2015/5/20

ここ数日間、我が家の愛猫レッサーくんの調子が優れておらず、4,5日間、声が全く出ていません。食欲はあり、ご飯も食べているし、いつものように外へ散歩へ出掛けているので、動けなくなるほどではないようなのですが、元気な声を聞けないのはなんだか虚しくて、僕まで落ち込んでしまうくらいです。もう数日間様子を見てみたいと思いますが、それでも優れないようであれば、獣医に連れて行こうと思っています。
声を失ったと言えば、つんく♂さんです。喉頭がんを患い、生きるために声帯摘出を選んだ物凄い方です。しかし喩え命は助かったとしても、声を失うという悲しみを僕たちは理解しなければなりません。声はコミュニケーションのツールであり、僕達は声を通じお互いの波長を合わせ、コミュニケーションを成立させます。つんくさんの件をニュースで知って、僕は命が助かったのなら良かった良かった、と僕は思っていました。しかしレッサー君の声をここ数日聞けてなくて初めて思ったんです。声が出ない本人も、声を出せないことが相当辛いと思うし、さらに声を聞けない周りの人間にとっては、つんくさんならつんくさん、レッサー君ならレッサー君の存在感が、半分以下になってしまうがために、強いて言うならば、半分死んでしまったように感じてしまうのです。これは凄く悲しいことであります。
よくよく考えてみてください。同居人が全くの無口だったら、どう感じるかを。居ても居なくてもわからなくなってしまうと思いませんか?
僕は、声の大切さを今一度考えさせられています。こうやって話せることは当たり前じゃない。声を出して会話できること、自己表現できることに、今一度感謝します。そして発する言葉にも気をつけたいと思います。ありがとう。感謝。

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