大阪遠征 JAN 2020

2020年の活動は大阪出張からスタートしました。大阪に本社を構えるオーケー化成株式会社様を訪問するため、遥々千葉から大阪まで遠征です。オーケー化成様のアメリカ支部であるOK COLOR AMERICAという子会社があり(所在地が奇遇にも僕の住んでいたTorrance, CA)、そのサイト制作の打ち合わせです。

ネットで会議など出来てしまうこのご時世、出張はあまり多くはないのですが、この度、THE 出張というで大阪、行ってきました。この出張に合わせてカメラを5DからRに変えたこともあり、写真や映像を残していきたいなぁと思ったわけです。大阪は人生2度目で、せっかくの遠征で日帰りはきついし勿体ないということで、道頓堀付近で一泊しました。

ちなみに行きは飛行機、帰りは新幹線という選択。人生で何百回と飛行機に乗っているのにも関わらず、なんと30歳にして初の国内線!さらに夢にまで見た羽田−伊丹であります(飛行時間が40分だったのは大分草)。動画多めで撮影した遠征だったので写真は少ないのですが、撮った写真をどんどんポストして消化していかなければならないので、ようやく溜めに溜めた写真をアップです。

行きの飛行機座席から。もちろんDNAに記録されているJALで。プラン名は忘れましたが気持ち広めの席でした。
戎橋からの一枚。あれ戎橋だっけ?うん、橋の上から。
十八番というたこ焼き屋で食べた後に、十八番の兄ちゃんに勧められたたこ焼き屋。結局食べれず。1泊しかしないんだからたこ焼きばっか食ってられんてことで!
DOTON CRUISE
光が反射して非常にクールな絵
一応撮った。
デザインは好きよ。磯丸水産。デザインはね。
千日前!地理マニアからするとやっぱり大阪の地名が面白すぎる。Thousand days before? You mean three years ago? lol
花より団子のおれには胃袋が足りなさすぎた。
夜の難波を散策。このレトロな看板は老舗のキャバレーなんだとか。
ホルモンね。放る物。捨てる物ということでホルモン。昔は何でHORMONE食べなきゃあかんねんって思ってた普通に。
上野か歌舞伎町か道頓堀か
天井の模様の奥行きやばくね?
大阪に住むLA時代の同級生(ヒロキ)と10年ぶりにあって新世界と飛田新地DEEP大阪ツアーしてくれたよ。通天閣は文明社会の象徴に感じた。
日本中で米津くんのLemonが街中から聴こえる… よねっちゃんすごいよなぁ。
アーケードはあんまり東京には無いよね。まぁしかし道頓堀付近はいわゆる渋谷って感じね。
CROSS HOTEL OSAKA.
泊まったホテル。チェックインしてから気づいたんだけど、外国人向けっらしくてなんか大阪なのに異国な雰囲気だった。

ちなみにこの記事は僕の持っているすべてのサイトをVASTILLに統合させて初めての記事です。色々とサイトを運営しようと思っていたんだけど(5つくらい)、どうも多くのサイトの面倒を見ようとすると、どれも疎かになってしまって、どれも形にならないという悩みがありました。色々と考えた結果、すべてをVASTILLにまとめることに。

breakthrough, shoki.jp, themeland, vastill, techsavvy, engrish-okなどなど、ぜーんぶVASTILLのコンテンツとして配信していきます。

今後ともどうぞよろしく。

あなたが自由になれない理由は「自由になることが恐い」から

この日本という国で生きていく中で、本当に自分を自由にするということは、ある意味宣戦布告です。この日本という国は、他人の目を気にして行動、決断をするということが「普通」となってしまっています。「普通」ならまだしも、他人に合わせることを「美徳」とし、自分をどんどん不自由にしてしまってる人々が多く存在しています。
しかしこの他人の目を越えることは容易ではありません。社会全体が「他人の目を気にしている」状態で成り立っているため、その他人の目を気にし合うゲームから離脱することは、ほぼすべての人へおさらばをする、ということと同義となってしまうからです。
自分を自由に表現することは恐い。でも試しにこの恐さを恐さだと思わず、自由に表現することを試してみてください。恐いことが一番やりたいこと、なんて聞いたことがあると思います。いざやってみると、別に世界は変わらず、周りの人も変わらず、別に周りの人におさらばをすることにもなりません。もっと気持ちよく振る舞い、もっと周りの人に本当の自分をさらけ出すことができ、気持ちが良くなるはずです。
ただ、逆にあなたとおさらばする人が出てくるかも知れませんが・・・それは致し方ありません。宇宙の仕組みです。

稼いでいない人がムカつく!? お金以外の価値を認めないと自分が苦しむ

はい、ということで100日ブログ連続投稿チャレンジは1記事で終わりましたw 次です。次というか、ブログを書くよりも動画撮ったほうが楽だし続けられるしと思ったんですけど、そんなの言い訳にしか過ぎません。どれだけ自分がその取り組みに自分を捧げられるかだと思うのです。
例えば、ご飯を食べない日はないと思うんです。断食中以外は。では何故毎日欠かさず食べるかと言うと、自分の中での「食事」が重要であり、必要であり、さらに食べたいから、毎日欠かさず食べるわけです。食べることに関しては少々究極な喩えになりますが、どれだけ自分の中でそれをしたいのか、という気持ちが、「続ける」ということに直結している気がします。
なので数日前にほざいたにしても、こうして3日後にまた書けている自分が居ることが素直に嬉しいです。自分の中でまた少しずつ、このブログ執筆の大切さや価値が大きくなってきてる証です。

さて昨日は自分のEvernoteに溜めているライフレッスンノートのひとつを動画として撮ってみたんです。ノート名は「お金以外の価値を認める」ということについてです。実際に動画を観ていただければ内容はその通りなのですが、要するにこの拝金資本主義社会に、僕も飲み込まれてしまい、人として失格、太宰治と言わんばかりの人間失格状態に僕は陥ってしまったことがあったのです。人間失格ならまだしも、自ら自分を滅ぼすまでの機能不全に陥りましたから、それはまさに苦い薬。
でもその薬は効果抜群で、その1年後には自分でも胸を張り、どんな人とでも向きあえるようになりました。どんな人とでも向き合える、というのは、言い換えれば「自分のすべてを認め受け入れられるようになった」ということで、内面と外の世界がリンクしているところに注目です。

パニック障害奮闘記 「はじめに」

パニック障害は今や「流行り」とまで言われるほどの疾患となってしまったようです。私の場合、2018年の9月の頭から予兆(前震)が始まり、同月9月の末に、長野の1,200mの山村の家に滞在中、最大級のパニック発作に襲われました。1年ちょい経った今、どのように私がこの疾患と向き合い、今に至ったのか。どのような事を試し、何を学び、何を感じながらこの1年を過ごしたのか。自分の記憶が許す限り、すべての考察を書き出したいと思います。さらに可能なのであれば、パニック発作当時の自分と全国のパニック障害と向き合う勇者に何を伝えたいかなども、綴ってみたいと思います。
簡潔に書いて終わり、と思ったのですが、自分の体験の整理のためにも、最初から詳しく思い出して書き出してみたいと思っています。長いシリーズになるかと思いますが、ハッピーエンドなストーリーかつ、現在進行系でパニック障害と向き合う方々のお役に必ず立てる内容になると思いますので、ぜひ読んでいただけますと幸いです。

自己紹介の前に

まずは自己紹介をして、どんな人間がパニック障害に至ったのか、という背景を知ってもらいたいと思いますが、読み進める前に全国のパニック障害と向き合う勇者に伝えたいことがあります。それは、

マジで大丈夫だから心配しないで!パニック障害っていうのは、錯覚というか、脳が誤作動を起こしてしまう疾患なだけ。発作が起きると困るし面倒だし、生きる気力も下がってしまうかも知れないけど、マジで大丈夫。もうね、とにかく大丈夫。

ただ、一番酷かった時を思い出すと、そんな事言われても、っていうくらい厳しい感覚の時もありました。でもどんな病気でもそうだけど、患ってしまった以上、調子が悪い時があるのはしょうがないこと。インフルエンザにかかったら、1週間とか調子悪いでしょ?でもインフルエンザは風邪の症状に似てるし、体は調子悪くても、精神的には別に「嵐が過ぎ去るのを待つしか無い」って感じてると思うの。ただパニック障害の場合は、明確な終わりも見えないし、症状も良くわからないから、体的な症状よりも、どうやってこの疾患と向き合えば良いのだろう?という疑問と、私がこんな風に壊れてはダメだ!という自己否定が回ってしまうかと思います。
でも大丈夫なんです。そういう疾患なんです!インフルエンザは熱と倦怠感とかあるじゃないですか。パニック障害は、パニック発作という症状に加えて、不安・自己否定・ネガティブ思考の思い込みが消えない、という症状を伴うんです!あなたのせいじゃないんです。それが症状であると認識してください!まずはそうなってしまった自分と、そういう症状を認めること。それが改善への第1ステップです。
その症状を認められないと、改善どころか、さらに悪化します。なので僕自身も、最初は何の症状かわからなくて、その症状を精神的に拒否してしまうがために、さらにそのパニック発作が悪化してしまう、というサイクルに入ってしまったことを覚えています。
激しいパニック発作に対する処置も後のシリーズで解説していきますが、とにかく患ってしまった以上時遅しなので、その自分を受け入れ、許容することからスタートしていただければと思います。
長いシリーズにはなりますが、僕の体験と考察が皆様のお役に立てることを願い、ゆっくりじっくりと綴っていきたいと思います。

発信を3週間強続けて思ったこと

自分が生む価値は何なのだろうか。ここ最近になって意識し始めている事柄です。自分が一番長けていることは何か、そしてどう他の人類に好影響を与えられるのだろうか。静かに激しく伝導する叡智の響きに日々耳を傾けています。
自分自身で創造し、かつ自分自身で完結する価値があるのであれば良いのですが、せっかくならばそれらを使って、他者にも僕を通じて表現されている叡智を知ってもらいたい。色々な人に僕の定義する生きる価値を分かち合いたい、と思うようになった、と言えば良いでしょうか。自分の感じていることをいざ文字に起こしてみると非常に難しい感覚であります。
ここ数週間でまずは発信できるようになりました。発信を通じて自分を知れるようになりました。最初は自分でも実はよくわからなかったんです。自分がまさかこのような感覚(発信したいと思う感覚)を持つようになる事さえも想像できませんでしたので、まさに天に動かされているような感覚なのです。だからこそ自分でも正直驚いていました。え、ショーキお前いきなりどーした?的な感じです。泳げないというか水さえ知らないのに、プールに突き落とされた感じ!でも前から泳ぎたかった自分もいて・・・。
そして自分が何を発信したいのか。何を宇宙の叡智の一部として発信すべきなのか、少しずつですが理解できて言ってるような気がします。
あーあとひとつ、あのね、SNSで影響力を持つには、やっぱり内面と外面のバランスが必要不可欠みたい。無駄なのに、ビュー数とか誰が観てるとか意識しちゃってた時があったんだけど、これはかなり人生の質を下げるみたいw 数を追うのは良い。でも打つ手打つ手ひとつひとつを、打った後には手放していく、ということが大切だと思います。
昨日LA時代の高校の同級生の良太の結婚式に行ったので画像も載せときまーす。






結婚おめでとう良太!

自分以外に自分は探せない

今日が終わる前に、今日寝る前に、今日のことを書けと。はあちゅうが言うならそうするよ。というかそうしてたんだけど、なぜかここ最近記事を書いたのは全部朝起きて直後の8時頃。それ以外の過去の記事はほぼほぼ全部寝る前か大体夜に綴っていました。では、はい、本日のことを忘れないうちに綴る。そして明日それを読み返すと。読み返すのはしてなかったから、やってみようと思う。多分最近やってるインスタストーリー上げの動画を全部自分で見直すって感じだろうね。だから書いている時と、読んでいる時は意識状態が違うから、行間が読めるようになるということだと。まぁそれは技術的な話であって、本題はこれからです。
要はこの毎日における学びと拡大が尋常じゃないレベルのスピードで成されていっており、正直ブログになんて書ききれたもんじゃないんです。もう深すぎ。まぁ何が起こったかを簡単に言うと、I amとmy selfが隔離されて、その新システム(新というか永遠のシステム)に機種変し、自分との統合性を高めるフェーズに入ったのですが(10月4日辺りから)、そのフェーズがヤバいんですとにかく。今までの30年間の人生で築き上げた全てのルールが覆されている感覚で、自分単体ではなく、意識体としての自分がこの媒体(翔樹)のマスターとなって再スタートしたイメージ。内面的な変化は言葉に表せられないけど、気付き的な?閃き的な?翔樹の名言集はツイッターに上げていますので見てみて。
じゃあ何を書きたいかって?「自分以外に自分は探せないよ」って事かな。あとは「自分が目指すものにはなれない」事とかも。だってもう自分は完成しているのに何かを目指すことなんかは出来ない。ただ最善を尽くせば良いだけ。そして全ての出来事に影響されないこと。
この曲聞いて、一緒にアセンションしちゃいましょ?

本日はお日柄もよく 原田マハさん著のスピーチ小説

What a beautiful day!

原田マハさんのお仕事小説、「本日はお日柄もよく」を読み終えました。27歳かな?OLからスピーチライターという天職に転職した二ノ宮こと葉のストーリー。参院選に立候補することとなる幼馴染のスピーチライティングを任される、というお仕事がメインディッシュとなる小説です。こう書くと如何にもつまらなさそうな説明であります!(笑)ぶっちゃけ僕も最初の半分はマジでつまんねぇって思いました。この30歳としての翔樹の魂レベルでの親父として君臨しているオノさんから推薦を受けた時は、オノさんが勧めてくるのだから読むしかないと思うわけですが、最初の半分は本当に苦痛でした。そもそも僕が本を読まなさすぎってのもあるんですがね。読書家の叔父からも言われましたが、どんな小説を読んでても、どんなに読書歴が長いからと、どんな小説は冒頭は「闘う」必要があるのだとか。だから最初の半分がつまらないと感じるのはどんな小説でも同じなのかもしれません。いわゆるビルドアップが必要なだけなのですが。

一番印象に残ったシーン

由比ガ浜公会堂の最終決戦シーンですよねもちろん。いやマジでこれ打ち込んでから初めて気づきました。そりゃ最終決戦印象に残るだろボケ!みたいな。その最終決戦前、あと20分で最終のスピーチが行われるという時、主人公こと葉のライバルから電話があります。今すぐ会って話がしたいと。そのライバルは同じ選挙区の敵陣立候補者のスピーチを書いているライターで、同じ会場(由比ガ浜公会堂)に居たのですが、そのこと葉とライバルが会話するシーン、マジで号泣。内容は複雑すぎてここには起こしませんが、こんなメッセージを僕は感じました。

自己の先入観から悪人と決めつけてしまう人間の性、でもそれは先入観と自己完結的な頭の中のストーリーであり、先入観の裏側には本当の愛がある。だから苦境の時こそ耐えて!苦境には一番の打開策、チャンスが隠されている!

今後に役立つと思ったこと

一番は言葉の使い方次第で相手の感じることは変わる、ということ。当たり前に聞こえますが、意図的に行わないとこれは難しいスキルです。常に聴いてる側の気持ちを忘れずに、エンターテインさせつつ、愛を感じさせるように話す、事を書くことが1人間として出来る最高の表現であること間違い有りません。特にクライアントとのメールでのやり取り、電話での通話、打ち合わせでの対話が多くある仕事ではかなり役立つことだと思います。

初めて知ったこと

選挙がテーマであるため、選挙活動の裏側について少し知ることが出来ました。もちろんこの小説で出てきた選挙活動の描写は氷山の一角に過ぎないのは承知ですが、特に政界の善と悪の描写が印象に残っており、政界での大きな勢力と対峙することがどれだけ険しい戦いなのかも知れました。さらにスピーチが人の心を掴めるということ。そしてスピーチ力がこの人間界において評価されるスキルであり、極める価値のある技術であるということ。

こんな人にオススメ

気持ち恋愛小説感も入ってて、バリバリの仕事だけじゃないのが本当に良かったと思う。やっぱり人間には対極となる性エネルギーが創造の鍵となっていることも感じる一冊でした。じゃあ誰に読んでもらいたいか。う〜ん。間違いなく、大鹿村に住んでいる連中にオススメは絶対しないです(笑)次のキーワードに何か共鳴するのであれば読んで良いと思います。
仕事 スピーチ 選挙 スピーチライター OL 広告代理店 政治 出馬 お仕事恋愛 結婚
こうキーワードを書いてみると、やっぱ僕みたいなハタチから10年間仕事してきたアラサーあたりの人には結構面白い小説になるのかなぁと。

自分の考えを記事として言語化することで初めて自分のものとなる。

アウトプットを語る前に、まずはインプットって一体何やねんって話です。インプットを意識するのと意識しないでは、日々の生活においての意識状態が変わります。インプットを意識しなければ、人生をどう生きたいのかという自分に課す根本的な課題もおろそかになりますし、惰性で時間が過ぎ去って行ってしまいます。僕的には、1年前にパニック障害なのか適応障害なのかわかりませんが、それを通じて体を壊してから感覚が変わり、1年経った今は、もっと人生体験を楽しもうという感覚に変わりました。そしてこの感覚になった今、この人生体験をより充実させるために、今までは出来なかった色々なことにチャレンジ出来るようになりましたし、自分の感覚以外のものから満足感を得ようとすることもなくなりました。未来や過去に執着せずに、様々な情報を入手(インプット)し、それらを満足感と切り離した状態で、この美しい人生体験に活用してみようという感覚になっているのです。
このインプットという行動に関しては、今年の8月に30歳を迎えましたが、20歳から今まで、クライアントワークに直結する仕事に役立つこと以外のインプットは全くと言っていい程してませんでした。インプットさえしていないのだから、アウトプットなど出来るわけ有りません。しばらく書かなかったこのブログですが、1年半くらいほぼ毎日書いていた時期がありました。まぁアウトプットとなるかもしれませんが、インプットがあったアウトプットというよりは、自分の人生における気付きや考察が主で、自分の情報収集の整理からのアウトプットではありませんでした。別にそのスタイルが悪かったわけではないです。自分の感覚を言語化する練習になりましたし、ただただ書き続けるという習慣を実現できたということが残ったからです。
そして今約1年半ぶりにこの2段落を書いてみたわけですが、わかりました、ブログを書く意味。アウトプットをする意味。人のためなんかじゃないです。自分の中の情報を整理するためだと思います。だって、一応書いてみたかったことは「なぜインプットの後はアウトプットをすべきなのかを考えてみた」というタイトルに基づく内容なのですが、いざ書いてみると自分の頭の中で色々なことがごっちゃになっているのが良くわかるのです。上手に言語化出来ないから。んで結局この記事を書き終えて、タイトルを「自分の考えを記事として言語化することで初めて自分のものとなる。」としました。

熟達 “Mastery”

説明の無いものは随時アップしていきます。要素ごとの記事アップも予定しています。

熟達 “Mastery”

私たちが取り組むどんな事にも、マスターと呼ばれるその分野に熟達した達人たちが存在します。しかし彼らは名人や達人、マスターとは呼ばれていても、私たちと同じ人間です。ではどこで凡人と名人の差が生まれるのか。生まれ持った才能だけで決まってしまうものなのか。育った環境、ましては遺伝子だけで決まってしまうものなのか。挫折や力量の差を感じた時に、そのような疑問を思ったことはありませんでしょうか。

凡人と達人の差、その差は先天的な要因で決まる事ではありません。達人の域に到達するための術は誰にでも用意されているのです。

熟達を定義する

確実に自分の物とし、普遍的な叡智と繋がること。

Breakthrough

熟達を達成するために必要な要素

意図のある取り組み

Intention
目的を持った取り組みとも言えます。ただ練習するのではなく、なぜ練習しているのかを意識すること。何を考えて取り組むのか。乗り越えたい課題は何なのか。それらを明確にするかしないかでは、その取り組みから生まれる成果には雲泥の差が生まれます。

基礎の徹底

Basic
より高度な技術を身に付けたいのであれば、人一倍基礎を徹底しなければなりません。ロケット発射角度と同じ原理です。1度狂うと、出発点から10,000m先の間で大きな誤差が生まれます。ブレない基礎こそ熟達を支える軸となります。

心身の緩み、リラックス

Relax
必要な場所で必要な時に力む事は間違えではありませんが、常時力んでいては、同じパフォーマンスを繰り返すことは出来なくなります。力を入れる時と脱力のちょうど狭間を維持する感覚を掴めば、持久力が生まれるだけでなく、緩急のメリハリもつき、パフォーマンスが安定します。

制御と支配、コントロール

Control
心技体の制御と支配、コントロールは、前項目の「リラックス」を心得ていないと、実践が難しくなっています。心技体の制御は、その名の通り心と技と体全てが生み出す行動を、自分の意図と100%合致させることを意味します。行動だけではないことがポイントで、感情や思考などの制御も含まれます。

模倣

Imitation
人を模倣する。作品を模倣する。先人の知恵や技術を進んで真似をするのです。模倣は自分の知らない域へ踏み込むための手段です。模倣をしてみて初めて自分のスタイルが見えたり、取り組み改善のヒントが見えたりする。そもそも、人や作品を完璧に模倣することは不可能です。色々なものや人を真似をして、既存の知恵は有効活用しましょう。

自己を俯瞰する意識

Become a watcher
マスターであるためには、自分が自分自身のマスター(支配人)となる必要があります。自分という体と自分という意識を切り離し、あたかも自分が自分の生徒であり師匠であるような感覚として浮遊するのです。そうすることで自分の中で起こっていること全てに意識が通り、取り組みの最中で細かな調整を効かせることができるようになります。

独自の表現(感性の有効活用)

Bring your own style
自分だったらこうする。この感覚が感性と呼ばれるものです。あなたにしかなく、あなたにしか分からないもの。この感性こそが自分の取り組みを唯一無二のもの育て上げていく重要な要素です。模倣は自分のスキルの幅を広げるためでありながらも、自分の好み(感性)を知る行為でもある。その感覚をキャッチできるよう、常に自分スタイルにアンテナを張る必要があるのです。

継続的な実施

Continuity
桃栗三年柿八年。何事も実を結ぶまでに時間がかかる。これは熟達においても同じことで、三年八年と言わず、人生をかけて取り組んでいくという長期的かつ継続的な実施が必要不可欠となります。目先の上達を追っては力尽きるだけ。どんなに上達したとしても、取り組みをやめてしまえばそれまで。熟達は継続的な実施のみが連れて行ってくれる世界です。

頻度

Frequency
水をあげない花は枯れる。どんな取り組みにも、花の水あげと同じ法則が適用されます。頻度を保ち取り組みを続けない限り、成長は限られるだけでなく、取り組みの質は衰退していくのです。最低でも週1。出来れば毎日。出来れなければ2日は空けないようにするなど、熟達には取り組みの頻度が重要になります。

現状の受け入れ

Acceptance
たとえ今の自分が理想とかけ離れていても、現状のあなたのスキルレベルを受け入れることなく、熟達は達成することは出来ません。言い換えるのであれば、今の状態にすべきことをせずに上達は出来ないということ。自分にはまだ難しすぎることを無理やり取り組んだとしても、それは積み重ならない取り組みとなってしまう。自分が下手であることを素直に認める。これが熟達への最短ルートです。

歓び

Enjoyment
子供の上達が早いのは歓びにあります。取り組むことが楽しいと感じ、上達していく自分、出来ないことが出来るようになっていく事に歓びを感じ、さらなる上達に繋がる。この歓びの状態にあると時間という概念がなくなります。取り組むことに夢中、つまり夢の中でことを進めるため、現実世界では不可解なスピードでの上達を可能とするのです。それはさておき、取り組みに歓びを感じないのであれば、事を通じて何かを得ようとしている証。

熱意

Enthusiasm
情熱は論理には敵わないと言われるように、物事をマスターするためには、理屈よりもあなたの気持ちのほうが重要なのです。この熱意を常に感じることは難しいですが、自己の取り組みにおいて、自分のさらなる高みを目指す過程において、自分が意図して行動していくということが熱意を生みます。大志を抱く、とも言えるかもしれません。常に前向きな姿勢で在るということです。

リラックス筋

Chops
これは思考力、想像力、そして体力など、人間の持つ力全てに適用できるもので、全ての力にはリラックス筋が存在するのです。力むという言葉があります。力が入りすぎてしまった状態のことです。力みは、その場しのぎを意識してしまっている時に起こるのですが、本来、人間のどんな力も、脱力した方が遥かに大きな力を発揮することが出来るのです。鞭(むち)のような、しなやかな力の伝達というイメージです。

安全地帯から出る

Get out of comfort zone
安全地帯とは、自己が既に辿り着いた場所、または既に手に入れたもの繰り返している状態を指します。つまりは、既にマスターしたものを繰り返していては、自己の成長は見込めないということ。未知を学び続け、吸収し続ける(新しいことにチャレンジし続ける)ことが、過去にマスターした物事にさらに磨きをかけるのです。常に自分を困らせるような取り組みをして、自己の創造回路を増やすことです。

積み重なる取り組みを行う

Addition
熟達の域の到達するためには、今の取り組みが次に繋がらなくてはなりません。1番の意図のある取り組みと似ていますが、何か一つでも昨日出来なかったことが出来るようにならないと、取り組みが無駄、とまでは言いませんが、遠回りとなってしまいます。ということは、日々の取り組みはただ一生懸命にやれば良いというわけではなく、積み重なる取り組みをしなければ意味がないということです。

終わらない学び

Endless Learning
あなたがどんな上級になったとしても、あなたには常に改善できることが存在しています。終わらない学びは、自分への終わりなき挑戦とも言えるものかもしれません。自分には苦手なことはないか。自分の癖はないか。どんなに些細な事にも改善の余地はないか。常に自問することです。飽きが来た時は、自分の成長を感じられなくなった時。初心を忘れずにとはこのことです。初心者のような学ぶ姿勢を保てということです。

主体性

Self-Oriented