疑え

我々が必要なもの、それは事を疑う目です。メディア(テレビやニュース)、人から聞くこと、自ら得にいく情報などなど、全てを一度必ずフィルタリングする必要があるということです。メディアを喩えにしてみると簡単です。なぜならば我々庶民は、情報が本当に正しいかどうかを検証する能力がないのです。ニュースは一方的に情報を発信していますが、それが本当に事実なのかどうかがわかりません。ですから私たちは、「へぇそうなんだ」から、「そうらしい」という解釈に変える必要があるのです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、本当にそうです。メディアは人間の思考をコントロール出来る力を持っています。世界で最大の宗教はテレビであり、テレビが世界を支配するとも言われているくらいです。ここで面白いのは、コントロールされるかどうかは本人次第で、メディアには全く非がないということ。メディアはとある会社の事業であり、事業目的に沿って淡々とことをこなして(コンテンツを配信)しているだけですし、しいて言えば、メディアの制作者は、上層部からの指示を行動に移しているだけです。一生懸命仕事をしているだけです。すなわち、映るものをどう解釈するかは自分次第。常に疑いの目を持つことが大切です。医療のセカンドオピニオンに似ています。一人から言われたことを100%信じてはならないのです。反対に自分は100%信じる必要があります。自分の中で疑いが浮上してきたら、その「疑い」を疑うべきです。結局自分であろうと外部のものであろうと、まずは疑って検証しないといけないってことですね。人を疑えとは言っていません。自分の解釈を疑えと言っているのです。

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