人生をデザインする事

創造とは絵画や物作りをやれという事ではない。あなたの宇宙を創造することだ。そしてまずは思考の正しい使い方をマスターすることだ。

行動(現実化)と計画(プログラム)は別物だ。行動にはできるだけマインドを持ち込まない事だ。そして時間と心にスペースを持つことだ。

期待や不安に溢れたプランニングではなく、ジャッジメントの無いタスクリスト、行動の順番を考えるだけだ。

余計なマインドが発生しない空間作り。

「行動にマインドを持ち込まない事」
「全ては幻想。ならばその幻想を最高のものにしてはどうかね」

by 世良健一

呼吸が浅いと、食事、サプリは意味がない

これはもう耳にタコができるくらい聞いた事があると思いますが、呼吸は人間の機能の中で、唯一、自動で行われるかつ、コントロールできる動作です。これは何を示すかというと、自動で運転している人間の機能(臓器や循環)を、呼吸を通じて調整、改善、修復できるということです。

つまりです。健康に気をつけるという名目で食べ物を変えたり、サプリメントを摂取したりするということは、呼吸が浅かったり、呼吸を意識的に行えていない場合、栄養の100%の効力を発揮することができないのです。

息を吸えないところまで吸いましょう。吐けなくなるまで吐きましょう。そしてこの呼吸に感謝しましょう。食べていかなくてはならないとか言いますが、食べるよりも、息していかなければならないのです。

息してる?(shoutout to chintem)

Rich means how much you can spend. Not how much you can save up.

Or not how much you can make within a year.

Some people make a lot of money, but they are so afraid of spending that money. Because the concept money takes up so much of who they are, spending feels like as if something within themselves is taken away.

If you wanna become rich, learn how to spend money. So when you spend that money, there is no trace of regrets or feeling of you lost something.

Know that by spending money, there are people being saved off of it. Appreciate money, and give it out like you have unlimited money.

人はそれぞれ学びの段階が違うことを受け入れる

あなたは感じない何かを、他の人は感じる場合があるということ。あなたにとっての当たり前は、その人にとっては当たり前ではないということ。

当たり前とは、魂レベルの学びにおけるその人の立つ現在地のことです。色々な出来事に揉まれながら生きると、些細な事に気にならなくなることがありますが、この原理と一緒です。

すなわち自分がどれだけ自分の感情をコントロールできているか、どれだけ自己とエゴの分別が出来ているかという部分がまだ未熟な人にとっては、どうでも良いことでも重大事に感じてしまう訳です。

その人はあなたを攻めてくるかもしれません。あなたのせいにしてくるかもしれません。でもそれはその人のスピリチュアルジャーニーの道のりで現れている、その人の感情。

人が無意識に陥ってしまっている事に気づいたら、それを認め、受け入れてあげる必要があります。その人が、その苦しみは「自身の無意識、またはエゴの仕業である」と気づくまでは、そっと見守るしか無いのです。その無意識な状態にあるその張本人を、お前の無意識だ!と責めることはご法度であり、無意味なのです。

人はそれぞれ学びの段階が違うということを受け入れなければなりません。

人生のテーマ

なつかしいなぁ〜ブログを毎日書いてた日々。3日連続でブログ書くの何年ぶりだろうってくらい思っていますが、2014〜2015年くらいかな、毎日ブログを書いていた時期があったんです。でも当時ってただ日記を書くだけで、自分の中での方向性というか、人生のテーマがそこまで決まっていなかった。もちろん、毎日書いていたので、書くそのものの行為は上達しましたし、自分が書くことが好きであるということも知ることができました。要はこのブログ立ち上げから2016年半ば頃まで熱心に何の目的もなく日々思ったこと感じたことを綴ってきたのです。

そして2016年半ば、ジェイとの出会いを境に、一旦このブログから距離を置くことになります。ジェイと出会ったのは2016年の7月ですから、もうすぐで4年ですね。4年もの間、言い方は変ですが、自分の表現?というか自分の内面の整理?要するにアウトプットをしない訳ですから、インプットもままならない訳です。どんな形であれです。

しかし決して自分の探求をないがしろにしていたわけではありません。その時その時に自分の正しいと思ったことを実施し、経験から学ぶスタイルは変わらず貫いていました。そして地獄も見ました。一度地獄に足を突っ込むと、この他愛のない日常がヘブンでしかなく感じるとか、色々と人生という体験への見方も変わりました。

3日目ということで執筆のエンジンもかかってきました。多分この家に引っ越してきてからここまで会社のブログ以外で書いたことは無いレベルかもしれません。ジャーナル以外の記事創作のアイディアを練り始めるとします。色々な人から影響を受け、会ったこともない人に恋をし、人生のテーマが決まってきました。

Who you really are is under pressure. Under challenges. And around unconscious people.

Or I could say, how conscious you are, could be measured under pressure and under challenges. And around unconscious people.

Because these three things are challenging. They aren’t very easy to go through. So when one of these things occur, you are pretty much up to a test. A test to see whether you can stay calm and conscious. If you can’t, then that means you got lost. Lost in unconsciousness.

Think about it. If you take a closer look at whatever challenge that you are about to solve, there’s no need to tense up. Tensing up does not serve any purpose at all!

Back to the title though, it might be misleading to say that who you really are is under pressure. That’s not a correct way to put what I’m trying to say here. It’s better to say, you will know how detached you are of challenges, by how much of resistance you feel to challenges.

If you feel anger, jealousy, grievance or whatever kind of negative emotion due to a circumstance, then you have some work left to do. Some work left to take care of. As in your spiritual growth. To separate this movie and the watcher.

Peacefulness and acceptance are the source of true life energy

Peacefulness relaxes you. Both emotionally and physically. And peacefulness is accessible to you anywhere anytime. But to access the realm of peacefulness, you must first accept the fact that you create your own reality.

Let’s say you are continuously talking to yourself about something that you said or done, and you regret what you’ve done. But if you take a close look at this very action, it serves no purpose at all. It just keeps beating and beating you up for the thing that you cannot reverse.

So the self talk certainly does not give you peacefulness. The self talk denies you. Totally the opposite of peacefulness. The self talk is pretty much a war that’s happening inside of you that seems to have an end. And the fact is, it won’t end if ever. When next shit happens, the subject changes. The self talk can only end, by your feeling of “I’m just sick of thinking about this same shit over and over and I’d rather not think about it because it doesn’t seem to fucking end.”

For the things you did that you shouldn’t have done.

Accept the past. Accept the now. And accept the unknown future events that are to come.

And that true acceptance gives you peacefulness. Because it’s(whatever this moment takes are) already done anyway. We also don’t manage to have any power to change them either.

If changes are needed, act accordingly. Or else, no need to get mad or resist. Chill and relax. It’s just a movie.

人への態度は自分への態度

パートナー、家族、友達、取引先。相手が誰であろうと、自分の発する態度は自分のものである。例えば、あなたが誰かを見下すのであれば、その見下すという行為は別として、その態度を作り上げているのは自分である。

誰を見下しているのか。相手だ。
誰が見下しているのか。自分だ。

そして人生という体験は、自分の中で全て描写されるという絶対的ルールがあるため、何を感じようとそれは自分の中での創造になる。
ということは、人への態度は自分への態度ということである。

「自分にされたくないことは人にするな」とは言うが、それはもちろん人のためでもあるが、一番のところは自分のためなのである。

怒り、ムカつきの原因を辿る

怒り、ムカつきは全て、外的要因に「トリガー」された自分の中の感情である。この事実を認めない限り、その感情を超越し、魂レベルでの成長を実施することはできない。本当の意味での自由は、自分の感情に責任を持ち、コントロールすることである。

怒りが浮上したら、その状況ではなく、その状況が「自分の何を脅かしたか」辿れば、本当の原因がわかってくる。根本が分かれば、あなたの勝ち。

その足していく1(イチ)

何故人は(というか俺は(爆))近道をしたくなるのでしょう。近道をしようとして10年間、結局どこにも進まずwww やっと目の前のその一歩が全てであることに気づき、進めるような気がしてきました。

しかしそれに気づけたのは幸いですが、逆に言えばもう夢を見ることは出来なくなってしまったため、かなりキチィ茨の海(shoutout to Chihiro Onitsuka)を歩み始める羽目となりました。要は昔は今より将来のほうが大切だったんです。俺は将来こうなってやる。俺は将来BIGになってやる。俺は絶対…などなど、多数のデイドリームをビリーブするデイ・ドリーム・ビリーバーだったのですが、その叶わないかつ見るのが楽しい夢をもう見ることが出来なくなってしまったのです。これは大問題、というか、致命的です。この「今」という誰もが逃れられない空間(生きている限り続く)と真っ向勝負しなければならなくなってしまったのです。

となると真っ先に浮上する試練が、自分の今の状態を認めざるを得ないということです。どういう事かと言うと、自分が何を今まで達成していようと、何を達成していなかろうと、おそかれはやかれ、今の自分は今の自分なので、そこに少しでもいいから、今生授かった人間という体験をより良くするための成長を、少しでもいいから日々足していかなければならないということです。

昔はその足していく1(イチ)が小さく見えすぎて、その1の意味が理解できなすぎて、足すそのものの行為ができない。でも最近、その1しか足せないのがやっとわかって、その1の大切さがやっとわかって、今まで見ないふりしてた自分にやっと足していけるようになったんです。

でももちろん、無意識に足してきた1はたくさんあるのはわかっています(それ無くして今の僕はいないですから)。でもそれを意識的にして、さらに意識的にその一歩を踏み込んで行かないと、自分の残したい足跡が残せるようにならないし、更には自分が本当に見たい景色が見れないんだなってわかったんです。