超越して生きれるようになるため、お互いがお互いに影響を与え合っているという意味で繋がっているのです。

例えば、見知らぬ人や仕事の取引先の人とのやり取りで、苛立ちを感じたり、自分のみぞおち辺りの反応を感じたしましょう。自分の中で思う「理不尽な事」や「理解できない事」が、他人を通じて現れるのです。

するとその認められない感情を他人のせいにしがちです。家族や友達であればまだしも、見知らぬ人や仕事の取引先の人であれば尚更です。

うざ!きも!最低!常識はずれ!ありえない!

などなど、自分の中で納得いかない感覚が浮上します。

ですがそれらは自分の中にあったからこそ浮上してきた感覚。他人が鏡となり、今の自分を見せてくれるのです。

他人は時に神となり学びを与えてくれる。神とは自分自身のことです。他人が自分を見せてくれる。他人がいるようで、他人が創り上げた感覚のようで、それらはすべて自分のものなのです。

We are all one. 起きることは全て必然であり、全て意味がある。

格闘家の須藤元気が掲げていたスローガンです。

すべては繋がり、すべては自分の成長のためにある。それを認められれば、どんな出来事も自分を味方してくれるのです。

自殺したい人への僕の思い。海ゆかば

僕は18歳の時、親父を自殺で失いました。この記事は、そんな僕が家族を自殺で失った当事者として、自殺をしたい人への思いをまとめたものです。

自分が自殺してしまったら何も書けませんが、この上なく親近な父親が目の前で自ら命を絶ったという経験をしていますから、少しはこの自殺と命についてを語れる気がするのです。そしてこのメッセージを今まだ命がある貴方に捧げたいと思います。

別にあなたに生きてもらいたいとも死んでもらいたいとも思っていません。だってあなたが生きようと死のうと私には関係ありませんから。あなたも僕を知りませんし、僕もあなたを知りません。そしてこの記事は自殺したいあなたを説得するものでもありません。あなたの自由ですから。

ただの読み物です。死ぬなら読んでから死んでください。

お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな

中島みゆきさん作詞作曲、TOKIOの唄の宙船(そらふね)という曲をご存知でしょうか。大海原、いやこの大宇宙を進む船を人に喩え、お前の船はお前が漕げ!お前の舵はお前が握れ!というメッセージが込められた、元気づけられる曲です。

その曲中に「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな」というフレーズがあります。オールとは「舵」。つまり意志を指します。

お前が死んで喜ぶやつにお前の意志を預けるな

という意味です。

自分は自分の船を進めるために生きている。自分の進みたい方向、自分の進みたい方角を自分で選択する旅が人生というもの。

ここで自分に尋ねていただきたいのが、自分の舵はちゃんと切れているか?という質問です。ちゃんとした判断を下して、変えるべきルートはちゃんと変えているでしょうか。無理矢理に険しい道を進もうとはしていませんでしょうか。

死んだ親父を見ていた限り、プライドの高さ故に、ルート変更が苦しかったように見受けられました。家族に迷惑をかけるとか、今の幸せが失われる等という心配から、意地でも舵を切らずに進もうとした結果、道に耐えきれず、自ら命を断つに至ったと。

人生で大切なのは進む道ではなく、自分の意志です。自分の状態を知り、過信しないことを心がければ、危険な航海はしないで済みます。自分第一に。安全第一に進んでください。無理矢理に突き進もうとしなくてもいいのです。自分が進めるルートを見極めることも大切なのです。

自分の人生と自分の意志は別物

あなたの意志だけが、船の特性を知り、船の行き先を知り、船の状態を知っています。あなたの意志以外、船の状態を知ることは出来ません。

これがどのように自殺と関連するかというと、自殺してしまう人は、この自分の船の状態を把握しているにも関わらず、無理な航海を続けてしまい、気づいた時には溺れ、手遅れとなってしまうということなのです。

残念ながら、現実世界の海で溺れているとはワケが違います。自分の世界での海に溺れている訳ですから、他人である救助隊が助けることは不可能なのです。

ですから今この記事を読んでいるあなたは、もし本当に自殺を考えていたとしても、まだ溺れてはいないので幸運です。自殺を考えるイコール、自分の船が自分の意志とは違った方向に進みすぎてしまったために、船が操縦士に向けて警告音を出している状態と言えるでしょう。

その死にたいという感情は、「死にたい」という感情でしか認識できない、船から操縦士へのメッセージなのです。

まだ間に合う。舵を切れ!

と。

船のダメージは操縦士のダメージではない

ここで気をつけなければならないのが、人生においての真の問題は、状況が問題でないということです。船(状況)と操縦士(あなた)は別物です。船の状態や船の場所は、自分の人生における状態や状況のことで、あなたにはこれらを変える力があります。

  • 私は恵まれていない
  • この職場、仕事が嫌だ
  • パートナーと一緒にいるのが嫌だ
  • 私はもう人生を変えられない
  • 誰も理解してくれない

これらは状況であって、意志(操縦士)では無い内容です。あなたではないのです。あなたは船を操る意志なのです。意志が完全になくなった時、無意識(無”意志”気)となり、自ら命を絶ってしまう。これが自殺です。

自殺する人は完全に無意識です。意志が完全になくなってしまうから、自分自身を来た場所(あの世)に戻すしか出来なくなってしまうのです。

自殺を事前のカウンセリングなどをしても止められないのはこれが理由です。

自殺者は死にたいなんて思っていないんです。自ら命を絶ってしまうほど、意志がなく(舵を切れなく)なってしまっているんです。意志があったら自殺しないでしょう、どう考えても。

死んで損するのはお前だけ!

宙船の歌詞にある「お前が消えて喜ぶ者」という意味を詳しく見ていきましょう。一体どう言う意味なのか。それは一体誰なのか?

これは私の勝手な解釈ですが、消えて喜ぶという表現は比喩で、実際に消えて喜ぶ人は居ないはず(戦争は除く)ですが、それくらいの気持ちを生きる上で持てという意味だと思うのです。

逆の言い方をするのであれば、死んで損するのはお前だけ!という事。

損するものなんて何もない。もう損しまくった。だから私が死のうと生きようと意味はない!と思いましたか?

残念ながら死ぬことは大損です。何故ならば、人間何をもがこうと結局は死ぬんです。これから逃れられた人は一人といません。誰だって最後には死ぬんです。宇宙の法則、生物の法則に基づき、必ず我々人間は死にます。

それをわざわざ自分で急ぐ必要があるのでしょうか。この世の中、生きたいのに死んでしまう人が大勢います。若くして交通事故、若くして難病、さらには記憶すらないまま、生きたことすら実感できぬまま去る小さな子もいます。

生きてるだけで丸儲け。さんまのオッサンの言葉です。丸儲けという意味は、別にお金を儲けるというだけの意味ではありません。別に望んだわけではないこの人生だが、生きることそのものが価値のあること。その人生の中で得る価値は、生きるそのものの価値には到底値(あたい)しない、という意味を込めて放った言葉だと私は解釈しています。

自殺した親父は大損です。2008年以降、何も知らないんですから。何も食べてないんですから。あーもったいない。悲しいとか残念とかいうレベルの話ではないです。素直にもったいない。生きないともったいないんです。

生きれる限りは生きたほうが、絶対良い。

他人を見すぎる日本。自分を失う日本

次に日本という国、日本人という人種の特性から、自殺との関係性について掘り下げてみましょう。

日本は裕福な国なのにも関わらず、先進国の中でも特に自殺率が高いことで有名です。これは生命に関わる境遇にさらされることがほぼ無い事に起因していると私は考えています。

日本という国では日常の生活において、飢餓や暴動など、自らの命が脅かされる事態が起こりにくいのです。となると、日々を生きる上で、この尊い生命を感じることはほぼゼロと言っていいほど無くなります。食べて寝て生きるという基本は当たり前ですから。

この状態で生きていると「生きる事そのもの価値」よりも「人生の中で得る価値」の方が上回ってしまう。

朝起きてご飯を食べ、夜に寝るという人生の基本があっての人生なのに、そんな自分が生きてる事なんて関係ないと思えてしまうほど、後付けの価値が自分の人生になってしまっている。それに加え後付けの価値での比較が始まり、さらなる不満足を生む。これが日本の現代人の心の現状です。

これを自分が失われている状態と言います。

自分が何故失われるのか。それは、生きる事そのものが「自分」だからです。生きていなければ自分はいません。自分がいるからこその人生体験であり、喜怒哀楽なわけです。

死んだ親父は確かに頑張った。僕たち家族に良い思いをさせてくれた。でもその創り上げた価値が、自分の命の価値を上回ってしまった。親父にとっては敗北だったのでしょう。

実はこの生きている時の方が夢

私たちが生まれる前、世界は存在しませんでした。私たちが死ぬ時、世界は消えてなくなります。

人間という肉体ありきの、この人生体験です。この肉体を持ってこの世にいると、人間主体の考え方が絶対となります。人間の考えなのですから当たり前です。この有限な体を持つと、有限な思考や思い込みをしてしまうのは当然なのです。

さてこの現実と思い込んでいる人生体験ですが、生まれた時から死ぬまでが人生体験ですから、前述の通り有限であることに皆さん同意していただけるかと思います。

では生まれる前と死んだ後など、この人間の肉体に意識が宿る前と後は、いわゆる私たちはあの世に居ることになります。あの世はどう形容すれば良いでしょう。有限の反対である無限、つまり永遠とでも言えば良いでしょうか。

人間として生きていると、この世がホームであの世がアウェイと感じますが、実はあの世側の方が魂レベルではホーム(故郷)という事になります。

永遠が、肉体という媒体を通じて、この地球という物理的体験(有限な世界)を体験しに来ているという事。今流行りのVRってあるじゃないですか。ゴーグルかけるやつ。あんな感じです。人間という肉体に意識が入ると、超鮮明なVRが再生されるのです。この夢が人生体験です。

結構凄いシステムだと思うんですけど、どうですか?

この記事を読んでいる時点で安泰

まだあなたには生きたいという気持ちがあるようです。なければこの記事には辿り着いていないでしょう。さらに、自殺する大半の方は前述の通り無意識です。自殺は自分で抑えられるような行動ではないのです。

自ら自分の命を絶てるなど正気の沙汰でないです!明らかに頭がイカれてます!おかしいです!

ということで、あなたの人生をより良くするためのおまじないをお教えしましょう。

Life is good!
ライフ・イズ・グッド!

と言いましょう。言霊です。 翻訳すると「生きてるだけで丸儲け」って意味です。

今日も生きてください。

1曲リピート

同じ苦しみを繰り返していると、いい加減自分気付けよ、本当お前ってアホだなってなるわけです。凄いんですよね、この繰り返す同じ思考って。お前は何も達成していない。お前は何も出来ない。お前は変わっていない。お前は無能だ。

色々な技を使って自虐をするのが好きなのがエゴってやつです。これがまた本日やってきました。昼頃でしょうか。夕方にはクリアになりました。なぜかって、これは状況に関係なく現れてくるただの一曲リピートしか出来ないぶっ壊れかけたテープレコーダーだなって今日リアルガチに気づいてしまったのです。

色々と整理された感じでスッキリです。

さぁさぁさぁたまにやってみたくなる夜のヒットスタジオ行ってみましょうか。今日ご紹介する曲はなんと、僕のエゴの1曲リピートに負けないくらい、僕が昔1曲リピートしまくっていた曲です!ちょうど4年前くらいでしょうか。初めてのLaravelの案件をこなしながら、何年ぶりかのLAトリップに向けて徹夜を重ねていた時に聴いていまして、中毒性ありありの1曲であります。

あれ、前もしかして紹介した事あったっけ?と思って検索かけたらやっぱりあったw

Hidden Memories

こちらはリミックスの紹介だったので、今回は原曲にしましょう。

Imogen Heapさんで、Hide and Seek. どうぞ!ごめん観て思い出したんだけど、MV意味分かんないし古くて画質悪いけど許してw 一応これ公式w

現代病は呼吸が出来ていない病

呼吸が乱れると体の機能も乱れていきます。ここで言う現代病とは、数百年前には存在していなかった病気を指します。

例えば花粉症。私の母親は昭和35年生まれ(2020で還暦を迎えました)ですが、花粉症という言葉は昔は聞いたことがなかったようです。

うつ病、パニック障害、躁うつ病、自立神経失調症、自己免疫疾患などなど、明らかに人間の生活習慣と意識状態に起因したと思われる病気はすべて現代病と言えるでしょう。

私は医師でもなく医学を勉強したわけではありませんので、私の勝手な解釈にはなりますが、これらはすべて呼吸が出来ていない病ではないのかと思ったのです。出来ていないとは、呼吸が浅いということ。

この現代のようなストレス社会、テクノロジー社会に生きる人は皆、呼吸に意識もしなければ、肺の容量の20%しか使っていないかのような浅く短い呼吸をしてしまっているのです。

これは体に大きな負担となります。酸素を取り込み、神経を整える役目のある呼吸を、本来のキャパシティのたった2割しか活用出来ていなければ当然です

酸素が取り込めなければ疲れやすくなりますし(走ると息が上がるのと同じ)、神経が2割しか整わないとなれば、体の機能は大きく歪んでいきます。

あなたは1日にする呼吸の何呼吸数えたことがありますか?呼吸の深さを意識して息を吸ったことはありますか?あなたのその不調、呼吸からかもしれないですよ。

姿勢で示せ

まだ始まってもいないのに諦めるのか?姿勢を改めろ。すべては姿勢だ。この一ヶ月でまとめた内容を思い出せ。自分第一の感覚重視で生きろ。自分の感覚を信じろ。周りを見るな。周りは居るようでいない。それでお前はここまで来たんだ。がんばれ。まだ始まってもいないんだぞ。本当に後が無くなるまで、思いっきりやってみろ。数字を気にしている場合じゃない。お前の中での普遍を生きろと言ってるんだ。いつまでいたちごっこするつもりだ。今越えないと一生越えられない。腹をくくれ。姿勢で示せ。

FUEL OF LIFE

毎週土曜日の夜はジェイと恒例のスマブラセッションなのですが、連絡もなければ連絡しても未読スルーなので今日はパスなのでしょう。ちょうど眠かったので結果オーライです。強いて言うならば来る道中にセブンでランチパックピーナッツを買ってきて欲しかったんだけどなー、まぁ良いでしょうw

連日の雨で気が晴れないと思いきや、気はめちゃくちゃ晴れてます。さらに数ヶ月前から暦に左右されるという意識が晴れてなくったので、毎日が当日なのです。毎日が当日?w 土日だからちょっとリラックスしようみたいな感覚が少なからずあったんです、ちょっと前までは。でも最近は毎日がエブリデイな訳です。夢のドリームですよ。この感覚で生きれるということは。左右される要素が極限に省かれているライフスタイルですから。

と書いているとジェイからLINE。腹を下したらしい。しかもインスタントラーメンでw どんだけやねん!ベンチプレス120Kgのマッスルマンのそれとは信じがたいです!遠く離れている母親も今朝レシピを聞こうと電話したら風邪引いたって言ってたし、季節の変わり目でみんな不安定ということでしょうね。おれも鼻水たれ蔵ちょっとやってたし。

んで今日は何を考えて生きてたんだっけ。あっそうだ、異性についてだ。なんか昨日の夜から今朝にかけてふと頭をよぎったのが、アイドル(男女問わず)の存在意義について。別におれはアイドルは好きでも嫌いでもないし、ガチファンになったこともないけど、拒否反応はない。モー娘。大好きだったし、AKBグループもかじったし乃木坂?赤坂、道玄坂?も有名所は分かるし、ジャニーズからEXILEまで大体わかる。んで逆に乃木坂大ファンの友達も居るし、いとこはLDH大ファンてことで、ファンになる人の性質も少なからず分かる気がする。でも今日の朝までは、そんな会えもしない振り向きもしないアイドルに大枚払って何になるんねん。好きなのは分かるけど、自分の中での価値観が、アイドル好きの価値観に何をどう考えても同調できないために、そんなもん追ってないでなんかせいや。なんて思ってた。

でも違うんだなって。俺は間違っていたというか知らなかった。みんながアイドルが好きな理由。そして何故芸能人が結婚すると○○ロスとか言う現象が起きるのか。やっと分かった気がした。それは、人は誰でも、誰かに恋をしていたいから、ということ。それが目の前に座っている人であろうと、ただ画面に映るだけ、会えてもコンサート会場で100メートル先に小さく見える人であろうと、人は人に恋がしたい。それが生きがい(生きる燃料)になるんだなって。理由なんてものは存在しない。恋するって気持ちいいんだなって。これは青臭い感じの評論でもない。人間の仕様である。本能ということである。これが死角だった。

何故かこの恋をするという感覚、久しく僕は体験していなかったような気がした。でも忘れてはいない。断片的な感じで覚えている。でもその感覚はわかる。そしてその感覚は、不思議と人間の感じられる感情の中でも群を抜いて、尊く、切なく、届きそうで、届かなそうで、嬉しくも悲しくもなく、怒りはなく、嬉しさよりもかけがえのなく、そして戻れそうで戻れない、叶いそうで叶わない不思議な感覚。だから最近だったら石原さとみちゃんの結婚で、さとみロスという言葉ツイッターでトレンドになっていましたが、数え切れない人々が石原さとみに恋をしていた。恋という夢のような感覚。前述の通り、届きそうで届かなく、叶いそうで叶わない夢の感覚を石原さとみが見せてくれた。だから石原さとみの結婚は多くの人にとっての失恋となり、多くの人の夢の終わりとなり、「ロス」に至ったと。

ただ、夢も夢で気持ちがいいが、実際の人の夢と人の夢が重なる夢のほうが良いに決まってる。てかお前はさっさと恋をしろ。忘れる前に。

メーデー

本日遠足デー。藤沢駅まで行ってきました。目的は旧友と会うため。もう19年も会ってなかったので、ほぼはじめまして(笑)ずっと会いたかった人なのと、同じ1989年生の独立組としてこの腐敗した世界で闘っている同志としても、どんな感覚を持っているのか非常に興味がありました。芽が育つと書いてメイ。昔から漢字と名前に強い僕ですから、小学校の同級生の漢字は全員分渡米前から忘れていません。さてそのメイちゃんですが、うん、百戦錬磨。に加えDGAF(Don’t Give A Fuck – 楽観的)さMAXで、あ〜そう言えばメイってそんな感じだったっけ?よく覚えてないけど今日話してあー確かに昔から自分を持つという軸は合ったような気がするけど、神経質ではなかったかな?と昔のキヲクの引き出しをひっくり返しながら談笑しておりました。何ていうんだろう、とにかく強い。強いっていうのは、自分がしっかりあるってことね。世の波に飲まれず我をゆく。振り返るとメイの周りの女子も全員強者でした。ゆましかりかなこしかり。敵いません本当に。でもまぁおれも自分を曲げませんから、1989年生に共通することなのかも知れません。功大もそうだし。我が道を行く世代なのでしょう。にしても鹿浜時代からの旧友の再会は多分もうメイで最後でしょうね。正直僕もメイとは一生会わんと思っていましたから。さすがに19年間を3時間で語り尽くすのは無理があって、あっという間の3時間でした。っていうか何で今更会うことになったのか?僕にもわかりません。運びってやつです。10月9日、メーデー(Mei day = MAYDAY)でしたね。不思議なひと時でした。