2015/1/28

谷と峰:頂上と麓

世界は性エネルギーで創造されています。現代人でこの事実について知っている人は少なく、性と聞くとハレンチだったり、人前では話してはいけない下ネタとしてでしか捉えることが出来なくなっているようで残念極まりありませんが、性は創造に関連する一番重要なファクターです。性は陰と陽があって初めて成り立つ方程式で、どちらか無くして性(創造)は成り立たちません。このどちら無くして成り立たない方程式は、性エネルギーによって創造されたもの、つまりこの世に存在するもの全てに適用されており、それは私たちの人生の流れにおいても例外はないのです。
セクソロジーについてはまた後日ブログにて綴るとしますが、今日はその方程式についての学びがあったので記録したいと思います。
僕は会社経営しているためか、上に行きたいという願望が大きくあります。上とは何かと言うと、ずばり、億万長者になる、成功する、有名になる、影響力を持つ、とか、そっちの事です。でもそれらが僕を幸せにしてくれるかどうかとか、そんな期待は全くしていなくて、ただ単に人生ゲームという課題を天から授かったのだから、全身全霊を持って取り組んで、行けるとこまで行ってみたいな、っていうだけです。登山家に何故山に登るのかって尋ねるのとほぼ同じです。「そこに山があるから」登るんです。何故僕は上を目指すのか、「そこに山があるから」です。
しかし山には見えない山を登っているので、上下感覚がないのが難しいところです。現代社会では、輝かしい出来事(頂上到達)だけがメディアに取り上げられ、それまでの苦悩(険しい山道との戦い)が全くフィーチャーされない。そのためか、周りにいる起業家(登山家)たちの頭の中には、頂上の事(成功像)しか入っていなく、現状の苦悩や努力を避けたくなってしまう癖がついてしまい、悪循環を生んでいるように思えます。
では今度は登山ではなく、自分自身を山に喩えてみましょう。山になることが成功だとします。そして頂上からの景色を眺めたいとします。でももし自分自身には頂上しかないとしたら、それは頂上ではなくなってしまいます。ただの平地です。だって頂上しかない頂上なんて、頂上なんて言えませんし、それが頂上であるかどうかもわからないからです。ではどう考えるべきなのか。それは僕が何度も語っている、「負」を味方にしなければならないということになります。山が成り立つ方程式を考えれば簡単な事です。山には谷(負)がつきものです。谷がない山はありません。ということは山の価値は、谷がないと成り立たない。だから何故「負」をネガティブに捉える必要は全くないし、影のある谷は、一見「負」に見える、同じ「山」なのではないのでしょうか。逆に谷(負)を芸術として売りだして行くべきではないのでしょうか。人間が好きなものは山だけではありません。僕の故郷カリフォルニアに隣接しているアリゾナ州にあるグランドキャニオンを思い出してみてください。それ以外にも、アンテロープ神殿やブライスキャニオンなどなど、全て、陸地が凹んでいる「負の芸術」ではないのでしょうか!?
だから、自分の人生における負を隠すこと無く公表することが、本当の「山」になるために必須なのかも知れないと思ったのです。
ドン底から這い上がった実業家や芸術家、著名人は、何故そこまでBIGになったのか。もう理由を語る必要はありませんよね。負を味方にしているんです。どんなに偉大であっても、ただ「実力があった」だけでは、人の心を動かすことは出来ません。その人に深みをもたらす、グランドキャニオンのような莫大な渓谷という負が、あなた、そして僕を大きくしていくのだと思うのです。
全てを吐き出そう。隠すメリットもなければ、公表したほうが宇宙のためです。共感は、自分との共感が出来、初めて起こせるもの。公表が怖ければ、それは過去に囚われている証拠です。過去は忘れてはならない、しかし囚われてはならない。自分を100%表現し、宇宙の使命に協力するために、負を公表し、現代社会の腐った偏見という壁をぶち破ることを、自分、そしてこれを読んでいるあなたに、是非!お奨めしたいです。

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