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6月10日。今日から15年前、愛する祖父が他界しました。母方の祖父で、僕のことを一番可愛がってくれたじいちゃんです(通称だんごじい(和菓子屋だったので))。2000年5月下旬に腸にポリープが出来て入院してから、2週間位であっさり逝ってしまいました。当時10歳ですね、翔樹くん。愛する人の死に初めて対面し、大きな衝撃を受けたのを覚えています。当時は中学受験準備の真っ只中で、週3で啓明舎という塾に通っていました。塾の場所は御茶ノ水。JR王子駅まで母か父に車で送ってもらい、王子から京浜東北で秋葉原へ出、総武線各駅停車に乗り換えてひと駅の所です。今思い返すと、もうその頃には携帯電話の技術が発展し始めていて、最初の携帯P204からP502iに乗り換えて、ショートメールからimodeにメール変わったくらいの時代です。塾に出る度、外出先からimodeメールで、母か父にじいちゃんの血圧を確認していました。お見舞いには毎日のように行っていましたから、血圧の重要性を理解していたのだと思います。いつもなら、「だんごじいの血圧はいくつ?」ってメールすると、比較的早く返信が来ていたのですが、2000年6月10日の日、僕が啓明舎から送った血圧確認メールには、返信が一切ありませんでした。まぁメールを見落としているのだろうと思い、帰ってパパに直接聞けばいいかと思っていました。いつも通りに順天堂病院の坂を下り、外堀通りを駅方面に歩き、お茶の水橋を渡って、改札を通り、御茶ノ水駅特有の階段を下り、帰路につきました。記憶ではその日の帰りに王子まで迎えに来てくれたのはパパです。黒のクラウンのロイヤルサルーン。長男指定席の助手席に乗り、直ぐに言いました。「ただいま。だんごじいの血圧は、どう?」。
僕はパパがメール返信をしたくても出来なかった理由を、王子から鹿浜までの中盤、北本通り途中で知ったのでした。そこから先は、死に初対面する翔樹にとって、いや、大好きなだんごじいの死に対面しなければならない翔樹にとって、それはそれは悲しい現実が待ち受けていました。じいちゃんの家に着けば親戚一同は集まっているわ、同じ商店街の人達も集まっているわで、「これは紛れも無い現実」であることを受け入れざるを得なかったのです。
まぁストーリーテリングはこの辺にしておいて、とにかく15年、早かったなと!ちなみにだんごじいが他界したあと、僕は莫大な精神的ダメージを受け、かなりの間、立ち上がることが出来ませんでした。中学受験へ費やすパワーも気力も失せ、中学受験プロジェクトは却下となります。中学受験勉強、本当に本当に嫌でした!!もうじいちゃんに救われたわホンマに、って感じ。僕は私立の器じゃなかったんですよ、結局は。鹿浜のDNAが私立に行けるわけがないってのね!
まぁいいんですが、中学受験プロジェクトが却下となりまして、そこから今度はLA移住プロジェクトが稼働するのです。だんごじいが他界して1年4ヶ月後、LA移住はなんと本当に実行されたのです。移住するとなれば、いずれは訪れることであろうことは帰国ですが、翔樹くんはその帰国の理由が、またもや残酷なものになることとは全く予想していませんでした。

ハルト3歳、ルビー8歳、誕生日おめでとう!!

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