2016/2/11

建国記念日

今日は建国記念日です。アメリカで言うインデペンデンス・デイです。日本がどのように建国?され、誰のどこから独立?したのかを知らないのは日本人として失格?なのかどうかはわかりませんが、あまり建国についての教育は受けなかったと思います。そもそも日本はアメリカと違って歴史が長いですから、アメリカのように最近出来ました!的なレベルのお話ではありませんからね!とにかくハッピーバースディジャパン、いや失礼、お誕生日おめでとう日本国!

2016/2/10

清原和博

Earth Wind and Fireのモーリス・ホワイト、デヴィット・ボウイの死、SMAP騒動、ベッキー騒動と、騒がしい芸能各界でありますが、巨人ファンとして清原和博のことを書かずにはいられません。僕が初めて清原和博と出会った(知った)のは、小学校の頃、野球に目覚め、おじいちゃんの影響で巨人ファンとなった時です。彼はもうその頃、既に巨人に移籍していました。自分の中では、清原と言えば巨人!という風な認識でしたから、過去に西武ライオンズにいたのを知ったのはもっと後のことなのですが、とにかく自分の中の最強の右打者、それが清原和博でした。彼は無冠の帝王と呼ばれているのは皆様ご存知かと思いますが、彼は僕の知っている限りでは、一度も打点、本塁打、そして打率の分野でリーグトップになったことがないのです。なのにも関わらず恐れられる強打者、それが清原和博です。
今回の記事で書くことは、清原和博という一個人の分析です。彼の歴史をもとに、何故今回のような末路を辿ることになってしまったのかを、宇宙の法則レベルで探っていきます。
まず清原くんは、誰もが認めるスーパースターです。前述の通り、右の強打者であり、右打者の中では落合博満か清原和博か、というくらい尋常ではないセンスの持ち主です。特に西武時代の全盛期はかなり恐ろしく、知っている人ならば記憶にあると思いますが、対巨人の日本シリーズでは、KKコンビの桑田真澄から3本もの本塁打を放ちました。そんな清原の野球人生の始まりは、あのドラフト事件です。PL学園から逆指名で巨人を指名していたのにも関わらず、盟友の桑田真澄がドラフト1位で指名され、清原は西武ライオンズ行き。母と揃って記者会見に望み、二人揃って涙しているシーンは誰もが見たことがあると思います。変な話、この一件からかそれ以前かは存じ上げませんが、清原くんは被害者意識が強いと見受けられるのです。センスは飛び抜けているのにも関わらず、無駄な欲望がある。この欲望が邪魔で邪魔でならないんです!いわゆる見栄であったり、エゴ的な要求が清原くんには多い。別に巨人じゃなくたっていいのに、巨人に執着した。巨人への移籍の話も酷くて、幹部からはかなり酷い扱いを受け、さらに年俸も安い。松井くんみたいに、是非巨人でお願いします〜!って話ではなく、清原の場合は、巨人に入れてやっから黙って働け、という待遇です。巨人でもまぁいい成績は残せたので良しとしますが、僕が見る限り、清原くんの見た目と内面が違い過ぎて、人々が彼のことを勘違いしてるんだと思います、結局。彼は番長とか言われてますけど、番長という名に相応しい内面の持ち主ではありません。普通な話ですよね。見た目と内面が違うっていうのは。例えば真面目そうに見えても実はそうでもないとか、バカそうでも頭良いとか、控えめそうだけど積極的とか、色々あります。清原に限っては見た目はイカツイながらも内面は全くイカツクないんだけれども、これも前述の通り自分のイメージ(見栄)を優先する意識の持ち主であるために、番長と呼ばれているいるからじゃあ番長をやろう、という風に、完全なる無意識で「番長」を演じることになってしまった、というわけです。それはそれは本人にとっては心地の良いことではなかったでしょう。なんせ自分とは真逆の自分を演じなければならないのですから。彼の笑顔、スマイルを見れば一目でわかるはずです。彼には他の野球選手の誰よりもクリアで優しい心を持っているということを。バラエティとかテレビに出ている動画をようつべで見たことがありますが、本当にいつも思ってました。彼の笑顔は本当に輝いているなぁって。でもその中にちょっとだけ哀しみというかなんというか、が見えるような気がするのですが、僕には彼がその哀しみを隠しているのがわかりました。それは自分が自分らしく生きれないという葛藤への哀しみです。メディアに振り回され、自我に振り回されながらも、自分は「強くてイカツクて弱みなど一切ない最強の清原和博」を演じなければならない。心が痛みます。彼は本当は弱いんですよ。弱いのにあんなにデカイ身体を授かったから、ジレンマを感じながら生きてきたのだと思います。だってよく考えてくださいよ。小さい犬ほど吠えるんですよ?あんなにデカくて、最強の野球選手だったら、もっと寛大に「デーン」と構えたって良いと思いませんか。
まぁ清原くんの分析はそんな感じなのですが、多分彼の覚醒剤の利用は、不本意、というのが事実、である可能性が高いです。スポーツマンでありながら、妻子を持ち、スターダムをのし上がり地位を築いた清原和博が、どーーーんなに馬鹿でアホだったとしても、覚醒剤になんかぜーーーったい手を出すはずがないんです!絶対ヤッちゃんに無理矢理勧められて、結局最後は彼が「被害者」で終わった。というストーリーでしょう。残念ですが致し方ない。僕が唯一持っていたサインボールが清原だっただけに(昔親父が通っていた六本木のクリニックで直筆で貰ってきてくれたんです!)、本当に残念。そして悔しい!本当に悔しい!

2016/2/9

モチベーションは形なきものに

ここ数日、風がビュンビュン吹いています。雪や雨の日もそうですが、いわゆる荒れている天気の日に、オフィスにこもって仕事をするのが好きです。なんていうか、天候が荒れていようとオフィスは変わらず静寂なので、そのギャップがなんか心温まるんです。心温まる?という表現は正しくないような気がしますが、まぁそんな感じです。さらに意味がわかりませんがw それは置いておいて、今日は何について綴りましょう。昨日の気付きから、すぐさま意識を自分中心に戻し、今日もいつも通り、ゆっくりゆっくりと前進です。
記録するのを忘れていましたが、3週間位前から筋トレを再開いたしまして、とりあえず3週間で3キロ増量に成功。前回までは身体の個別の箇所を徹底的にやっつけるタイプのプログラムを組んでいたのですが、今回からは上半身と下半身のスプリットに分けるスタイルに変更しました。上下スプリットのメリットは、コンパウンド系(複数の関節を動かす種類)のメニューが多めなため、テストステロン(男性ホルモン)の分泌量も個別のスプリットより多めです。もちろん筋肉を損傷させ、回復させることに意味があるので、個別のスプリットでも良いのかも知れません。しかし筋肉の成長にはテストステロンの分泌量が鍵を握っているため、ステロイドを摂っていないアスリートは、上下のスプリットの方が良い結果を得られる、という研究結果があるらしく、実際に試したみたところ、あらいい感じ、という流れです。さらに体づくりは、日数をかけるものであり、6週間のプログラムなら6週間という全体像を意識しなければなりません。仕事と同じで、しっかりと目標を立てて、ゆっくり着実に進む。どんなことにも同じ法則が適用されるのですね。ちなみに筋トレのサイクルは今回で4度目!?でしょうか。半年以上続いたことがありません・・・。やっぱりね、ただ単に「体づくり」という気持ちじゃなくて、「自分の身体のメンテナンス」という意識に変えないといけないみたいですね。仕事も同じですよね。お金は大事だけど、お金だけがモチベーションになってはいけない。体づくりも大事だけど、フィジーク(容姿)だけがモチベーションになってはいけないのです。多分なんでもそうなんでしょうね、きっと。継続して本当の貢献にするために必要な、これも一つの法則でしょう。仕事のほうも、再度自分に警鐘を鳴らし、努めたいと思います。

2016/2/8

すべらんなぁ!

さて昨日はSublime TextとiTermとにらめっこでしたが、今日はSublime TextとPhotoshopとにらめっこです。まずは完成形のサイトのレスポンシブ最適化を2時間くらいやって、その後昨日の記事にちょっと書いた自分の会社のサイトデザインの仕上げをするべく、Photoshopを開いて奮闘しておりました。そんでぶっちゃけ自分では「いいんじゃない?」と思うレベル、すなわち試行錯誤に試行錯誤を重ねた結果の納得出来るデザインが出来上がったので、遠く離れたうちのオカンにデザインデータを送りつけ、意見感想をお願いしたのです。ここでポイントは、僕自身は99%、デザインにオッケーを出しているんです。まぁ自分のサイトなんでOKを出すもないんですが、残るはちょっとした微調整くらいかな、というくらいまで出来上がっているんです。そんな中、母とセラくんは素人目線でデザインを見、率直な意見を言ってくれます。なんかそのキャッチおかしくない?とか、その画像どうなの?とか、ちょっと見にくいかな?とか、さらには僕自身を知っているため、いやぁ~翔くん抑え過ぎじゃない?千原ジュニアと言わんばかりに、もっと「ドカーッ」って行ってもいいんちゃう?みたいな(失礼ここ数日の飯の友がすべらない話だったもので爆)。LINEビデオ通話をしながら数十分意見を聞いたわけですよ。実際に意見を聞くならば、確かになと思うことを確かに言うてくれてはるんです(失礼すべらない話)。あぁ〜なるほどなぁ〜とか、我ながら同意出来る意見は多々あったんですが、どうにも全てをやり直さなきゃいけないレベルの話なんですよこれがまた。いいんだけど〜、これをこうした方が良い、あれもこうした方が良い、それはそうした方がいい、いーーーっぱいあるんです。繰り返しますが、確かに言っていることには同意出来るので、LINE通話を終えて、自分の飯準備して(今日はちなみに麻婆豆腐と小松菜の味噌汁)食べて、溜まりに溜まった洗い物を洗いーの、さぁみんなから言ってもらったアイディアをこのデザインに適用してやろう思ってPhotoshopのレイヤーたちをいじり始めるのですが、これがなーーーんのアイディアも出てけーへんのですよ。うわどーするー!?言うて。せっかく峠を越えたと思ったのにまた振り出しに戻されたかのような、そんな気持ちに、要は落ち込み始めちゃったんです!ほな言うてももう夜遅いしこれからまたデザイン考え始めるのも何やからもう仕方ないから自分の中で納得出来るような何か答えを探し始めたんですよ。てか答えどうこうの前にね、由紀子さんとセラくんの意見は大いに感謝してるんだけれども、このトップページ一枚のデザインをこの形に仕上げるまで何日何時間かけたのか!ってことなんですよ。見て意見を言うのは簡単ですよ。でもね、別に自分のことを棚にあげるわけではないけれども、けっこーーーう考えて考え尽くしてこのシンプルで印象の良いようなデザインに仕上げたんですよ!別に彼らを悪く言っているわけじゃないんですけれども、本当にそうなんですよ。それで見つけた答えってのは、「意見は大事。他人の視線も大事。でも一番大事なのは自分の感覚。自分の感覚を信じるしかない。だから僕は自分が自分のデザインに与えたGOサインを信じて、このデザインでまずはバスティル株式会社オフィシャルサイト第一号、アップします!」。という話でした。
すべらんなぁ!

2016/2/7

地道な練習

練習とは、今まで出来なかったことを可能にするためのプロセスです。当たり前ですよね。また、反復を行い、脳に動作や知識を叩き込むことも練習と呼びます。既に可能なことにさらに磨きをかけることも練習と呼びます。さてこの3つの練習の側面の中で、どれが一番厄介でしょうか。多分1番目の、今まで出来なかったことを可能にする、つまり新しいことを脳に取り入れる練習が一番大変だと思います。相も変わらず、毎日のように新しい知識を勉強しているのはいいのですが、勉強すればするほど、「チンプンカンプン」な技術、つまり高度なものが現れてくるのです。勉強以外にも、例えばピアノの練習もそうですが、弾けるようななったものを弾くことは当然ですが簡単です。どんなに難しい曲だろうと簡単です。指が勝手に動くのですから。今日の昼に久々にツェルニーの30番の楽譜を開き、3番を弾こうと試みたのですが、これがまたクソむずい。なんじゃこりゃっていうくらい簡単な譜面でも、思考回路がパンクしそうになるくらい神経を使わされます。それはもちろん、今まで弾いたことがないからです。ぶっちゃけた話、弾けるようになってしまえば、こんなクソ簡単な、とか思うんですけど、そこまでに辿り着くまでが大変なのであります。Webの方でも、JavaScriptの応用と、PHPフレームワークのLaravelを勉強しているのですが、JavaScriptの方はまだしも、Laravelの方は真の別世界。フランス語でも学んでんじゃねーのかってくらいチンプンカンプンですマジで。でもここ1ヶ月くらいで、少しずつではありますが分かり始めてきました。VagrantとかComposerとかserveとかHomesteadとかmigrateとか、もう訳分からん語彙が登場しまくりだったのですが、どんなにチンプンカンプンでも、分からないことを恐れていては何事も学べません。自分の中では、CSSとWebデザインはもうマスタリー。なのでNEXT LEVELがJSとMVC(Laravel)って訳です。ピアノもこのまま行ったら停滞してしまうので、何かプランを考えなくては!何事をマスターするにも、地道な練習以外道はないのです。

2016/2/6

言霊

私たちが口にすることは、私たちの体験という形で具現化されます。例えば、無意識に変なことを繰り返し唱えるならば、変なことが体験という形で現れます。僕の経験からすると、思考よりも、声で唱えた方が具現化がスピーディに行われるようです。ここ最近、新しいお米にチャレンジしてみようと思い、色々と調べた結果、山形県産のつや姫というブランドが気になり、家の者や親戚に「つや姫知ってる?つや姫つや姫!美味そうなんだよね!食べたい!」とか言ってたら、知り合いのKさんがつや姫2kg袋をプレゼントでくれたんです。ビックリですが、声に出したから具現化されたのだと思っています。母の由紀子の場合はもっと凄くて、何も言わなくても僕の要望が直感的に理解できているようで、ちょうど欲しかったものを唐突に僕に運んできます。
しかし考えてみれば、この「声で唱えて具現化」ということは、ぶっちゃけうちのハルトが毎日のように駆使している技術であります。ハルトだけでなく、ハートに沿って生きている無垢な子供たちは、誰がどう思うとか全く気にせず、ラムネが食べたかったら、ラムネが手に入るまで「ラムネが欲しい」と叫び続け、最終的にラムネをゲットしています(笑)。一般的に考えれば、ワガママなガキがうるせーから周りの人間がしょうがないからあげた、という風に捉えられるかもしれませんが、そんなの関係ない。結論は結論です。結果は結果としてラムネを手に入れたのです。
ですので希望は秘めずに言いまくりましょう。言わなかったら誰もあなたの希望がわかりませんから。こんなに仕事に就きたい!あんなところに行きたい!これが欲しい、あれが欲しい!こうなりたい、ああなりたい!なんでもいいのです。また、自分の欲望を言ったらいけないとかいう考えも捨てましょう。考えてみてください。あなたの友達、家族が、彼らの希望や夢を語ってきたとしたらどうでしょう?「やればいいじゃん!」「いいね!」「似合うよ!」って絶対言うと思うんです。それが喩え無謀な夢であってもです。ビジョンを語るのは楽しいし、他人のビジョンを聞くのもエキサイティングです!
忘れないでください。私たち人間は一人ひとりが神です。ここで言う神は「宇宙を描画する意識」という意味ですが、一人ひとりが神なのだから、神に求めば与えられし。ということです。誰がどこで私たち一人ひとりの人生の一頁、ましてや一行、一文字に関わるのかは未知数です。極端な喩えになりますが、何百年前の食堂で誰かが間違えて箸を床に落っこどしたために、今の何かがある、ということだってあり得るのです。誰かがおならしたらとかねw 本当に何がどう交差して宇宙が描画されるのかはわかりません。私たち人間の頭脳では理解できないレベルの現象なのです。
さぁここ数日間書かなかった分も書けたような気がしますが、余談で面白い話があるのでまだまだ書くとします。
冒頭から書いているこの「言霊」についてですが、私たちが日常的に声で唱える事と言えば、歌があります。唄です。唄を歌うことも声で唱えることに変わりありませんから、頭によぎる唄を口ずさむことも、この宇宙の「言霊」という法則が適用されます。ここ数日間、久しぶりにUSA for AfricaのWe are the worldを一曲リピートで聴いて、さらに散歩中にも誰も居ない道端で歌いまくっているのですが、調子が今までよりもさらに良くなっているような気がしてならないのです。つまりWe are the worldの歌詞、皆様ご存知、”We are the world. We are the children. We are the ones to make a brighter day, so let’s start giving. There’s a choice we’re making. We’re saving our own lives. It’s true we’ll make a better day. Just you and me”という歌詞、正に今の世界に必要な表現ですが、これらをリピートして唱えることで、自分のエネルギーが調節されているようなのです。
We are the worldでインパクトを残したあのシンディー・ローパーは、”Music is healing.” つまり「音楽には癒やす力がある」と述べていました。音楽、特に現代の音楽は、旋律に歌詞が乗る、という形式の音楽が多いですが、この旋律と歌詞というパワーの融合が、シンディーの言う「癒やし」を生み出すのではないかと思うのです。
言霊の法則という観点からすれば、あなたの聴く音楽があなたの人生を創りあげている、と言っても過言ではないということになります。ですから、もし誰が失恋の曲ばっかりを聴いているならば、おそらくその人の人生は失恋だらけ。愉快な曲をいつも聴いているならば、その人の人生は愉快であるでしょう。しかしこの現象も、よく考えてみれば実に理解しやすいパターンで身近に存在しています。アーティストのファンは、類似性があるということです。AKB48 = オタッキーな男。EXILE = ヤンキー系女子。西野カナ = 恋愛気質な女子。SEKAI NO OWARI = 変人?w という用に、似たり寄ったりの人生を送っているような人々が集まるのです。非常に面白い現象であります。
さて流石に集中力が切れてきたのでこの辺で。そろそろ自社サイトのデザイン制作が完了します。月内にはアップしたいです!