地球が泣く

人生を歩む上での絶対的な幸福は、内なる静寂から湧き出てくる平安のみです。人間は誰も平等であると言われ、平等であるはずがないと反論する人々がいますが、それはただ単に「平等」の定義を「運命」として捉えてしまっているだけだと考えられます。本当の意味での平等は、前述の通り、内なる静寂には誰もが触れることが出来、そこから得られる平安は森羅万象共通のため、「人間は平等」という表現がなされている、ということ。どんなバカでも、どんな犯罪を犯した気狂いでも、障害を持った方でも関係なく、この内なる静寂にはアクセスが可能であるため、人間は平等なのです。
人間は平等でありながらも、ここ数百年で人間の幸福の定義は、コインの裏表のように一転してしまいました。ここ数百年で、人類は人類が向かうべき行き先への旅を自ら破棄し、進化するどころか、自ら喜んで退化の道を進んでいるのです。これは本来ユートピアであるべき地球での生き方を、心底学ぶために必要不可欠である過程、と言いたいのは山々ですが、そうは見えないのが正直なところです。何が正しくて何が間違っているのかを、本質を捨てて、痛い思いをしてまでも学ぶ必要があるでしょうか。あります。犠牲は伴いますので、誰もが楽に乗り越えられることではないですが、そろそろ人類は目覚めないと痛い目を見ます。この事実にさえ気付いている人間は日本でもごく僅かであり、僅かである事実も、人類の存続に致命的な影響を及ぼしていることも考えられます。生きているようで生きていない。自分の本質が文明にコントロールされ、コントロールされていることにさえも気付けなければ、終わったも同然です。
ここ数年地球上では、過去に類を見ないレベルでの天災が発生しています。何故誰も気付かないのでしょうか。何故誰もおかしいなと思わないのでしょうか。何故誰も地球は私達人間と同じ生き物であり、同じ意識を持っていると知らないのでしょうか。ただ単に異常気象や天災が起こっているのではありません、地球は悲鳴を上げているんです。大泣きです。何故にこんな美しい惑星の上で、終わりのないバカな争いをするのか、客観視してみてください。悲しい以外の何物でもありません。
本当は2段落目から自分のやりたいことについて書くつもりだったのが、深いい話になってしまいました。やりたいことについてはまた後日。

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