間違い探し

高校を卒業し、または大学を卒業し、社会の一員として人生において新たなるスタートを踏み出す時、昨今の若者は偏見と常識に左右され、迷い続けるというサイクルに陥っているようです。迷うという事は、ただ単に「何をしていいかわからない」のではなく「何をしていいかわからないから、その何かを知りたい」、または「何をしていいかわからないから、その何かを知る必要がある」と考える事です。ただ「何をしていいかわからない」状態であれば、何を知る必要もないわけで、それは迷いではありません。そこでです。迷っている若者、いえ人々は、その何かを見つけたら救われるなどと勘違いしているようなのです。「迷い」は意識状態の現れであり、外を変えたところで中は変わりません。一瞬だけ「見つけた!」という衝動に駆られ安心するかもしれませんが、なにせ意識状態なので、遅かれ早かれ再度「迷い」という感覚は再浮上してきます。「これで良かったのだろうか」「なにか違う」「これじゃない」などなど、ピリオドを打ったはずの模索がまた始まります。
ではこの問題についてのソリューションは如何なるものかと言うと、自分という意識の確立、という言葉に尽きると思います。つまり外で「何」をやるかなど一切関係ないのです。内なる意識を正せば、外は自然と正される。これを肝に銘じ生きなければ、文明の蟻地獄に引き釣りこまれるまでです。では自分という意識の確立はどうしたら良いのか。これには手段が多すぎてこのブログでは書ききれませんが、1つだけ方法を挙げるとすれば「間違い探しをする」ことです。間違いというとニュアンスがちょっとズレが生じるかもしれませんが、例えば「怒りは外的要因によるものである」と思っているとしたら、この方程式は「間違い」ですので、これを修正していくのです。人が人に怒る時「人にムカついた」とか表現します。「あいつにムカついた」とかです。接続詞がキーポイントで、「あいつ『が』ムカついた」は文法的に間違っており、「あいつ『に』」が正しい表現となり、自分が相手に、という自分が主体の因果関係が怒りのベースであるため、怒りは自分の責任となります。
正常心を乱す事柄すべてはあなたの中にある「間違い」であるので、間違い探しを手伝ってくれているウザイ外的要因にアンテナを張り、「間違い探し」を毎日少しずつしていけば、自分本来の魂が磨かれ、天がコスモスに美貌を与えたように、天が自然と汝に生きる歓びを与えてくれるでしょう。

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