常にこの瞬間に

10月に入りまた別の風が吹き始めた予感です。うわっ、てかMagic Keyboard with Touch IDにしてから初ブログか。ぶっちゃけさすがは最新のマジックキーボード、以前まで使ってたマジックキーボードよりもよりタッチ感が気持ちよくなっています。最高すぎ。

さて別の風の件ですが、いやもうこれは生き方そのものを根本から変えてしまうレベルの風です。何にも動じない心。さて動じないとはどういう意味か。簡単です。人生で何が起ころうと、自分の幸せは自分で守る。そういう意味です。これが他人であったり、物であったり、達成感であったり、自分の人生における出来事に左右されずに、どんな状況に置かれていようとも、自分の感覚、つまりは自分の幸せは自分で確保する生き方にシフトしていくということです。

この生き方に関しては昨今の自分の中では確立していたものがあったのですが、ここ数週間で少し揉まれる(渦に飲み込まれる)出来事があり(もちろん私自身の恐れを起因とした出来事です)、この数週間、なぜかここ何年も感じていなかった「不幸感」が押し寄せてきたのです。この渦から出るのは大変でしたが、今一度自分の感覚について問いただす機会をいただいたと思っています。良薬口に苦しと言わんばかりに、大分苦い体験でしたが自分には必要だったかな。なんか、自分の中で見つめ合うことを恐れていた自分の思う幸せへの弱点が浮上してきたっていう感覚。不覚だったー!笑

そう、つまりは自分じゃない自分が出てきてしまっていたということ。出来事は自分の幸せとは関係ないにも関わらず、出来事は自分の幸せと直結していると勘違いしてしまう要素がまだあったのです。まぁそれが今回は対象が異性だったというね。

結論はこうです。自分が描いていた幸せを追いに追った結果、幸せになれなかったどころか、今まで以上に不幸を感じた。理由は、その追っていた幸せは幻想だったから。幸せは常にこの瞬間にあったから。

です!おれはもう飾らない。

悔しすぎる

ある時期は夜寝る前にしか書いていなかったこのブログですが、朝一番に書くのも良いと思いました。どこかで聞いたことがある、朝起きて一番に自分の思考を3ページほど書き出すと、頭がクリアになって一日の創造性が増すんだとか。ということで本日起床してトイレ歯磨きを済ませて早速書き出します。

この思考ダンピングについては詳しくはわからないのですが(The Artist’s Wayを読みます)、思うこと考えていることを思いっ切り書きなぐるのが基本のようで、書き出す内容にルールはない。ただ思ったのが、朝起きて一番に最初に考えることって今一番自分が恐れていることに関連しているのかもということ。ある時期は、朝起きて一番に考えることは納品したシステムのことで、バグ修正に追われることが嫌になってて、いつもそればっかり心配して考えていた。んで今朝は?う〜ん昨日は晴れたから昼に1時間の散歩&日光浴をしたこともあって、めちゃくちゃよく寝れたんだけど、ひとつに自分の弱さをちょっと前(1週間前)くらいより受け止められるようになったのか、夜の考え事みたいなものは減って、寝付きも良くなった感じ。昨夜は結構遅くに寝たのにも関わらずスッキリ起きれたし、感覚的には優秀。じゃあ思考は?う〜ん、やっぱりなんか、ここ何年は感じなかった自己嫌悪感が出てきますよね。いや本当に自分で言うのもなんだけど、そこまで自分の嫌いなとこってなくて、結構何事も自分でしょーき素晴らしい!っていう風に思えてたんだけど、それが一切思えない場所があった。あったというかずっと目をつぶってきたんだと思う。イメージ的には、めちゃくちゃ良い家なんだけど、なんか長い間向き合ってなかった部屋の存在を忘れてて、いざ向き合ってみようと思ったら、クソ汚くて臭くて散らかってて、おまけにその部屋のせいで家全体が否定されかねない状況になったみたいな感じ。否定ではないか。ガサ入れ入って手錠くらったみたいな感じかな?そんな変なものをあなたが所持してるとは思いませんでした!みたいな。

ヒッキーの最近のインタビュー(BADモードのやつ)で、ヒッキー本人も自分が恐れていたことに立ち向かっていくことしか自分を知る術はないって言ってたのを思い出して、いや本当にそれじゃんって。

あとあれ、自己否定感を出したがるおれってマージガキだなってw でもしゃあない。自分の弱みと向き合うことはそんな簡単じゃない。言われて凹んだものは凹んだ。紛うことなき事実。吐き気しかしない。けど絶対変わってみせる。悔しすぎる。

初戦敗退

当たって砕けろと言わんばかりに初日から粉砕されて参りました。う〜ん、やっぱり苦すぎる。効く薬はやはり苦すぎる!おぅえ〜!って感じ。全部が全部わからなすぎて、やること言うこと全部がマイナスに作用してて、マジ超ライフレッスンの塊。まず第一に自分の勝手な想像で生きすぎ。次に結果求めすぎ。三に自分雑魚すぎw

いや、なんかこれ以上怖いものないってくらいの恐れを感じた。恐れというか、ボロボロ。1ラウンド27秒KO負け。話にならない。試合になっていないw そういう感覚になりました。何やっても避けられるし、何やっても効かないし、当たらないし、ボーッとしてたら顔面にストレート喰らってKO。タオル投入TKO!笑 いやぁ過去一で心へし折られた感じ。なんか、本当になんでも出来そうな気がしてきた。マジでこれ以上失うものはないと思うwみたいな感覚。なんか仕事でやってみたいこととか、YouTubeで配信してみようとか色々とやってみたいことがあるんだけど、昨夜感じたREJECTIONは自分のしてみたいプロジェクトに感じてた恐れに比べて天文学的に莫大。マジREJECTIONラスボスw もう死ぬより死んだw 天心がメイウェザーに負けた時、タケルが天心に負けた時、敗者は自分の全てを出し切ったけど負けて、死ぬより死んだと思う。こんな自分みたいな馬の骨と比べるのはあれだけど、人にREJECTされるってこんなにも辛いんだなって。DIE BEFORE YOU DIEっていうね。まだまだおれはただ千が欲しいカオナシなんだなって。さすがに自分でも呆れた。

でもじゃあそのREJECTIONを引き寄せたのは誰だっつー話。紛れもなく自分。自分自身。なぜこうなったか。いや自己中だからでしょw 自分のことしか考えてないからでしょう。バカだからでしょう。ガードの上から昇龍拳ぶっ放したところで確定反撃ですよ。自分の勝ちしか考えていない。試合になってない。相手の動き、相手の考えを尊重した上での行動が一切できていない。もはやゲームの仕組みさえわかっていないオワコンな訳です。なんか情けなかった。おれガキだわって。将棋でひたすら王手しか打たない小学生みたいだなってw 草付いてるけど笑い事でもない。

TKO喰らってもちゃんと連絡続けてくれるんだもんな。やさしいよな。

人は愛したいし愛されたい。

久々ですね〜本当に久々です。ん、どうだろう多分だけど6年ぶりw いや何がって?う〜んいやなんつーの、恋愛ってやつ?w いやマジで誰も読まないブログだから書けるけど、内面が大きく変化している今だから気づいた最近の学びについて綴ってみたいと思う。

まず第一に、恋愛は求めるものではなく、天から降ってくるっていう印象。要するに色々な要素が組み合わさりすぎてて、ただ単に人を好きになるとか以上に「起こる」のかなって。異性を好きになるなんて簡単じゃん?かわいいなとか。優しいなとか。バイブスいいなとか一緒にいて相性良さそうかなとか、一緒にいて楽しそうだなって思えたら、それは人を好きになるっていう入り口を越えて、全然次に発展できる状態になっている「人を好き」だと思う。でも恋愛レベルの「人を好きになる」状態って、双方の全てのタイミングがマッチしないと実現しない。

例えば、先程述べた異性を好きになる要素があったとしても、相手が同じページ(状態)にいない場合です。例えば、双方の気持ちが合致していたとしても、どちらかに恋愛に踏み込む勇気がない場合(関係性に発展させることすら恐れている場合)は、恋愛は成立しません。←結構これ一番残念でもったいないやつ。あとはどちらかに既にパートナーがいる場合などはもちろん実現しません。

あとは、本当に、出会う人出会う人とで、奇跡的に出会っているわけだから、普通に出会って恋愛までに発展できるって、マジで奇跡中の奇跡だと思うんです。

だからその奇跡が起こって、その奇跡に気づいたのならば、僕はノーガードで打ち合いすべき(とことんお互いを愛しまくるべき)だと思うんですよ。失うものなんて何もない。この宇宙、そして地球、そしてこの時代この瞬間にあなたと僕がこの奇跡を一緒に見ることになった。その奇跡を思いっ切り感じて、恐れることなく愛するし、愛してほしい。

人を愛し尽くしたことはありますか?そう聞かれたら「はい」とは答えられない。おれはまだ人を愛し尽くしたことがない。多分今までは人を愛することさえも考えたことがなかった。そして33歳になった今、なぜか人を愛してみたいと思った。その人に出会った。でもやり方はわからない。自分が思う愛しか伝えられないけど、とにかく恋愛に億劫になって、頑なに異性との関わりを避けてきた僕にとっては、この「愛」という自己表現は不器用なものになるのかもしれない。もしかすると人を傷つけてしまうかもしれない。

でも自分の感覚的には、もうひとりの俺にプールに蹴り飛ばされた気分で、もう自分で水を体験するしかない。ずっと泳ぎたいと言っていたのに、頑なに拒み続けてきた自分に別れを告げ、次に進みたいのです。

いやしかし、今まで直視してこなかった恐れの塊を感じるので、もちろん覚悟が必要だって思っています。恐れの塊とはって?例えば、やっぱり否定されることは怖い。別に野郎共に否定されるのは怖くない。なぜかって自分には関係ないから。でも愛する人に否定されるってやっぱり怖い。起こらないとわかっていても、怖い。多分これは母親に愛される愛されないの感覚に似てると思う。母親からの否定イコール死。そう幼少時代思って生きていたのを彷彿させることが、やはり愛する人に否定されることなのではないかと。

それにしてもそう容易く人を愛することなんてできないと思うし、一ヶ月数ヶ月で成し遂げることができるものでもないと思うから、せっかちな自分には一番イヤなスロースピード感で少しずつ人を上手に愛せる練習をしたいなという所存でございます。

お互いを完全に信頼し、自分の恐れを手放し、互いの弱みを共有し、互いに完全に認め合い、愛すると愛されるの量がちょうどお互いでバランスが取れた時、この奇跡の100乗世界を一緒に見ることができるんだと思った。

人は愛したいし愛されたいのね。がんばる。

Fake it till you make it.

自分の恐れていたことにチャレンジすることが一番スピリチュアルレッスンを含んでいると思った。自分が恐れていない、日々の慣れている行動からスピリチュアルレッスンがあるわけない。だってそれは惰性だから。さらにそのスピリチュアルレッスンから得るものが、何になるかも想像しえないということ。要するに自分はその行動をスピリチュアルレッスンと思ってやっていないし、その行動から何か学びを得ようとも思っていない。とにかく自分の思うままにやってみよう。それしか動機になっていないわけですから、途中に用意されている試練に驚くのは当たり前です。さらにその試練の間の最後に表示されるというか自分に感じるメッセージこそが私のスピリチュアルレッスンな訳ですが、その内容にさえも驚くというか、自分に嘘ついてたなとか、表面的だったなとか、自分の動機と思っていたけど実は自分の動機でもなんでもなく、過去にコンディショニングされた思考とトラウマや弱みをカバーするためのFAKEだったのかなとか。またはこれも全部思考か!とか(笑)

昨日改めてKSHMRのMasterclassを観ました。目から鱗でした。KSHMRが言ってました。

Fake it till you make it.

Logic画面がほぼデフォに変わりつつある

昨夜ブログを書こうと思っていたのですが、書こうと思った時にはまぶたに1トンの重さを感じており時遅し。起床して朝から作曲のお勉強をしていた訳ですが、MIDIキーボードを叩きながら異変に気づきます。ピッチベンドを触っていないのに音が曲がっとるんです。トランペットラインで一人だけチューニングバルブガン締めのやつの音(OUT OF FUCKING TUNE)が聞こえるみたいな感覚です。調べてみたらプロジェクト設定のMIDIのインプットフィルターからバイパスできるとのことで一件落着しました。

やっぱり独り言って大事だよな〜と思い、またブログを書き始めようと思った次第です。独り言って言ったって自分との対話ですからね。ぶっちゃけ対話はそれぞれの中で起こっている訳ですから、独り言だってそれは立派な対話であると思うわけです。

さて音楽制作を真剣考え始めて数ヶ月ですが、やはり物事真剣に考えていると宇宙が道標を用意してくれるようで、自分が今まで考えて疑問に感じていたことが徐々に解明されていっているような気がします。例えば、トランスミュージックが好きだし、HIPHOPやEDMも好き、クラシックも好き、LoFiとかも好きだしボカロもゲームミュージックも好きなんですが、いざ音楽制作となると、ましてや自分ひとりで制作する訳ですから、全部を欲張って作っていられる訳ではないわけで。あとは自分の将来を見据えることも重要になってくる。自分の聴きたい音楽と、自分の創りたい音楽と、大衆の聴きたい音楽、という3つの輪が重なるところを戦略的に作っていきたいなと思う。

とりまこの発想まで辿り着けたことすら奇跡。ではLogicへ戻ります。

僕の夏休みの自由研究

やってみたいことがある。そう、僕の夏休みの自由研究である。それは何か。YouTubeを観ないことである!笑 いや、半分冗談半分本気。最近凄く減ってるのよ。動画鑑賞。だからいい感じなんだけど、減ってるじゃ意味がない。脱原発と言わんばかりの、脱ユーチューブ干渉を明日からしてみたいと思うんです。明日から?そう、明日から田舎の山奥へ引きこもります。ちょっとの間ね。ではなぜにユーチューブをやろうと思っているのに脱YouTubeをするのか。カンタンです。我々人間は四六時中動画を見ているべきではないと思うからです。いやごめんなさい、そもそもYouTubeを観ないっていう友人もいました。だからこの脱ユーチューブ鑑賞がすべての人に適用されるとは思っていませんが、僕に限っては大いに適用されると思うわけです。なぜかというと、パソコンが仕事な故、YouTube鑑賞で今を紛らわせることが癖になってしまっていて、それが私達人間の創造力や創造性、そして集中力を下げていると思うからです。

量産体制

ついについに!Webサイトとかプロジェクトの量産体制に入りました!アイディアが止まらなくなってきて、ようやくゾーンに入り始めたのかなっていう感触。とりあえずShoki.jpは復活です。要するに異なる作物の育成はそれぞれに畑を持った方が面倒が見やすくなるのと同じで、畑を分けることといたしました、という所でしょうか。お分かりになりますでしょうか。

兎に角、この一つの投稿が大切です。本日はサイトの引っ越しに時間を取ったので、多くは綴らないとしますが、また色々と日々のアウトプットをしていきたいと思いますので、どうかひとつよろしくお願いいたします。

人間に感じられない感覚はない

面白い夢を見たので忘れないうちに記録したいと思います。昼寝での夢です。

夢の内容の前に、どう本日の昼寝に至ったかを簡単に説明します。今日は朝から撮影案件が柏であったので、前日(昨日)は近辺にある友人というか分身の家に泊まり、そこから現場に行くというプランを実行しました。

前日は午後に友人宅入りで、そこから夜まで仕事をこなし、夜は相変わらずのハングアウト。スマブラDXからのITZY鑑賞会からのブレワイナイトで、就寝時刻は気づけは午前2時過ぎ。2時を過ぎると、体は疲れていても頭が覚醒してしまい、寝付きはあまり良くありません。ベッドインしてから就寝まで30分以上かかったかもしれません。そして翌朝は8時起床ですから、6時間弱の睡眠時間ということになります。

この6時間弱の睡眠に関しても面白い考察がありました。普段は8時間プラスの睡眠時間を確保している自分ですが、今日の6時間弱の睡眠が、ながーく感じたのです。これは、翌日予定がある場合あるあるなのかもしれませんが、緊張して眠りが浅くなるということは簡単に想像がつくものの、今朝は「うわっ!寝すぎた!なんでアラーム鳴らないの!?」と思って携帯を覗くと、5時。まだ大丈夫かと思いまた寝て、「いや!今度こそやばい!」と思って携帯を覗くと6時半。2時半に就寝したとして、6時半に目覚めれば4時間の睡眠です。ですが自分の感覚的には、寝すぎた!という感覚だったので、改めてというか、睡眠は多く取ればいいものではないと思いました。食事と同じなのですね。最近は一日2回の軽めの食事+間食フルーツでかなりパフォーマンスが上がっていて、通じるものがあると感じました。

食事と睡眠は人間の三大欲求の2つです。摂りすぎ、取りすぎが良くないというか、パフォーマンス向上には過剰摂取は逆効果というか、量は関係ないということが分かりました。では、残された人間の三大欲求は性欲です。食欲と競り合えるほどの引力を持つ性欲ですが、性欲を先程の「量は関係ない」という方程式においてはどのように扱われるのでしょうか。こちらの件は完全なる立証はしていないのですが、やりすぎ、出し過ぎに越したことはないでしょう。あと、ここでのキーワードは「欲」という言葉です。食べたいから食べる。寝たいから寝る。つまり食欲と睡眠欲は日々感じる欲なわけですが、性欲に関しては、やりたいからやるという欲にトリガーされて実行されれば良いのですが、食欲と睡眠欲とは異なり、快楽が生じるため、欲にトリガーされなくても実行してしまいがちという特性があります。これが落とし穴で、このような性欲乱用はパフォーマンスを著しく低下させることでしょう。

さて話がそれましたが、短い睡眠ながらも気持ちいい朝を迎え、カメラマンを柏駅にピックアップして、撮影の現場に向かいます。某保育園の撮影で、小さな子どもたちを午前中からお昼まで撮影するというお仕事でした。9時半入りで11時前まで園内での撮影。そして11時半から遠足の現場での撮影でした。まぁ園児が元気でパワフルでカメラマンと僕はエネルギーに圧倒され、楽しいながらも良い意味でのストレスフルな現場でした。遠足は手賀沼湖畔近くの竹林散策からの野外での遊戯で、一瞬一瞬を楽しんでいる多くの園児を見れたことは、なにか言葉に表せられないようなメッセージを受け取ったように感じました。

短い睡眠ながらも回復したといいながら、撮影の仕事をアシスタントながらも体を張りこなすと、さすがに午後にはこたえてくるわけです。帰宅後、カメラマンの友人がソファでスヤスヤと眠り始めるのを見ると、たちまち自分にも睡魔が襲ってくるわけです。ここからです。ここから僕の幽体離脱とまではいかないものの、凄まじい夢が始まるのです。

人間に感じられない感覚はない

夢の内容ですが、舞台は僕の育ち故郷である足立区鹿浜にて。ジェイと散策していると、いつもお世話になっていた理髪店に置かれたテレビを見ることに。テレビを見ていると、Viceチャンネルのような、Discoveryチャンネルのような、ちょっとアングラな感じの番組に切り替わります。そしていきなり、アナウンサーから「翔樹さんの息子のハルトさんからのメッセージ動画があります」とアナウンスされ、映像が移り変わるのです。ここでハルトさんが画面に映るという訳ではなく、内容は鮮明には覚えていないのですが、少しサイケデリックな映像が再生されます。それ自体そこまで驚くべき内容ではないのですが、それを見終わる頃には、なぜか自分に浮遊力が付与されているのです。それで自分の意思で浮くことができるようになっているのです。ここでやばいなと思ったのが、自分の意志で浮くということを本当に味わえたということです。もうひとつすごいなと思ったのが、同じ夢の中でLINEを開くというシーンがあったのですが、トークの一覧の友達が全部、とある人で同一人物になっていたのです!これにもマジでビビったし、マジでアヤワスカを摂取した時に幻覚を見れたりするのは、人間のパーセプション(認識)は自分次第ですべて変わるんだなと感じさせられたのでした。

夢ひとつでなんか世界を見る目が変わってしまったというちょっと不思議な昼寝 on ジュンファースト, 2022でした。

というか久々のブログでしたね。文章を書くって楽しい!自分のインプットをアウトプットに変えるって楽しい!

ではグッナイ。

久しぶりに泣いた。

14歳、もうじきに15歳になるビーグルのルビー通称ルーちゃんが、約一ヶ月ほど前から調子が悪く、多分脳腫瘍なのか、てんかん発作が出るようになってしまったのです。その後は抗てんかん剤で様子を見ながら、ある程度の復活は遂げたものの、良くなっては悪化、良くなっては悪化を繰り返し、今朝になっては、とうとう立つことも食事もできないほどになってしまい、痛みからなのかなんなのか、震えが止まらなくなってしまいました。さすがにヤバいということで、弟と弟の彼女に同行してもらい、午後からルーを担いで動物病院へと足を運びました。市内でトップの動物病院です。過去に何度もお世話になっています。抗てんかん剤の処方で、先週も来ていました。

到着したのは午後3時前でしょうか。いつもは午前中に来ていて、その時は比較的早く(30分ほどで)受診できたのですが、月曜日の午後?夕方?はとにかく混んでいて、受診まで小一時間待ったでしょうか。歩けないルーを毛布でくるみ、膝の上で抱えながら、院内の待合室はいっぱいなので病院前のベンチで待つことに。弟と弟の彼女と他愛のない会話をしながらだったからどうにか耐えられたものの、久々に長いと感じた待合でした。

呼ばれると診察となるわけですが、レントゲン写真を撮ることに。その写真を撮ったあともまた30分くらい待つことになり、3人でマジでげんなりしていたわけですが、説明のお呼びがあり再び中へと戻ります。レントゲン写真の説明を受けると(生々しいので病名の記載は避けますが)、とにかく、年数件しか見られない、原因不明の症状で、この症状がある場合は即時MRI検査→ステロイド治療が必要なものであるとのこと。さすがにこの弱っている状態で全身麻酔でMRIという選択は飼い主としてもないと獣医に伝えると、回復する可能性もなくはないが、このままいくと持って数日かもしれないと宣告されました。本日できる限りの治療(水分補給とステロイド剤の注射)と、できる限りの処方でどうにかお願いしたいと伝え、今日の治療は終え、会計を済まし、動物病院を後にしました。

そんな残り数日と言われても、その場では「えっマジか」くらいしか思わないわけですが、いざ帰って来て、ルーちゃんにどうにか夜ご飯を与え、調子悪そうにしながら寝ている姿を見て、獣医から宣告された内容にようやく実感が湧いて来るのです。しょうがないし、何もできないし、もうどうしようもないけど、悲しすぎる。ルーも年だし、遅かれ早かれ死は逃れられないし、もうどうしようもないけど、悲しすぎる。先週まではおれのことがわかってくれたルーが、もう歩くことさえもままならなく、おれが誰ともわからなくなるところまで体調が悪化してしまっただなんで、受け入れるに受け入れられないほど悲しすぎる。

2月にてんかん発作が起きて、その後抗てんかん剤をもらってから、ここ最近は長い散歩に行ってなかったのに、なぜか行けるようになるまでの回復があったんです。自分でもビックリするくらい、「えっ!お前逆に元気になったんじゃない?どういうこと!?」って思うくらい、前は毎日のように行ってた、ちょっと遠目の公園にも1年ぶりくらいに行けたし、散歩と言えるくらいの散歩も、昨日の朝できてたんです。

それで翌日に様態が急変して、診察を受けたらあと数日!?悲しすぎるでしょう!ちょっと前の散歩できていた状態が、まるで天から降ってきた奇跡。いつもお世話になった散歩のおじさんにも会えたしね。もう死んだみたいに書いてるけど、まだ今は台所でひとりスヤスヤと寝ています。

家に戻ってきて久々に号泣したって話。死ぬことより、死を宣告され、死を考えることのほうが100倍悲しい。悲しすぎる。どうか、ルーにもう一度チャンスを。