自分の考えを記事として言語化することで初めて自分のものとなる。

アウトプットを語る前に、まずはインプットって一体何やねんって話です。インプットを意識するのと意識しないでは、日々の生活においての意識状態が変わります。インプットを意識しなければ、人生をどう生きたいのかという自分に課す根本的な課題もおろそかになりますし、惰性で時間が過ぎ去って行ってしまいます。僕的には、1年前にパニック障害なのか適応障害なのかわかりませんが、それを通じて体を壊してから感覚が変わり、1年経った今は、もっと人生体験を楽しもうという感覚に変わりました。そしてこの感覚になった今、この人生体験をより充実させるために、今までは出来なかった色々なことにチャレンジ出来るようになりましたし、自分の感覚以外のものから満足感を得ようとすることもなくなりました。未来や過去に執着せずに、様々な情報を入手(インプット)し、それらを満足感と切り離した状態で、この美しい人生体験に活用してみようという感覚になっているのです。
このインプットという行動に関しては、今年の8月に30歳を迎えましたが、20歳から今まで、クライアントワークに直結する仕事に役立つこと以外のインプットは全くと言っていい程してませんでした。インプットさえしていないのだから、アウトプットなど出来るわけ有りません。しばらく書かなかったこのブログですが、1年半くらいほぼ毎日書いていた時期がありました。まぁアウトプットとなるかもしれませんが、インプットがあったアウトプットというよりは、自分の人生における気付きや考察が主で、自分の情報収集の整理からのアウトプットではありませんでした。別にそのスタイルが悪かったわけではないです。自分の感覚を言語化する練習になりましたし、ただただ書き続けるという習慣を実現できたということが残ったからです。
そして今約1年半ぶりにこの2段落を書いてみたわけですが、わかりました、ブログを書く意味。アウトプットをする意味。人のためなんかじゃないです。自分の中の情報を整理するためだと思います。だって、一応書いてみたかったことは「なぜインプットの後はアウトプットをすべきなのかを考えてみた」というタイトルに基づく内容なのですが、いざ書いてみると自分の頭の中で色々なことがごっちゃになっているのが良くわかるのです。上手に言語化出来ないから。んで結局この記事を書き終えて、タイトルを「自分の考えを記事として言語化することで初めて自分のものとなる。」としました。

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