分岐点

今日は成人の日。成人の皆様、成人化おめでとうございます!実は僕の弟がちょうど今年で成人で、昨日成人式に参加してきたようでした。兄弟揃って準備は締め切り間近で、先日夜は式に着ていくスーツをタンスから探して当てるのでテンヤワンヤ。結局親父のお下がりで残っていたスーツは全て合わず、当日の朝にスーツを調達する羽目になったようです。優しい叔父さんが出世払いで良いということで、一緒にスーツ屋に行って買ってくれたそうな。恵まれてます。そんなヒロキくんは今年の3月で2年の専門学校生活にピリオドを打ちます。とうとう弟も社会人ですか。みんなオッサンになったものです。気付けばこちらもアラサーということで、他人を気にしている場合ではありません。残る人生をどう広げていくのか。弟の将来や方向性も半父親として気になりはしますが、彼は彼でどうにかなると信じているので、彼よりも僕です。ぶっちゃけ人は自分のことしか考えられないし、自分のこと以外を考えても無駄です。自分はどんな人生を送りたいのか。誰にどう貢献したいのか。何を幸福の物差しにするのか。全てを定義する権限は自分にあるのです。
僕は2016年は「振り出しに戻る年」にしたいと言いました。何をする。これを成し遂げるあれを成し遂げる。そのような抱負は、常に変化するものであり、達成したところで自己満足にしか繋がらないアチーブメントであるため、敢えて自分の魂レベルに働きかけるような抱負を掲げた、ということです。僕が定義する「振り出しに戻る」は、意識状態や生活習慣を、僕がちょうど渡米した頃の年齢、すなわち12歳頃のスペックに戻ることです。僕はティーンエイジから、インターネットとパソコンに触れてきたため、脳がイカれてしまっているんですね。自分では意識がありませんが(ですがたまに気づくのですが)、ADHDらしき症状がごくたまに発症します。集中できない病です。自分を守るとかではなく、おそらくこれらはインターネット依存症という枠に入る症状で、僕以外にも多くの方が苦しんでいる症状だと思います。この病気が(実際に認められた病気なのかどうかは別として)発症する理由は僕も理解しているつもりでおりまして、何が原因かというとインターネットの「無限性」でないのかと思っています。情報過多、つまりコンテンツに終わりがないため、永遠に「何か」を求めてしまう癖がついてしまう。インターネット依存症は「永遠に何かを探してしまう病」なのです。
僕の仕事は特に環境が悪く、インターネットブラウザを常に開かなくてはならない仕事、イコールワンクリックで生産性を崩壊させるコンテンツに遷移でき、さらに一人会社なため、ブラウザ上で何をしてようと注意してくれる人もいない。
人生うまくいってます。仕事もうまくいってます。家族関係も友達関係もうまくいってます。それには凄く感謝しています。おかげ様で世に貢献できる身になりました。しかしそれらを達成する以上に、遥かに難しい使命が僕には残っているのです。それが、今年の抱負である「振り出しに戻る」、言葉を変えるのであれば「自分を愛す」ことです。僕がさらなる飛躍をするには、この抱負の達成がまずは必須となります。これが出来るか出来ないかで、僕がAの道を行くのかBの道を行くのかが決まってしまう、長い人生でもあまり数を見ない、僕平山翔樹の大きな「分岐点」です。

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