その足していく1(イチ)

何故人は(というか俺は(爆))近道をしたくなるのでしょう。近道をしようとして10年間、結局どこにも進まずwww やっと目の前のその一歩が全てであることに気づき、進めるような気がしてきました。

しかしそれに気づけたのは幸いですが、逆に言えばもう夢を見ることは出来なくなってしまったため、かなりキチィ茨の海(shoutout to Chihiro Onitsuka)を歩み始める羽目となりました。要は昔は今より将来のほうが大切だったんです。俺は将来こうなってやる。俺は将来BIGになってやる。俺は絶対…などなど、多数のデイドリームをビリーブするデイ・ドリーム・ビリーバーだったのですが、その叶わないかつ見るのが楽しい夢をもう見ることが出来なくなってしまったのです。これは大問題、というか、致命的です。この「今」という誰もが逃れられない空間(生きている限り続く)と真っ向勝負しなければならなくなってしまったのです。

となると真っ先に浮上する試練が、自分の今の状態を認めざるを得ないということです。どういう事かと言うと、自分が何を今まで達成していようと、何を達成していなかろうと、おそかれはやかれ、今の自分は今の自分なので、そこに少しでもいいから、今生授かった人間という体験をより良くするための成長を、少しでもいいから日々足していかなければならないということです。

昔はその足していく1(イチ)が小さく見えすぎて、その1の意味が理解できなすぎて、足すそのものの行為ができない。でも最近、その1しか足せないのがやっとわかって、その1の大切さがやっとわかって、今まで見ないふりしてた自分にやっと足していけるようになったんです。

でももちろん、無意識に足してきた1はたくさんあるのはわかっています(それ無くして今の僕はいないですから)。でもそれを意識的にして、さらに意識的にその一歩を踏み込んで行かないと、自分の残したい足跡が残せるようにならないし、更には自分が本当に見たい景色が見れないんだなってわかったんです。

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